第3話

 揚げ物をする兄と、野菜を切っている妹。淡々と料理していて会話は交わされない。嫌々している感じは無く、日頃からしてきて慣れてきて阿吽の呼吸といった雰囲気が出ていた。

 美味しそうな揚げ物の音。だけど、色は少し焦げてきている。


「お兄ちゃん、焦げる」

「え? あ、やば、熱っ!」


 妹は風磨の顔を不安げに見た。


「考え事?」

「深刻なことじゃないよ。ちょっと不思議な先輩がいるだけ」


 不安な色は消えない。でも、風磨がそう言い切ってしまうから、妹はそれ以上気にする素振りや言うのをやめた。


「ふーん。野菜の盛り付けはできた。唐揚げわけるね」

「うん、頼んだ」


 高校一年の風磨、中学一年の妹。四人が座れるテーブルに、三人分の食器。

 両親の喧嘩が多く、父さんと母さん、どっちと暮らす? そう投げ掛けた母親に風磨は何も答えなかった。

 不安、恐怖、迷い。マイナスの思いから、息が乱れる。それでも何ともないように振る舞った。母が祖父母の家に居れば、会いたいときに会える、そう提案した。

 母親は両手を伸ばし、風磨を抱きしめる。誰が見ても分かるほどに、ぎこちなく、指先は震えていた。


「お父さん、遅いかな」

「ラップかけておこう」


 授業での調理実習。それ以外に調理器具を使うことは、ほとんど無かった。

 スマートフォンで動画検索をして、父親と一緒に真似をする日々。それは段々と様になっていった。


 イライラしやすい母親を見ては、妹は家の手伝いをよくしていた。洗面所のタオル交換に、ゴミの分別。

 今でも細かな部分は任せきりだが、役割があることで考えなくてもいいようにしているんじゃないかと、風磨は言えずにいる。


 父親が帰宅するまでの、二人だけの食卓。


「いっただっきまーす」


 大きな口で唐揚げを頬張る妹。食事はいつでも楽しげにしている。それでも風磨には静かに思えて、テレビのほうを向いているリモコン、電源ボタンを押した。


「いただきます」


 淡々と言って、風磨はテレビを見た。その横顔を妹は不思議そうにみつめた。



 *


 授業の合間にある十分休憩、廊下に佇む三年生の姿。様子を伺っていた大翔は輪から離れて廊下に出た。

 驚かせないよう、慎重に近づいて、相手が自分に気づいたのをしっかり確認したのち、話しかけた。


「誰かに用っすか? 呼びますけど」

「あ、じゃあ、黒板に近いところに座ってる……スマホを触ってる男子」


 黒板に近くて、スマートフォンを触ってる男子なら三人ほど条件に当てはまった。座っているのは、一人だけ。

 曖昧に言ってる自覚から、不安な表情で眉に力が入る。


「先輩の名前、聞いてもいいですか?」

谷原海里たにはら かいり

「わかりました。すぐ呼んできますね」


 楽しそうな声があふれている教室で、スマートフォンを触って一人過ごしている風磨。

 机に手をついて、耳打ちするように大翔は言った。


「風磨、谷原海里さんが呼んでる」

「は、え、誰?」


 知らないことへの、はっきりとした戸惑いの声。目を動かして伝えてくる大翔に従い、風磨も廊下に視線を移した。

 体育館にいるところを何度か見ている、知っている人。


「向こうは風磨のこと知ってるっぽいけど?」

「僕は知らない」


 知らないことが多いから、風磨は即答する。相手は三年生、大翔に呼んできてほしいと頼んできて、行かない以外の選択は思い浮かばなかった。

 ちらちらと周囲の視線が、風磨にかかる。


「僕のクラス、よくわかりましたね」

「何しに来たのか、驚かないの?」

「驚きましたよ。話したの……あのときだけだし、何でクラスが分かったのか。それに今、この状態も。聞きたいことが渋滞してます」

「冷静なキミでもパニックになるのね」


 もてあそばれているような発言に、風磨の顔つきが変わっていく。


「で、本当に用事は何ですか?」


 ブレザーのポケットに手を突っ込み、海里はスマートフォンを取り出した。待ち受け画面の時間が、風磨にもよく見えた。


「キミはサボったことある?」

「何をですか?」

「自分のなかで決めたルールとか、授業とか」

