第16話

 黒色のパーカーを着ていないゆぅみの姿に、風磨は二度見をする。

 その様子を眺めていたクラスメイトは小声で聞いた。


「なに、知ってる人?」

「部活の先輩」

「へぇ、美人だな。早く言ってれば入部した可能性あった」

「美術部だけど、興味ある?」

「……それは、難しいな」


 笑ってその場の会話は終了した。遠回しに無理だと言われた気がして、少し落ち込む。

 卒業を機に、美術部は廃部となった。ゆぅみの我が儘を先生が通してくれていたから、開いていた美術室。

 もうやっていないと分かっていながらも、足は部室へ向き、閉まっているのを再認識する。

 あとは授業で来るだけ、それ以外に来ることは無くなる。


 代表が行き、卒業証書を受け取る。卒業生が体育館を出たあと、あとの学年は各々出る。


 教室へ戻る途中、別れを惜しんでいる生徒の集まりを目にする。

 確かに寂しいのはあるけど、卒業式の日に告白をして欲しいと海里から言われている風磨には、浸る余裕なんて無い。


 教室へと戻ってきて、席に着く。簡単にHRが済むと、解散となった。

 帰る生徒はいない。海里に言われてはいるけど、三年生の教室へ行けばいいのか、スマートフォンを取り出して悩む。

 すると、一件入ってきた。シンプルに一言、ゆぅみらしいメールだった。


 慌てて教室を出ていく風磨を、大翔は頬杖をつき見送っていた。


 すのこで造られた簡易な渡り廊下の先は、凄く静かで、誰もいないんじゃないかと不安になってくる。


「ゆぅみさん……?」

「息が上がってる、走ってきたのか?」

「部室に来ることって……」


 言いながら美術室を見た。開いてはない。


「あたしの後輩になってくれてありがとうって言いたくてな」


 目頭が熱くなってきて、込み上げてくる涙。流れてこないように、風磨は瞬きをした。


「えーと、こういう場合って、写真とか撮るんでしたっけ?」

「あぁ! そうだ、やってみたい事あったんだ」


 スクールバッグから急いで取り出したのは、チェキ。


「ナミくんのクラスは喫茶店だったらしいな。完成度が高くて人気だと噂になってたよ。行く勇気はなかったけど、同じ物を持ってみたくて買った。さて、何を撮ろう。顔を写すのは嫌いでね」

「上履きとか?」

「おっ、それいいね。学生のときにしか履かないし」


 美術室は閉まってるから、二人して廊下に座り込んだ。足を伸ばして、上履きを写した。


「そうか、この角度だったら顔を写さなくて済むんだな」


 ゆぅみはそう言って、軽く髪を整え、胸元へ毛先を流した。鎖骨から下が主に映っている写真ができた。


「うん、満足した。急に呼び出して悪かったな。良い思い出ができたよ」

「僕も、最後にゆぅみさんと話せて、よかったです」


 卒業式だし、雰囲気の流れから、風磨は言うべき言葉を並べていった。ゆぅみは、ふぅ…と息をついた。


「定型文みたいだな」

「時間が経ったら、寂しいって思ってますよ。そんな気がする……」

「そう思って欲しいと考えちゃったよ。少し傲慢だったな。さて帰るかな」


 言葉の最後が少し震えて聞こえた気がして、風磨はゆぅみへ目を向ける。

 だけど、すでに後ろ姿で、顔を拭っている仕草に、寂しい? と想像するしかなかった。


 風磨は学年が上がるのに、校舎全体に、終わりの空気が漂う。

 ちらほら、人が階段を下りてくる。まだ居るんだと考えるし、居なくなっていくのが虚しく思えた。

 スクールバッグの、外側についている小さいポケットへ突っ込んでいたスマートフォン。バイブが鳴り続けた。

 慌てて取り出すと、谷原海里と画面にある。驚きから震える指で、受話器のマークをスライド、耳に当てる。


「…――もしもし?」

『あ、後輩くん? やり残したこと思い出して、電話することを。だから掛けてる』

「……はぁ」


 海里が言ってることに対してもだけど、初めての電話、耳にかかる海里の声……気恥ずかしさに何を話したらいいのか、言葉が出ない。


「あの……先輩ってもう、帰りました?」

『うん、帰った。今ジャングルジムにいる』

「僕の家の近く!? じゃあすぐ行きますから、まってて――…」

『電話越しでもいいかなって思ってるの。ほら、面と向かってなんて、言えなくない? さらっと言ってくれればいいから』


 遮るように言ってきた海里。風磨は走り出していた。


「人生で初めての告白をさらっとなんて言えるわけないでしょ。絶対にそっち行きますから。そうだ、電話も切らないで」

『電話しながら来るの?……というか、息も上がってるような?』

「急がないと、先輩、どっか行っちゃいそうな空気出してるからっ……」

『どこにも行かないから……歩いて?』

「……嫌です」


 住宅の近く、信号が変わると同時に、風磨は駆け足で渡る。

 緩やかな勾配に差し掛かってきて、ぐんとペースは落ちた。


「…――なんでっ、ジャングルジムなんですか」

『後輩くんと初めて話した場所だから。それに、この景色、なんか好きなの』

「そう言ってる先輩が、僕はなんか好きです」

『――なによ。さらっと言ってるじゃない』

「先輩が見えたので言いました」


 肩に掛けていた紐はズレて、ほとんど抱えている状態になっているスクールバッグ。

 想像通りに来た風磨に、海里は視線を外す。


「先輩は僕のこと、どう思ってるんですか?」

『――嫌いじゃない』

「強がってる先輩もいいですね、好きですよ」


 まっすぐに海里をみつめて、電話越しに聞こえる風磨の声色は優しい。


「卒業したら、もう終わり?」

『連絡知ってるんだから、近況は分かるんじゃない? 会うのは難しいかもしれないけど』

「ジャングルジムには、来てくれますか?」

『たまには来ようかな』

「じゃあ会えますね」


 電話越し、海里の息が聞こえる。


『ありがとう、私の我が儘に付き合ってくれて。好きだったよ』


 電話は切れて、海里はジャングルジムを下りた。いつもより速く歩いていて、冷たい風と共に、すれ違っていく。

 スーッと頬を流れた涙を、風磨は拭った。


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