私は青春を免罪符としてつかった

糸花てと

第1話

 蛍光灯のうすら明かり、コクリ……コクリと居眠りをしていた男性教師は不意に、目を開ける。

 腕時計を見たあとカウントダウンをするように、足先をトントン――と鳴らした。


 間髪入れず、パンと手を叩く。


「はい、中間テスト終わり」


 言った数秒後、チャイムが鳴った。伸びをする、友達と話す、欠伸をする。

 テストから解放されて、ゆったりとした空気が、教室に広がっていくみたいだった。


 開いた窓から風が入った、カーテンがふわり、揺れる。

 雲にうっすらと覆われた空を、男子生徒は退屈そうに見上げた。


「風磨ー、また明日なー」


 彼の斜め後ろから声が掛かる。新しい生活になり数ヶ月といったところ。

 波木風磨なみき ふうまはクラスメイトからの挨拶に、「また明日」と片手をあげて返した。


 中学のときは好きなことを優先して、周囲とは変な距離になってしまった。

 無理して運動部を選んでいれば、一人になるのは避けられたかもしれない。でも自分に嘘をつきながら、それでもやっていけるのかと――どうしても疑問が残ってしまう。


 開き直って、中学の延長から美術部を選んだ。だけど高校ではクラスメイトから自然な挨拶がくる、何気ないことでも風磨には嬉しいことだった。

 決まった人との行動はまだ無いものの、疎外感を感じることなく程よい距離のまま、学校生活は進んでいた。


 テスト期間が終了した昇降口、間を縫うように人混みを抜けて、上履きのスニーカーを履き替える。

 外へと歩き出す。生ぬるい風を受け、苦いものでも食べたような表情になった。


 電車通学の生徒に紛れて、一歩々帰り道を歩く。歩道からはみ出している生徒がいるのか、車が慎重に進んでいた。

 その後ろを自転車通学の生徒がゆらゆらとペダルを漕ぎ続く。

 電車へ乗る集団をかき分けて、前方にある坂道へと歩幅を大きく歩いた。橋の真ん中まで来て、風磨は顔を上げた。


 雲の隙間からは太陽がのぞく。生ぬるく、肌に残る風ではあるけれど、春の新しい季節。

 おもいっきり息を吸って、吐き出した。ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。

 買ったばかりの新しいスマートフォンに、その瞬間の風景を記録する。


 保存の処理が終わり、再びカメラが起動する。画面の隅に、さっきまで無かった人の姿があった。

 興味があるのか、女子生徒は風磨を見たままその場を動こうとしない。女子を見て、スマートフォンの画面を見て、行動を全て見られていたのかと考えを巡らせたら、風磨はその場から早く立ち去りたい気持ちに駆られた。

 ブレザーのポケットへ慌てて、スマートフォンを突っ込む。

 思い切り顔をそむけ、早歩きになった。


 母校の中学から伸びる横断歩道、点滅を始めた青信号に、少し駆け足で渡りきる。

 広い道があり、枝分かれするようにして、家は建っている。途中から緩やかな勾配となっており上には、まわりを見渡せる公園となっている。


 風磨は足を止めた。スマートフォンで時間を見たあと、公園へと歩いていく。

 シーソーにブランコ、ジャングルジム──公園といえばこれだろうと想像しやすい遊具があるだけの、ちいさな空間。


 スクールバッグを地面に置いた。足を掛ける、スニーカーの底が滑らないのを確かめて、手を上に伸ばす。

 上まで到達し、座り、身体を安定させる。春のやわらかな風、毛先がふわっとあがる。


「ねぇ、なにが見えるの?」


 突然の女の人の声。肩がぴくりと反応する。ゆっくり、ゆっくり、視線を下げていって目を合わせた。

 口が〝あ……〟と動くのを誤魔化すように「えーと、屋根がよく見える」と答えた。橋のところで見掛けた女子だと合点がいったからだ。


「なにそれ。良い景色が、とか言わないの?」

「良い景色を見るには、高さが足りない気がする」

「ふーん、そっか」


 企む口元。女子生徒は風磨が置いていたスクールバッグの横へ、自身の鞄も置いた。

 するするとジャングルジムを登り、すとん、と彼の右隣へお尻を乗せた。初対面の相手、戸惑いから風磨は数センチ横へズレた。

 風になびく髪を耳に掛ける、慎重に顔をあげた。


「えー、景色良いじゃない。キミは残念みたいだけど」

「そうですか? 想像できる景色だと思いますけど」


 女子生徒は風磨の顔を覗き込んだ。が、風磨は目だけを動かして、様子見をする。少しの沈黙、試すかのように彼女はわらった。


「ねぇ、キミはここから、飛び下りれる?」


 目は段々と下がり、下を向いた。沈黙。何か言わなければと、震える口は意思を示す。


「出来ないことは無さそうですけど、やりたいと思わない」

「どうして?」


 小さな子が何にでも興味を持ったような、答えを急かす勢いで質問は出された。


「危ないじゃないですか。それに高校生だし、やっていい事と悪いことの区別はするべきでしょ」


 当然だろう、といった風磨の考えがしっかりと声色に込められる。


「大人でも、いけない事をする人はいるじゃない?」


 足が上下にゆらゆら、女子生徒はうつむき考える。


「ここから飛び下りれるかどうかの話ですよね? 危ないからやめた方がいい」

「怪我をするかどうかは、本人次第じゃない?」


 支えの少ないジャングルジム、彼女の手はふわり、舞った。

 地面はすぐそこではあったが、いろんな想定を巡らせ彼の表情は強張る。意を決した瞳から行動へと踏み切った。

 手を掴み、少し浮いていたお尻は元の位置に戻る。反射で彼女は手を引くけれど、力の差に諦めの色が表情に出た。


「びっくりしたー、なんでよ」

「男で怪我するのはどうでもいいとして、女の子でそうなったら、親が心配するでしょ」


 言ってすぐ、風磨は手を離した。目を泳がせそっぽを向いた。


「人の手って、こんなに暖かいんだ」


 ポツリと女子生徒はこぼした。なびく髪に表情は読み取れ無いが、声色は今にも泣き出しそうで。


「春の陽気がそうさせてるだけだと思いますけど」

「キミがそう言うなら、そうしておこうかな」


 どうしたらいいのか、現実的なことしか言えない風磨は頭を掻いた。予想していない事の連続に、女子生徒は足をゆらゆら楽しげにした。


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