「遅刻をしたこともないし、サボったこともありません」


 迷いなく言い切る。


「真面目って言われない?」

「僕自身もそう思ってます」


 苛立ちを落ち着かせようと、風磨は息を吐き出す。


「キミは、今日が最後なら、何をする?」

「心理テストですか?」


 海里は相手のことを、じとーっと睨む。


「つまんない。答えてくれてもいいじゃない。家族と過ごしたいとか、美味しいものを食べたいとか、好きな人と過ごしたいとかさ」


 そういった〝例えば〟が並べられても、風磨の表情は変わらない。


「先輩は今言ったことを、やりたいとか?」

「三年だし、残り一年。余裕がありそうなキミに、手伝ってもらおうかな」


 話の流れからして何を手伝うのか、全く想像ができない。「手伝いって……?」あからさまに不安が表情に出る。


 どこまでも素直に聞いてくれる風磨に、海里は目をぱちくりさせた。「嫌ですって言わないのね」


 笑いかけながら、一歩……また一歩と距離は縮められ囁いた。「午後の授業、一緒にサボって」


 読みにくい話の流れ、軌道修正する隙が見当たらない。

 会話が聞こえたのか、まわりに居た生徒が数人、二人を見る。ひそひそ話をする仕草。風磨は自分の席へ足早に戻ると、スクールバッグを乱暴に取った。

 その様子を大翔は目で追いかける。海里と行ってしまうのを、興味深く見た。



 真夏ほどの暑さは無いものの、アスファルトには、二つの影がしっかりとある。風磨の三歩前を、海里は歩いた。


「──ふふっ、サボっちゃったねぇ」


 後ろで歩く風磨をちらりと振り返る、さらりと流れる髪。派手な行動をする割には、見た目は落ち着いているどころか模範的な海里。

 風磨は容姿を凝視していたが、返事待ちをしていることに気付き、見るのを止めた。


「あの場所に、まわりの視線を流せる余裕が無かった、それだけです」

「でも先生に報告してない」

「一応、模範生だし。今回くらいはいろんな言い訳が使えるから……問題ない、はずです」


 歩く速さをゆるめ、海里は風磨と肩を並べる。


「私も一応、問題なくきた模範生だから、なんとかなるとは思ってるんだけど」

「それで、何をするんですか?」

「キミは何がしたい~?」


 教室まで来て、一緒に学校を出て、何もない。風磨は感情任せに、睨むように横を向いた。

 海里は右手は軽く握り、爪を眺める。──唇が、ちいさく動く。


「今のクラス、二年のときにいざこざがあった人たちと同じで、私にとっては上手く使われてるように見えたんだ。イジメじゃないかって言っちゃった」


 何かに気づいて行動するなんて、なかなか出来ることではない。それなのに、海里の表情は後悔してる、そう語った。


「頼みを引き受けることで、それが居場所になってたんだって。担任を通して言われた。本人もイジメかもって疑ってたときがあったらしいんだけど、頼まれることで独りじゃなくなるから、嬉しかったらしいの」

「そういう関わりがあった人達と同じクラスなんですね──」

「うん、そう。居心地悪くなっちゃった。そうしたのは私だけど」


 なんて声をかけたらいいのか、開いていた口を閉じた。けれど居場所の必要さは、わかる気がするから。

 風磨は前を見つめる。


「美術部の、幽霊部員にでもなります?」

「冷静なキミがそれ言うの?」


 状況を知った上でなんとかしたくなったのに、淡々と言われては恥ずかしくなる。前に向いていた視線は、徐々に落ちていった。


「安心できる場所になるかはわかりませんけど、美術室前の廊下とか、空いてるんじゃないですかね?」


 どうするのが正解なのか、小首を傾げて、頭を掻く。

 笑い出す海里に、風磨は少し落ち着き、ちらりと見る。


「オススメされたから、行ってみようかな」

「静かで日当たりが良くて、建物の端っこだし、秘密基地っぽさがあるんですよねー」


 ふふっと、吹き出した。「なんの紹介よ、物件?」


 返事と、どうやら気に入ったらしい、海里はしばらく楽しそうに笑っていた。


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