第2話

 テストの最終日にやった答案用紙が、次の日には返却されて一部の生徒からはブーイングが起こる。

 赤ペンで書かれた数字に、一喜一憂を繰り返した。

 返された用紙に風磨が目を通していると、前から手が伸びてくる。


「よーっす、風磨!」


 手から用紙が消えた。馴れた挨拶をして用紙を抜き取ったのは、井之上大翔いのうえ たいが

 風磨はきょとんと固まり、後の展開をどうしようか思案する。


「平均より少し上ねぇ~、へぇ~」


 用紙を一通り眺め、大翔はニヤリとした。


「なに」


 怪訝な表情をして、用紙を返してと手を伸ばし、促す。


「いや別に」


 大翔は用紙を返してそそくさと、その場から去る。頬杖、風磨はちらりと目で追った。

 クラス内での立ち振る舞い、周囲との関係。人の輪に入っていけて、溶け込んでいる。でも一人行動のときもあって、バランスよくこなしているのが、風磨には真似できないことで、羨ましさがあった。


 足音が聴こえてきて、廊下が騒がしくなる。時間的に購買の限定品だろうと、走っていく男子生徒たちを眺めた。

 集団は行ってしまい、静けさが戻る。風磨は立ち上がり、机の横に掛けてあるスクールバッグを取る。


 生徒でにぎやかな廊下を進み、一階まで下りきって、すのこで造られた渡り廊下を歩く。

 体育館、小窓の前には男子生徒が座っていた。先に来ていたことに風磨は駆け寄る。


「ごめん、少し遅れた」


 スマートフォンを見つめる、諦めの色をした瞳。画面には二つの吹き出しがあり、風磨とのやり取りが残っている。

 ページをひとつ戻り、しゅうと登録してある、アカウント。待ちぼうけていた彼は慌ててスマートフォンをポケットへ仕舞った。


「いやー? そんな待ってないよ」


 互いに知っていることは、一年生は緑色のラインが入った上履きだから、同学年ということ。

 SNSがあることで連絡が取れた。自然とそれで満足しており、それ以上は聞いていない。


「もうそろそろ来るかな」


 ストローを咥え、風に揺れる木の葉を見上げている愁は、予知を口にした。

 卵焼きを食べようとする風磨の箸が止まる。「誰が?」「三年生女子が」


 前髪から覗く目、愁は人差し指を唇に当てる。建物の陰から様子を伺いに、動いた。

 屈みながら、一歩ずつ、風磨も真似をする。すのこを渡る音、体育館の壁に背を預けて、肩を上下に深呼吸をする女子生徒をみつける。


「あの人……」

「風磨の知ってる人なんだ?」

「学校の帰り道、付いてきたっていうか、なんというか」


 愁は風磨を見る。一瞬の間。「わぁお、ストーカーなんだ」

「そう言い切れるほど追い詰められてないから大丈夫」


 そう口にして風磨は、三年生女子に視線を戻した。ジャングルジムでの時間が、頭に巻き戻される。


「来る時間が分かるくらいには、相手のことを知ってるんだね」

「居るんだなぁって思ってからは、バッタリ会わないようにタイミングをずらしてるよ」


 気を遣ってでは無く、安心を得る為の線引き。愁は立ち上がると定位置へと戻った。

 思い返される、手の感触。先輩を見ていた風磨の視線は落ちた。相手の心境に触れて、その痛みが過去に感じたものと似ていた。膝の上、拳を握る。


「風磨? どうかした?」

「何でもないよ」


 そう声に出して、普段通りを装った。



 夕焼けが差し込み、暖かな色に包まれる廊下。美術室前に差し掛かったところで、プラスチック製の入れ物が倒れる音と、水の音がした。

 黒色の服。フードをすっぽり被った女子生徒は、「あ……やってしまった」とこれが日常なのか淡々と呟いていた。


 そばにある放置されていた、乾いて丸まった雑巾を手にした彼女は、水を染み込ませるように拭いていく。


「もう一枚持ってきますか?」


 風磨は声を掛けた。振り返り、見知った姿に「うん、お願い」と声が弾む。


 美術室を出て目の前の手洗い場へ急ぎ、掛けてある雑巾を掴む。風磨は一枚掴み、ふと動きを止めた。

 窓へ寄り、下を見る、昼休み……先輩が居た場所が真下に見えた。

 どこか気になる存在になってはいても、相手の状況をなんとか出来るはずもなく、見て見ぬふりを選ぶしかなかった。


「ナミくん? 多少濡れててもいいから、急いでもらえると嬉しいんだけど」

「すみません、今行きます!」


 入学からすぐの頃に、体育館で部活紹介が行われた。運動部も文化部も、舞台上での説明や軽くパフォーマンスがされた。

 必ず入部という決まりは無いものの、興味は湧いて廊下にある部活勧誘のポスターに目がいく。

 美術部。体育館での説明は無かったが、ポスターは貼ってある。活動をしていない事はない──矛盾がどうしても気になり、美術担当の先生に尋ねた。


 三年生の女子生徒が一人。


 いろいろ思うことはあったが、勇気を出して行った結果、〝ナミくん〟と呼ばれるくらいには気に入られた。

 部活動なんだから部長と呼んでもいいはずだし、三年生と一年生だから先輩という呼び方もできるけれど、それらは却下された。

 ようやく落ち着いた呼び方は、ゆぅみ。「ゆぅみさん、この絵は、どういう気分で描きました?」


 そう聞かれて、ゆぅみの手は止まる。上手い絵を真似して描いて、次第に描きたい気持ちで手を動かせるようになった。

 改めて聞かれると、「どうだろうねー」中身のない返事しか出せない。

 それでも、一人だった部室に後輩が入部してくれて、誰かが来てくれる楽しみは確かにあるから。


「ナミくんが入部してくれて楽しい。だけど、あたししか居ないから……どうしてなのか疑問は消えないかな」


 ゆぅみは幸福を語るよりも、疑問に目を向けることが多く、一人で過ごすことに抵抗が無い。


「一人だけなら廃部になっててもおかしくないですけど、続いているのが、僕には疑問です」


 フードを被っていて、前髪に隠れている瞳が、思いを告げる。


「入ってくれたナミくんが、それを一番理解してる感じがするけどね」


 唇に力が入る。風磨はハァ、と溜め息をついた。「似た者同士って感じなんですね」


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