第17話 鬼神の最期

 隻腕の鬼と、仮面の男。二つの人外が、今、目の前で死闘を繰り広げていた。


 次元が違った。その闘いは人間の域に留まっていなかった。

 双方の打ち付け合う拳の衝撃が離れた俺のところまでやって来る。一撃一撃が、俺のような一般人にとっては必殺。当たれば終わりの攻勢を、当たり前のように繰り出している。


 最初、その形勢は互角を保っていた。だが、徐々に鬼のほうが押され始めていた。傷の具合で言えば、鬼のほうが不利であることは一目瞭然であった。溶けた右腕、胴体に空いた風穴。


 そして、仮面男には圧倒的な優位性ゆういせいがあった。

 仮面男の篭手。そこに細工があることは、観ていてすぐに分かった。篭手で鬼の体に少し触れただけで、鬼の体がえぐれたのだ。触れるだけで手傷を負わせることができるという脅威。鬼は篭手に気を配らなければならず、常に意識が散らされる。

 もちろん、鬼も篭手をなんとかしようと、仮面男から篭手を抜き取ろうとした。だが、仮面男も十分それを承知しているのだろう、鬼が篭手を狙った瞬間、反射的に距離を取った。そして、仮面男は、確実な一撃を喰らわした後に退くという、ヒットアンドアウェイ戦法を採っていた。


 触れただけで傷を負わせられる篭手。そしてヒットアンドアウェイ戦法。抜群の相性。まさに鬼に金棒だ。


「ごふッ――、、、」


 鬼が吐血する。限界なのだろうか、鬼の足取りはどこかおぼつかない。その隙を、見逃すほど、仮面男は優しくはない。


 鬼の足を踏み、一時的に身動きを封じる。そのあとがはやかった。雷光のごとく、鬼の心臓を一差しし、臓物をそっくりそのままくり抜いた。だがそれだけでは終わらない。


 鬼の体の稼働する部分、そのことごとくに拳を杭のように穿つ。鬼の肉は爆ぜ、徐々にその“残り”も少なくなっていく。


 トドメ――そう言わんとするように、仮面男が鬼の顔面を殴りつけた。ごん、と人体から決してならないような音が鳴り響く。


「芯を捉えたはずなんだがな……。原型をとどめたか……化け物が」


 鬼の顔は骨と薄皮だけを残し、かろうじて形だけを残していた。完全な沈黙。鬼は死んだ。そう思われた――


「!?」


 そのとき、鬼の体が動いた。仮面男の足の甲を踏みつけ、身動きを一瞬封じた。意趣返しだと言わんばかりに、鬼の顔面にかろうじて残る口がニヤついて見えた。


 轟音唸らせ、迫る左腕。防御は間に合わない。

 やった。鬼の勝ちだ。そう思った。


 だが――


 ぶちり、と。鬼の左腕が寸でのところで途切れた。元々今にも千切れそうな様相だた。今の今まで保てていたのが奇跡だった。

 鬼の左腕は、仮面男の懐に確かに入っていた。だが、途中で断裂したせいで、威力が半減し、致命傷には至っていなかった。


「まだ!」


 しかしそこで諦める鬼ではなかった。仮面男の懐に入った自らの左腕を蹴りつけ、そこに衝撃を加算させた。


「――――なにッ――」


 予想外の一手。その腹への一撃によって、50メートルほどの距離をノーバウンドで吹き飛ばされた。仮面男が吹き飛ばされた地点に土煙が立ち込める。


「……ふっ、やりきれなかったか…………」


 どこか、満足感を湛えた声を上げて、鬼はその場に仰向けに倒れた。鬼の表情は仮面男が下した攻撃により、その大半が吹き飛んでおり、どんな表情をしているのか、わからない。だが、それでも声だけでわかる。


 鬼は満足している。


「あの男はもう逃げた。吾があの一撃を決めていれば殺し尽くせたが、そうはならなかった」


 仮面男のほうを見やると、そこには姿かたちもなく、すでに逃げられていた。追うことは難しいだろう。


 ぐらりと、鬼が仰向けの状態から、座り姿勢へと起き上がり、こちらのほうを見た。


「あの少女を連れてこい、傷を癒やしてやろう」


 どうやって?

 半信半疑だったが、自然と断る気にはならなかった。それに鬼にホロンを任せても大丈夫だろうという確信があった。


「どうするんだ?」


 そっと鬼の目の前にホロンを置く。すると鬼は、惛沈こんじんとつぶやき、体が緑色に変わった。


惛沈こんじんは、自分と他人の傷を一日に一度ずつ癒やすことができる。これから死にゆくというのだから、使わなければもったいないだろう?」


 単純にホロンを救いたいのではなく、能力が一回分無駄になるのがもったいない、と考えるのは、鬼の価値観ゆえなのだろう。


「貴様は、あの男を倒したいか?」


 ふと、鬼がそんな質問をしてきた。


「ああ」

「そうか。であれば、己を知れ。のが前世、その全てを思い出せば、あの男を殺すことができるやもしれん。あの一角獣は大体のことを知っているだろうが、聞き出しては駄目だ。記憶を知るのではない、己を知るのだ。他人の口から語られるのであれば、それは必然、その者の主観が含まれる。それはまことのものではないが故、もろい。己のが力のみで前世を思い出せ。他人の解釈に揺れ動かされない、ゆるぎのない真実。それが己だ。その理解の先で、あの男を倒しうる力を手に入れることができるだろう」


 鬼の体が徐々に溶けていく。


「時間だ。短い間だったが、満足だ。それではな」


 そう言って、鬼の体は完全に肉塊へと戻っていくのだった。

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