第16話 強者とは

「ホロンの権能はあとどれくらいで奪える? この女が助けを呼んでいた、急いだほうがいい」


 妃を見やり、仮面男がゼシルに忠告をした。ゼシルはホロンの胸に手を刺し入れ、権能を奪う作業に集中していた。


「数十分はかかるかな。ホロンの場合、権能が複雑だから引き継ぐのにも時間がかかるんだ。そもそも魂の存在なんて、この子が嫉妬の神に就くまでは無いと思われてたほどだからね」

「それなら場所を移すべきだろう、もしユニコーンが来たら洒落にならない。俺の手に余る」

「権能の引き継ぎは一度始めたら終わるまで動けない。それに、一度中断した引き継ぎは再開することはできない、一度きりなんだ」

「難儀だな」

「この縛りがあるからこそ、16柱の神の均衡が保たれているのさ。無制限に権能が奪えるなら、僕が最強になっちゃうよ」


 ふふ、とゼシルが薄く笑う。


「?」


 ふと、仮面男はたおれる鬼吉の姿を見て、あることを疑問に思う。憤怒の神を倒したとき、あれは元の瓦礫に戻った。であれば、召喚された鬼吉も元の肉塊に戻るべきだ。だが、そうはなっていない。


 つまり――


「――――!?」


 そのとき、視線の反対で、ゼシルから声にもならない悲鳴が上がった。見ると、ゼシルの全身から血が吹き出していた。


「どうした? なにが起きた?」


 ゼシルを抱える。ゼシルの状態は悲惨なものだった。すでに半身が損壊していたのだから、もはや虫の息となっていた。


「………別の魂だ。別の魂を………入れられた……」

「なるほど、魂の混在か……。一つの体に二つの魂は“がわ”が耐えきれないか…」


 生きとし生けるもの、一つの肉体に宿す魂は一つだけである。だが、ホロンが無理やりゼシルへ別の魂を流し込んだため、ゼシルは今不安定な状態になっていた。肉体が、本来の魂か、別の魂かで、右往左往しているため、その肉体はどちらの魂をもとにすべきか永遠の矛盾を抱えている。


