第15話 鬼の執念

 シエラが殺される瞬間を、妃とホロンは見ていた。妃は急いで岐の番号へと連絡した。人は危機が迫ったときに、本性が現す。妃の場合は岐に頼るというのがそれだった。


 電話がつながる。


「助けて――」


 その言葉は最後まで紡がれることはなかった。仮面男に携帯を破壊されたからだ。

 先程まで遠くにいた仮面男がいつの間に目の前まで迫っていたのだ。


 そして流れるように仮面男は拳を振り上げ、まるで金槌かなづちを振り下ろすように打ち付けようとする。

 ――殺される。恐怖のあまり妃はぴくりとも動けなかった。


 寸前に差し迫る死。だが、ホロンが仮面男を胴体にしがみつくことによって、その軌道が逸れる。ホロンはしがみつく勢いで、拾った石を仮面男の頭部へ叩きつけた。

 仮面男が怯んだ瞬間、ホロンは妃の手を引き、死にものぐるいで逃げる。


「待て」


 再びだ。再び仮面男がすぐ傍まで来ていた。気配が希薄なのか、仮面男の接近をまたしても気づけなかった。


 再び迫る男のかいな。そのとき、鋭い雷光が目前に落ち、遅れて耳をつんざく轟音が鳴る。その衝撃に妃は思わず、両目を覆う。


 辺りが煙に包まれる。空中にバチリと電流が走った。その中心には仮面男と、そして――


「………憤怒の神。魂の召喚しょうかんか……」


 仮面男は目の前にいる女性をそう言った。

 憤怒の神。それはホロンによって飲み込まれた神。

 ホロンは死の危機を感じ、本能的に飲み込んだ憤怒の神の魂を近くにあった瓦礫に吹き込んだ。魂を吹き込まれた瓦礫は魂に引き寄せられ、女性の姿へと変貌。仮面男の行く手を阻もうとしていた。


「邪魔だ」

「………!」


 憤怒の神は言葉を発することなく、仮面男へ高出力の電圧を浴びせる。

 その間、ホロンは辺りを見回す。シエラが周囲を吹き飛ばした影響で、身を隠しながら逃げることはできない。もはや逃げることは不可能。

 ホロンは決断をする。


「妃、ここであいつを倒す」

「で、できるの?」

「今のでなんとなく掴めた。嫉妬の権能の、魂を司る能力。これを使えばあいつを倒せる」

「私は……どうすればいい?」

「逃げる場所はない、私から離れないで。それが一番安全だと思う、多分」

「わかった」


 ゴクリと、妃の喉が鳴る。岐がホロンを守りたいという理由を垣間見た気がした。ホロンは妃のことを見捨てず、命がけで戦おうとしてくれている。信頼しないほうがおかしいだろう。


「次はなにを呼び出す?」


 煙が立ち込める中、仮面男が声が響く。ふっと煙から現れた仮面男の手には見るも無惨な姿となった憤怒の神があった。それは元の瓦礫の状態へと戻り、砂と散る。


「なっ――……!?」


 急いで次の使者を召喚する。


「来い!」


 ゼシルが使った肉の壁の残骸を使って、次の召喚をする。応じ現れたのは、頭に二本の角を持ち、身長は2メートルをゆうに超える者だった。


鬼吉おにきちか……」


 静かに、仮面男が構える。それに応じるように、鬼吉と呼ばれた者もずっしりと構えた。


「吾を召喚した子よ、感謝するぞ。この男と再び相対することが吾の悲願だった」


 鬼吉はホロンを見やり、感謝の言葉を伝える。優しい顔つき。だが身躯を見ればわかる。戦士の中の戦士、数の数の修羅場をくぐり抜けた来た者の顔つきだった。


 瞬間――仮面男と鬼吉の拳がぶつかり合う。ゴギリ、鋼と鋼が激突したような衝撃が走り、大地がめくれ上がる。


「ほう、腕が消し飛んだ。その篭手になにやら細工があるな?」

「種明かしはそっちでしてもらおうか」

「ああ、ではじっくりと考えよう。惛沈こんじん――」


 惛沈こんじん

 そう唱えた鬼の全身が、赤色から緑色に変わる。それと同時、先程まで無かった片腕が元通りになっていた。


疑惑ぎわく


 さらに鬼の体が、黒色に変わる。

 先に仕掛けたのは、鬼の方だった。鬼の攻めは慎重だった。仮面男の篭手に触れないように立ち回り、確実にダメージを蓄積させていた。


「調子に乗るな」


 応酬に、仮面男が放った拳は、鬼吉に華麗に見切られ、絡め取られる。それによって空いた脇腹目掛け、全体重を載せた一撃をお見舞いされる。


「が――ッ」

「まだまだこれからじゃぞ? 貪欲とんよく!」


 鬼の体の色が赤へと変色する。

 鬼吉は仮面男の両手を握り上げて封じ、がら空きになった胸へ膝蹴りを叩き込む。


「うッ――ぶ……!」

「まだまだ‼」


 鬼吉は両手を掴んだまま高く飛び上がり、仮面男の腹に足を載せ、そのまま地面へと着地した。


「ほれほれ、気分はどうじゃ?」


 鬼吉は、仮面男の胴体をどしんどしんと踏み鳴らしながら、ゲラゲラと笑い上げる。


「………いい気分だ、有頂天のお前をこれからどん底に叩き落とせるんだからな」

「口だけの強がりじゃな!」


 そのとき、鬼吉の腕がドロリと解けた。


「なに?」

「王手だ」


 仮面男は身を起き上がらせ、拘束から解放された腕で鬼吉の腹を殴りつけた。鬼の腹は貫かれ、向こう側にいるホロンと妃が見えた。


「…なにをした?」

「俺はなにもしていない。盤上を把握していただけだ」


 仮面男は鬼吉の後ろのほうを見る。つられて鬼吉も同じ方向へと視線を向ける。


 そこには――ホロンの体内に手をねじ込む、半身が爛れ落ちたゼシルの姿があった。妃は気絶しており、地面に倒れ伏していた。


「喚び出されたものの対処には、まず術者を排除する。定石だ」

「……お主はなぜ吾と本気で闘ってくれないのだ? 吾はただお主と純粋に殺し合いたい」

「ふん、負け勝負を挑むほど馬鹿ではない」


 鬼吉は寂しそうな表情を湛え、ずんと、倒れるのだった。

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