第19話 二人と一匹の決意

 岐視点


 鬼が消え去ったあと、俺はホロンと妃、巡の容態を診ていた。

 ホロンは、鬼が傷を癒やしてくれたため、腹の傷は完全に塞がっていた。だがまだ意識がなく、今も眠っている。妃には体に異常はなく、気絶しているだけのようだった。巡は意識があったが、気が動転しているのか、どこか危うい雰囲気をまとっていた。


「おい、大丈夫か?」


 心配になり、声をかける。虚ろな目がこちらを向く。巡はこちらを一瞥するだけで返事をしない。


 周りを見ると、ユニコーンの姿が見えない。それにマンホールを中心に、血が飛散していた。なにがあった?


「巡、一旦ここを離れよう。すぐに人が来る」


 巡が何も言ってくれないため、現状を把握できない。俺は仕方ないと思い、事を進める。もしこの場に警察にやってきたとして、この状況を説明するのは不可能だ。異世界からやってきた神がやったんです、なんてバカ正直に言うわけにもいかない。


 俺の提案を受けても、なおも巡は動かない。耳にははっきりと届いているのだろう。だが無視をしているという感じではない。まるで自分の体が言うことを聞かない、というような感じだった。


 俺は巡のことは一旦放っておいて、ホロンを背負って、妃の方へと向かおうとする。そのとき――


「何も………できなかったんだ」


 巡がこちらにそんな言葉を投げかけてきた。


「あいつの顔を見た瞬間、思い出した。あの地獄を。今でも思い出すと、震えちまう。不甲斐ないよな、意気揚々とやってきたのに、こんなザマなんて……」


 巡はわなわなと震える自らの手を見つめ、自嘲するように笑う。ことの詳細はわからないが、どうやら巡は足がすくんで何もできなかった、ということなのだろう。しかし、それを責めるつもりはない。いや、そんな道理なんて無い。巡は被害者なのだ、こうして一緒についてきてくれただけでも十分だ。それを気にする必要なんて無い。


「けどここでリタイヤなんてしねぇ。ゼシルは純粋悪だ。あいつは生きてるだけで他人を不幸にする。ここであいつを逃せば、大勢の人が死ぬ。これを見逃すわけにはいかない。止めきゃならねぇ。この力があれば、ゼシルの目論見も阻止できるかもしれない」


 そう言って、巡が勢いよく立ち上がる。まだふらつくようだが、それをなんとか気力で押さえつけているようだった。


「次は足手まといにはならねぇ」


 そのとき、マンホールの中から、ユニコーンが顔を出してきた。ユニコーンは身体をマンホールの中から完全に出し、馬よりも少し大きい通常のサイズへと戻った。


「すまん、ゼシルを逃がしたわ」

「そうか……、こっちも仮面の男を逃した」


 今回の騒動の、主犯と思われる人物二人。そのどちらともを逃した。こちら側の圧倒的敗北。それは誰もが思うところで、少し、沈黙が流れた。


「とりあえず、ここから離れるで。もう根城はないんやし、拠点を探さな」


 ユニコーンの言に従い、巡は妃を、そして俺はホロンを背負って乗る。ふと、家のあった場所を眺めた。そこにはたくさんの思い出があった。拾われた当初は全く馴染めなかったが、今ではここが俺の安らぎの場になっていた。それが今では瓦礫の山と化し、面影を見ることもできなくなっていた。

 もう戻ることはできない、そう覚悟した。

 そのとき――ふと、家に近づこうとうごめくなにかを認めた。


「ちょっと待ってくれ」


 嫌なものを感じた。

 慌てて、ホロンをユニコーンに預け、そこへと駆け寄る。


 近づくにつれ、徐々にそれがなんなのか、鮮明になっていく。

 冷や汗が背を伝う。鼓動の音がうるさい。呼吸のしかたさえも忘れるようだ。


 どうしてこんなにも嫌な予感が止まらない? なぜ恐れる? なにが怖い?

 ――わからない。俺にだってわからない。ただ本能的に怯んでしまう。見てはいけないものを見てしまうかのように。

 ただの勘違いであってくれと。嘘であってくれと。そう自分に言い聞かせてなんとかたどり着いた先には――


「父さん?」

「く、な…………と?」


 肉塊。見るも無惨な姿と化した父さんの姿がそこにあった。


「くなと、たいへんなんだ、いえが……いえがこんなになって………ごめんな、すぐになおすから…、だいじょうぶだ、しんぱいするな、みんなでくらせるようにしてやるから、だいじょうぶだ」


 カタコトではあるが、そう言ったんだと思う。思う、とは、途中、音にならない部分があり、口の動きでその内容を補完するしかなかったからだ。

 肉も骨も全部が混ぜ込められたような出で立ちだが、四肢がなくとも、俺の父さんだった。そしてこの様相、見覚えがある。考えるまでもない。死者のゾンビ化。父さんはもうゾンビにされていたんだ。


「父さん」

「うん? どうした……? くなと?」


 そっと、父さんに近づく。身体のいたるところから血が吹き出し、肉がぶちぶちと断裂していた。まだ痛覚があるのだろう、父さんの目からは涙が出ていた。だが、父さんは俺に惨めな姿を見せないように努めていた。必死に痛みに耐え、声を我慢していた。


 だったら俺は――その意地に、気づかいないふりをしてやるべきだ。


「今まで、本当にありがとう」


 俺は父さんの身体にそっと右手を当てた。


「ど、どうしたんだ……くなと? きゅうに?」


 触ったところから、父さんの身体が徐々に砂と化していく。


「父さんの子供として生きてこられて本当に良かった。ありがとう。妃もきっとそう思ってる」

「そうか……? そうか……………、やっぱり、ことばとしていってもらえてると、うれしいなぁ…………………」


 少し、父さんの声が楽になる。


「こっちこそありがとう、おまえのおやで、とうさんもうれしいよ………、おまえはむちゃばっかりするからな……、むりするんじゃないぞ……」

「ああ」


 そう言って、父さんの身体が完全に消滅した。空に立ち上る煙。それは、ゆらゆらと、天へと昇る。


 父さんは最期まで、俺の心配をしていた。そんな父さんを、俺は誇りに思う。


「岐、行くぞ」


 後ろから、声を掛けられる。俺はそこから立ち去り、ユニコーンの背に乗る。


 地上が離れていく。この街の景色が一望できた。その景色を見て俺は思った。


 ああ――殺そう。いや、殺すなんて生ぬるい。

 ゼシル、お前には生きてきたことを後悔させるほどの苦痛を与えてから殺す。


 待っていろ、必ずお前を見つけ出す――

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