 気絶しているホロンを見て、仮面男は少し感心する。

 権能は意識的に用いる。しかしホロンは意識がない状態で権能を行使した。神業だ。


「ゼシル、権能は奪えたか?」

「………半分くらい、かな」

「その状態で俺の目的は叶うか?」

「ごめん、多分無理だ」

「そうか、なら徒党もここまでだな」


 そう言って、仮面男は無惨な姿となったゼシルをそっと地面に置く。


「元々俺たちの目的は違う。ただ手段が同じだったから徒党を組んだ。だがこうなっては組む意味もない。恨め」

「…薄情者が」


 ゼシルの恨み言を一身に受け、仮面男がその場から去ろうとした。その瞬間だった。


 目の前になにかが落下してきた。落ちきたそれは、人だった。


「お前ら、二人になにをした?」


 佐藤 岐。それが仮面男とゼシルの前に立ちふさがった。


 ◇


 妃からの連絡を受け、俺はユニコーンの背に乗って空を駆けていた。


「別にお前も来ること無いだろ?」


 同じく、ユニコーンの背に乗るめぐるにそう言った。


「寂しいこと言ってくれるなぁ、おい。ダチが困ってるんだから助けてやるのは当たり前だろ」

「恥ずかしいこと言うなこいつ」


 駄弁っているが、俺の内心は穏やかじゃない。妃に危機が迫っている。今まで一緒に暮らしてきた人間の命が脅かされている状況にどうしようもない焦燥感を覚える。


「不安がったってどうにもなんねぇぜ、人が死ぬのに前触れなんてない。大事な人間もそうだ。覚悟、決めてんだろ?」


 巡が俺の胸中を見透かしてか、そんなことを言ってきた。


「お前、人励ますの下手だろ」

「そうかぁ?」


 すでに家族を失っている巡だからこその出た言葉なんだろう。説得力がある。だが今は少しでも希望を持ちたい。たとえそれが楽観的であっても。


「なんや、あれ?」


 突然、ユニコーンから驚きの声が上がる。つられて、俺たちもユニコーンが見た方向を見る。そこには、見慣れた住宅街が広がっている――はずだった。

 そこにはポッカリと空いた穴のように、なにもかもが消失していた。


 俺の家があるはずだった場所を探す。だが、建物の一切が消し飛んでいるため、どこがどこだか分からなかった。


「おい、あれ誰だ?」


 そのとき、巡があるところを指差す。

 四人。近づくにつれ、誰かわかった。妃とホロン。二人が倒れていた。


「ちょ、おい!?」


 巡の声を背に受け、ユニコーンから飛び降りるのだった。


 ◇


「どけ転生体、お前と戦うのは不毛だ」

「いいから質問に答えろ。二人になにをした?」


 仮面男に寄りかかり、首を締め上げる。が、つい目を見開いてしまう。その首は鋼鉄のように硬く、締め上げても全く指が沈み込まない。


「お前、なんだ?」

「知る必要はないな」


 仮面男に右腕をひねられ、後ろへと身を翻そうとする。だが、俺はそれを受け流し、逆に仮面男を投げる。仮面男はそれをものともせず、ひらりと着地する。


 こいつ、強いな。数度合わせただけでわかる。単純な筋力と身体能力、そのどれもがトップレベルだ。捕まれば一瞬で畳み込まれるだろう。


なによりあの堅さ、そして重さ。まるで重心が地の底にあるようだった。さっきのは、向こうが退いてくれたから投げることができた。次はないだろう。


「…………」

「…………」


 互いに睨み合い、構える。彼我との距離はおよそ5メートル。

 一歩を踏み出す。全神経を結集させ、仮面男の一挙手一同を捉えながら、攻勢に移る。


瞋恚しんに


 瞬間――目と鼻の先にいたはずの仮面男が消えた。比喩ではなく、視界から消えた。


「お、鬼……?」


 思わず唖然とする。仮面男が立っていた場所に入れ替わるようにいたのは、全身が青色の鬼だった。


「ゲッゲッゲ……貴様、妙な気配がするのう」


 遠く、そこには鬼によって吹き飛ばされたであろう仮面男が膝をつき、倒れかけていた。おそらく鬼が体当たりをし、吹き飛ばされたんだろう。

 鬼のその巨躯。そこから放たれた体当たりは一体どれほどの威力なんだろう。仮面男はあれを受けて未だ健在。しかし、俺が受けたら木っ端微塵だ。


 鬼は、胴体に拳大こぶしだいの風穴が空いており、さらには右腕が途中で溶けていた。明らかな致命傷。だのに、鬼は平然としている。


 俺には、仮面男よりもこの鬼のほうがよっぽど恐ろしく思えた。全身にのしかかるプレッシャー。おもわず跪きたくなるほどの貫禄を感じた。

 霊長の王。畏敬の念さえ抱く。


「あんたは、なんだ?」


 恐る恐る声をかける。じろりと鬼がこちらを向く。一瞬、か弱いウサギが百獣の王と対するような構図が浮かぶ。それほどの絶望感。いつ命を刈り取られてもおかしくない状況。だがなにもしないで、死ぬのはあまりにもったいない。せめてなにかを遺して死ぬ。そんな使命感に背中を押され、俺は目の前の鬼に、敵か味方か、という意図の質問をした。


「なんだ? とは?」


 意外、鬼は真摯に答えてくれた。口を出した瞬間に殺されるとも考えていたが、杞憂だった。

 そして、鬼の返答から推察するにこちらの質問の意図を把握できないというものだった。これはこっちの言い方が悪かった。


「あんたは俺の敵か、味方か? 俺はあの仮面の男を倒さなくちゃいけない。そこで、あんたはなんだ?」

「吾は好敵手を求め、闘い続ける。貴様の回答に答えるのならば、あまねくは問答無用で敵。あの男も、貴様も」


 鬼はずんずんと、仮面男のほうへと向かう。まるでこちらに興味が失せたかのように。


「――貴様はなぜこの男を倒さなければならん?」


 気まぐれだろうか、鬼がそんなことを訊いてきた。

 俺がこの仮面男を倒そうとする意味。

 なぜ? それはなぜだ? 状況はまだ完全に把握できていないが、こいつがゼシルに関与していたことは紛れもない。そして、妃とホロンに危害を加え、さらには父さんの消息不明にも関与していはずだ。

 ならば、その理由を挙げるとするならば――


「家族や大事な人が、こいつらのせいで危険な目に遭う。だから――」


 ――ぱん

 と、鬼に頬をはたかれた。地面に倒れる。頬がじわじわと痛む。おそらく加減したんだろう。鬼が本気で叩けば、俺の顔面は吹き飛んでいたに違いない。

 痛む場所を押さえ、目を丸くして鬼を仰ぎ見る。


「愚か。まこと、愚かなことよ」


 そこにはわびしい表情の鬼が佇んでいた。


「他人のために戦おうするその気概、弱者の在り方そのものだ」


 鬼はそうはっきりと断言した。俺には理解できなかった。他人がいるからこそ強くいられる。人は独りではないのだ。


「どうしてだ、他人のために戦うことのなにが悪い。人は他人との繋がりで強くなれる」

「他人のために戦うこと、それ自体に善も悪もない。じゃが弱い。事実、お前は弱い。ほんの一捻りだ。ほんの一捻りでお前は死ぬ。手加減が難しいほどに。貴様のその勘違いは自らを弱くするばかりだ。他人を戦う理由に用いるな。どれだけ他人を用いたとしても、戦うのは自分独り。死ぬのも自分独り。自らを極めたものが強者となる。強くなりたければ、その幻想は捨てろ。少なくとも、あの男を倒すには強くならなければならん」


 鬼がこちらに背を向ける。ちょうど、仮面男が立膝を着きながら、なんとか立ち上がる。


「お主はなぜ戦う?」


 鬼は口端から血を流し、仮面男ににやりと笑いかけた。


「世界を、俺の納得のいくように変えたい、ただ――それだけだ」

「見事‼ 実に利己的! やはりお主もそうよのう。見ておれ、小僧。これが強者の土俵。ここまで来れるか?」


 勝負の撃鉄が落とされた。二人が激しくぶつかり合う。


 次元が違う。究極の独りよがり。こいつらの世界には自分以外の有象無象は存在しない。しかし強い。破滅的に強い。この世は理不尽だ。こんな奴らが強く居られてしまう。だが、そうではない。理不尽なんてものは誤った認識かもしれない。


 情けは人の為ならず。

 善い行いをすれば、巡り巡って自分に返ってくる。幸福の循環なんてまやかしを都合のいいように自分に言い聞かせているだけ。自分を貫き通せないから、それにすがりつくしか無い。弱者だから、強くなれないから、自分はそうすることで救われると思いこむしかない。


 人は強くなれなかった。誰もが弱い。

 だが、今、目の前の二人は紛れもない強者。


 つい――思ってしまう。こんな強者になれたらと。

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