【感想】円城塔「内在天文学」解題(後編)
物語の後半,「内在天文学」というタイトルの意味は少しニュアンスを変える.リオと爺様いわく,人間たちは「急速に頭が悪くなり続けて」いる.そのため,宇宙の見え方がどんどん変わっていってしまっている.星は凄まじいスピードで増減し,月には目があって瞬きし,オリオン座は右を向いたり左を向いたりする.しかも,ある人と別のひととのあいだで,宇宙の見え方は必ずしも一致しない.従って,「天体を観測しようとするだけなのに,自分の内面なるものに向き合わなければ始まらない」.
仮にそうだとして,宇宙は我々の認知とは独立に実在していてただ我々の認知が変わっているだけ,つまり我々がこの宇宙を間違って感じているだけだと考えるのが穏当だろう.しかし,そうではないとリオは言う.曰く,「感じられないから考えるんだ」.今自分が感じていることを間違っていると考えることはできても,実際にそう感じてしまっている事実は否定しようがない.爺様は爺様で,「誰かが何かを観測することにより,何かはある」と主張する.語り手は言う.
「あるときみんなが考えたのだ.何をなのかは知らないが」
「それは一つの目に凝り,空に浮かんだ」
「僕らを見下ろす月として」
人間の認識が天体のありようを変えてしまう.そういう宇宙に彼女らはいる.
だとすれば,そんな宇宙をどうやって理解したらよいのだろうか.リオと爺様が採用するのは,自然科学においてあまりにも一般的な方法論だ.ある理論にもとづいて現象を予測する.そして現象を観測する.理論の予測と観測結果が整合するなら,その理論は妄想ではなく,この宇宙のことを良く記述できているのだろうと期待する.これは自然科学において,理論の正しさを保証するほとんど唯一の方法である.
彼女らが予測するのは月蝕だ.天体の蝕の予測は,天文学が占星術だった時代から試みられている,自然科学の原点中の原点である.むやみと突飛な想像をするのではなく,こういうところでしっかり原点に立ち返るのも,円城塔作品にしばしば見られる特徴である.もっとも,この小説で観測される月蝕は,目のついた月に輪をこちらへ向けた土星が重なるという,我々の知る天文学ではあり得ないものではあるのだが.
しかし,理論と観測結果の整合性が理論の正しさを保証すると思えるのは,この宇宙は我々の認識や思考とは独立の実在だと信じるからではないのだろうか.ある理論によって宇宙を認識したとたん,宇宙のほうがそのありようを変えてしまうのだとしたら,そもそも理論の正しさとは,宇宙を理解するとはなんなのか.
それでもなお,リオは言う.
「そんなことはないよ.わたしたちはきっと理解ができる」
「そんなこと,できるわけがない」
と言う語り手に,今度は爺様が言う.
「まあそう弱音を吐くな」
そして,この宇宙を理解しようという無謀な試みを,「大冒険さ」と嘯く.
ほとんど蛮勇と言ってよいリオと爺様の姿は,この小説を読む科学者を鼓舞しているようにも思える.
物語の最後,語り手はリオの冒険についていくことを決意する.
「僕の体が,僕の頭を置き去りにする」
感じられないから考えるのだ.宇宙を理解しようという大冒険に繰り出すには,思考よりも先に,この宇宙に体を投じて実感しなければならない.これは,考えることで宇宙を理解しようとする自然科学の限界を問うているのか.あるいは,自然科学もまたそこから始まるということだろうか.
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