第11話 さあ、覚悟を決めろ。

 カディオは、王が赦免を認めたことを彼女に伝えたが、ユエナはそれでもすぐにビケに帰ると言ってきかなかった。

「大事なことはちゃんとあなたに伝えたから、帰らないと。赦免の命令が正式に届くまでは、私はまだ流刑の身だもの」

 ユエナは真剣な顔でそう言った。

「赦免の通達は、ビケで受けるわ」

「分かった。でも、あと数日だけ待ってくれ」

 カディオは頼んだ。

「その間に、俺はモーグの軍勢を破って帰ってくる。お前が王都にいれば、俺は絶対に負けてはいけないという気持ちになる。だから、俺のためにも」

 そこはカディオも譲らなかった。

 結局、根負けしたのはユエナの方だった。

「分かったわ。それであなたが生きて帰って来てくれるのなら」

 ユエナは頷いた。

「その間、この屋敷に置いていただくわ」

「ああ」

 カディオはもう一度ユエナを抱き締めた。

「ここにいてくれ、ユエナ。もうどこにも行かないでくれ」

「それは私の台詞よ」

 ユエナは泣き笑いの顔で、カディオの背に腕を回した。

「カディオ。必ず帰って来てね」



 その翌日、カディオは第一王子レインとともにファズメリア軍を率いて王都を発った。

 モーグの軍勢は既に、王都まで一日のところに迫っていた。

 モーグの新王ラスコット率いる軍勢とアシュトン帝国の軍勢とがリエント河の南で激しい攻防を展開しているという情報も入って来ていた。

 アシュトンの狼人将軍セナンが負傷したとか、戦死したとか、そんな噂までが流れてきている。

 あのセナンがそう簡単に首を獲られるとはカディオは思っていなかったが、いずれにせよアシュトン軍は相当に手こずっているようだった。ファズメリア方面への援軍など最初から期待はできなかった。


