第4話 ただ、人よりも幸運だったから。

 アシュトン帝国と北の蛮族モーグとの、どちらかの喉笛を食い破らなければ終わらぬような激しい戦は、ついに四年に及んだ。

 カディオはその四年間を、総指揮官であるアシュトンの狼人将軍セナンとともに最前線で過ごした。


 北の蛮族モーグは噂に違わぬ、いや、それ以上に恐るべき戦士たちだった。

 彼らの吹き鳴らすその角笛が、戦が迫ると聞こえてくるその戦歌いくさうたが、戦場の空気を震えさせ始めると、アシュトンの連合軍の兵たちもまた、恐怖で震えた。

 作戦も陣形もなく、ただひたすらに力攻めに押し寄せてくる彼らに、万全の態勢で待ち構えたはずの連合軍が何度打ち破られたことか。

 カディオ自身も、幾度も命を落としかけた。

 それでも生き残れたのは、カディオの武勇のおかげではない。

 ただ、人よりも幸運だったから。理由はそれだけだった。

 彼よりも優れた将が、当たり前のように命を落とす。そういう戦場だった。


 カディオは自分に軍を率いる才覚があるとは、最初から思っていなかった。

 祖国ファズメリアの名誉を一身に背負い、その時が来れば華々しく死んでやろうと思っていた。

 だが、将がそのつもりでも、それに付き合わされる兵たちはたまったものではない。

 自分が死んだら、生き残ったファズメリア兵たちは別の国の軍に吸収され、おそらくは捨て駒のように使われるだろう。

 そう思うと、カディオもそう簡単に自分の命を投げ出すわけにはいかなくなった。

 それが責任というものだ。若いカディオはその重さを学ぶことになった。

 自分だけの感情で突っ走ってもよい年齢は、とうに過ぎていたということだ。


 従軍してしばらくしてから、カディオ自身、驚いたことがあった。

 どういうわけか、彼には戦の勝機を見定める野性の勘のようなものがあったのだ。

 戦の最中、目には見えない大きな流れの中で、ここぞ、という勝負の勘所がカディオには分かった。

 勝利の匂いがする。

 それはさらわれかけたユエナを救った幼い日に、知らず体得したものなのかもしれなかった。

 敵の、大地を揺るがす突撃や、まるで一つの巨大な魔物のように荒れ狂う集団戦法。そのわずかな間隙にカディオは勝利の匂いを嗅ぎ取り、部隊を動かした。

 彼らの働きには、怜悧な狼人将軍セナンまでが、

「ファズメリア軍には、何か特別な御加護でもあるかのようだ」

 と称賛の言葉を口にしたほどだった。

 必然、異郷の地で苦楽を共にする兵たちとの間には、強い連帯感も生まれた。

 最初はカディオのことを、栄達目当てに分不相応の大役に飛びついた愚かな木っ端貴族の若造、くらいの目で見ていた熟練兵たちが、彼を「俺たちの将軍」と呼び始めるまで、そう時間はかからなかった。


 モーグの激しい抵抗に遭いながら、それでもアシュトン軍は一歩また一歩とモーグの地を侵食していった。

 そして最終的には、両軍の総力戦となったフィレン野の会戦のさなかに、モーグの八つの氏族の一つ、“玉髄”の氏族の王マースードがアシュトン側に寝返ったことで、勝負はついた。

 この戦いで、“鷹”の氏族の王にして全モーグの統王であったバイゲルを含む主だった氏族の王たち、そして多くの歴戦の戦士たちを失ったモーグの勢力は、大きく後退した。

 あまりに手痛い敗戦の後、もはやモーグにはアシュトン軍と正面切って戦うだけの戦力は残されていなかった。

 カディオがアシュトン皇帝シーク三世から感謝と労いの言葉を賜って祖国へと帰還したのはそのさらに二年後、モーグの残敵掃討任務を終えてからのことだった。

 カディオは二十六歳になり、国を出るときに彼が率いていた二千の兵は、実に五百人にまで減じていた。




 帰国したカディオが最も気になっていたのは、やはりユエナのことであった。

 モーグは外法の地だ。その戦場にいた六年の間、祖国の情報など全く入っては来なかった。

 だからカディオは、もうユエナはとっくにジャック王子と結婚して大領主の妻になっているのだろうと思っていた。

 だが帰ってみれば、ジャック王子は第二王子でありながら第一王子のレインを押しのけて次期国王である王太子の座についており、その隣に座る妃は、ユエナではなく、カディオの知らない別の美しい女性だった。

 病を得て床に臥せている国王に代わって、カディオから帰国の報告を受けたジャック王子は、最初こそカディオらの奮闘を称え、アシュトン帝国との良好な関係は貴公らの努力によってもたらされたものだ、などと持ち上げたものの、すぐにその六年間の戦費について皮肉混じりの愚痴をこぼしはじめた。

 六年もの間、貴公の軍は金食い虫であり続けた。この不毛な戦はいつ終わるのかと、誰もがうんざりしていた。こんなに長い戦が、モーグを倒すのに本当に必要だったのか。

 アシュトンの連合軍の中では小部隊を率いる部将に過ぎなかったカディオには、戦争全体の戦略を左右できるような力はなかったし、少なくともあの強大なアシュトン帝国ですら、あれだけの軍勢とあれだけの時を費やしても、身内を寝返らせなければモーグを打ち破ることはできなかったのだ。

 だが、カディオは王子にそんな抗弁ができる立場にはなかった。

 ひとしきり不満をぶつけた後でようやく気が済んだのか、ジャック王子は、長旅で疲れたであろうからしばらく静養するように、とだけ告げて謁見を終わらせた。

 どうやら恩賞は期待できそうにない。

 カディオは苦笑交じりにそう思った。

 出征の際のわずかな昇進が、今となってみれば唯一の褒美のようなものだった。

 いずれにせよ、最初からそんなものを目当てに志願したわけではない。

 それよりも、ユエナはどうしたのか、そのことのほうが気がかりだった。

 しかし王宮でそれについておおっぴらに聞いて回ることは躊躇われた。

 カディオも何か不穏な気配を感じていたからだ。



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