 王都は籠城には向かない開かれた地形だ。

 カディオが戦場に選んだのは、王都の手前、ラダラという村の郊外だった。

 そこは、それと気付かないほどの緩い勾配がある土地だ。

 カディオはその坂上でモーグを待ち受けることに決めた。


 カディオは、かつて自分と苦楽を共にした歴戦の部下たちだけの部隊を編成せず、彼らを各隊に分散させた。

 カディオは彼らに、モーグとの戦い方を他の兵士に教える役割を任せたのだ。

 レインとカディオの率いる兵は、約三千四百。

 その内訳は、ジャック軍の残兵が約二千、国境から急遽かき集められた兵が約千、そしてモーグ戦争時代の兵が約四百。

 ジャック王子の敗戦によりほとんどの兵士が逃亡してしまった中で、それでも王都に戻って来て、再びカディオの軍に加わった兵には見込みがあるとカディオは思っていた。

 正真正銘のモーグの軍とは言えないまでも、間近でモーグの戦いぶりを見て、それでもなお戦おうという強い意志のある者だからだ。

 彼らは、自分やユエナと同じ、譲れないものを心の中に持っている人間なのだ。

 そういう人間には、勝つために必死に学ぼうという姿勢がある。

 北でのモーグとの戦いを生き延びた古参兵たちは、彼らにモーグの戦法を説いた。

 モーグは角笛や骨飾りや戦歌で自分たちの戦意を高揚し、緒戦の突撃では凄まじい破壊力を発揮する。

 こちらが策を弄そうが罠を張ろうがお構いなしに突っ込んできて、その野生の勘と超人的な身体能力で全てを覆そうとする。

 そのときは、こちらの常識などまるで通じないと思え。

 だが、勘違いしてはいけない。

 モーグは悪鬼魔獣の類いではない。やはりモーグも、人間なのだ。

 戦場で一番やってはいけないのは、敵を自分の中で勝手に大きくしてしまうことだ。

 そうすると、敵の実像からかけ離れたところで空回りをした挙句、肉体も精神も疲弊させて自滅し、敗れ去ることになる。

 古参兵たちのこういった話を、ほかの兵たちは真剣に聞き入った。

 次の一戦に、王国の未来が懸かっている。

 それは誰しもが理解していた。

 俺たちがモーグを食い止めねば、この国は亡びる。

 絶対に、負けるわけにはいかない。




 風に乗って、角笛の音が聞こえてきた。

 来た、と兵の誰かが言った。

 モーグだ。

 モーグが、迫ってくる。

「陣を整えろ」

 カディオは叫んだ。久しぶりの戦に、彼自身も武者震いしていた。

「さあ、覚悟を決めろ。ファズメリアの歴史に残る一戦を始めるぞ」


 モーグの角笛が徐々に大きくなる。

 いよいよ、戦が始まるのだ。

 兵たちに緊張が走る。

 そのとき、前衛の古参兵の一人がのんびりとした口調で言った。

「ずいぶん下手な角笛だな。ありゃモーグじゃねえな」

 そう言って、カディオを振り返る。

「ねえ、将軍。ありゃあ本物のモーグにしちゃ音が弱々しいと思わねえですかい」

「ああ」

 古参兵の意図をすぐに察したカディオは、快活に答えた。

「吹いているのはおそらく、アシュトン人かルク人の食い詰め者だ。本物のモーグの角笛なら、もうとっくに地面を震わせている」

「ほうら、アシュトンの狼人将軍に認められたカディオ将軍もこうおっしゃってらあ」

 その古参兵が大きく頷くと、ほかの古参兵たちも口々に言った。

 恐れる必要なんてねえ。同じ人間だ。それも大半は、モーグごっこの食い詰め者だ。

 蛮族の戦に相乗りしてうまい汁を吸おうなんて連中と、絶対に国を守るという覚悟を決めている俺たち。強いのはどっちだ。

 カディオは彼らに感謝した。

 自分の言うべきことを、ほとんど彼らが言ってくれた。

 おかげで兵たちは必要以上に浮足立たずに済んだ。

 やがて姿を現したモーグ軍の戦士たちは、鎧にたくさんの骨飾りを付けていた。

 特徴的な紫の染料を顔に、腕に、塗りたくっている。

 そのせいで遠目には、彼らが人ではなく悪鬼か何かのように見えた。

 あれは“牙”の氏族の特徴だ。

 カディオはすぐにそう見抜いた。

 ラスコットの“槌音”の氏族ならば皆、肩から熊や狐の毛皮を羽織っているはずだ。

 この軍を指揮するのは、“牙”の氏族の戦士デオハンだという。ならば、軍も“牙”の氏族風に動くのだろう。

 ファズメリア軍を前方に認め、モーグ軍は一斉に骨飾りを叩き始めた。

 巨大な羽虫が何匹も同時に羽を震わせたような、耳障りな音が辺り一帯に響き渡る。

「うわ」

「なんだ、この音は」

 ファズメリア軍の兵士には、耳を押さえる者もいた。

「よく見ろ、あいつらの骨飾りを。あれはおそらく」

 カディオは敵の発する音に負けないよう、声を張り上げた。

「ここに来るまでに略奪を重ねてきた町や村の、無辜の住民たちの骨で作ったものだ。我らの同胞を殺し、その骨で誇らしげに己の鎧を飾り立てているのだ」

 兵たちは、カディオの言葉の意味に気付き粛然とした。

「この国でそんな真似をした者の末路がどうなるのか、思い知らせてやろうではないか」

 カディオは叫んだ。

「一人も生かして帰すな」

 おう、と兵たちの雄叫びが響く。

 その声の大きさに、骨飾りを叩く音はかき消された。

 続いて聞こえてきた戦歌に古参兵がまた、

「あんなに迫力のねえ戦歌は初めて聞いたぜ」

 と吐き捨てる。

 兵たちに必要以上の恐れは見られなかった。

 その間にも、両軍の距離は近付いてくる。

 始めるなら、ここだ。

 カディオの磨き抜かれた戦場勘がそう告げていた。

 律儀に相手の突撃を待ってやる必要はない。

 こちらから、仕掛ける。

 カディオは懐を探り、手に硬いものが触れるのを確かめた。

 それは小さな手鏡だった。

 ユエナが、武運のお守りに、と渡してくれたもの。

 ユエナ。

 手鏡を握りしめ、カディオは心の中で呼びかけた。

 じゃあ、俺は行くよ。

「王子」

 カディオはレイン王子を振り返った。

「ここで仕掛けます」

「む」

 レイン王子は緊張に青ざめた顔で、それでも頷いた。

「分かった。将軍の判断に任せる」

「ありがとうございます」

 レイン王子のこの出しゃばらない性格が覇気の無さと受け取られ、ジャック王子との王太子争いに後れを取った一因となったのだろう、とカディオは見ていた。

 だが、共に軍を率いる中で、カディオはこの王子の隠れた聡明さにも気付いていた。

「王子、開戦前に兵たちに一言、お言葉を賜りたく」

 この王子なら、ばかなことは言うまい、という確信があった。

「うむ」

 頷いたレインは兵たちの前に進み出ると、簡潔に一言だけ述べた。

「ファズメリアの勇者たちよ。力を貸せ。ともに勝とう」

 それに応える兵たちの声が、敵の戦歌を圧した。

 敵が本物のモーグであれば、ありえないことだ。

「よし、行くぞ」

 カディオは叫んだ。

「こちらから仕掛ける。弓兵の援護射撃を」




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