【感想】円城塔「内在天文学」解題(前編)

 円城塔は物理学をバックグラウンドとする小説家である.その作品も,物理学的な発想や思考に強く支えられている.私は彼の小説が好きなのだが,読んだことのある友人知人に円城塔作品の感想をたずねると,大概は「難しい」「わからない」と返ってくる.「読めない」というひともいる.べつに私の交友関係内部に限った話ではなく,短編集『後藤さんのこと』は発行元の出版社によって「ためにならない」「言語遊戯」と紹介されていたりする.あんまりだと思う.確かに言語遊戯がテーマのひとつとして試みられていることもあるが,短編集に収録されている作品全てが無為な遊戯であるはずはない.

 円城塔の小説は,基本的にはかなり明確にテーマがあり,それを論理的に掘り下げたり,あるいは敢えて論理を捨て飛躍したりしながら,思索的に展開される.作家自身が,物理学の論文を書く中で文章の書き方を学んだと自認しているほどである.そういう思索の部分が多くのひとに理解されずにいる現状は,勝手ながら,一読者として,悔しい.


 ということで,解題を試みてみる.取り上げるのは,『シャッフル航法』の巻頭作品「内在天文学」である.単に,私が一番最近読んだ短編だということもあるが,比較的わかりやすいし,物理学という学問,あるいは認識論が大きなテーマとなっている.



 「内在天文学」というタイトルは,内的幾何学(intrinsic geometry)を連想させる.

 幾何学では,曲がった空間を考えることがある.例えば,地球儀の表面は曲がった二次元空間である.地球儀の表面を認識するには,ふつう,三次元空間のなかに地球儀が置かれているところを想像する.つまり,三次元空間のなかに曲がった二次元空間が浮かんでいる格好になる.こういうふうに,曲がった空間を考えるために,その外側にあるそれよりもひとつ次元の大きい平な空間を考えるのが,「ふつう」の幾何学である.

 しかし,これは考えようによっては気持ち悪い.考えたいのは二次元空間なのに,どうしてその外側の三次元空間を考えなければいけないのか.もしそういう認識しかできないのであれば,例えば,我々のいる宇宙が曲がっているかどうか判断しようと思ったら,宇宙の外側にある別の空間を想定しなければならない.

 そこで,ある空間を,その外側の別の空間を想定しない,その空間内部で閉じたやり方で記述しようとするのが,内的幾何学である.


 内的幾何学についてきちんと解説するには多様体だのテンソルだのといった専門的な概念が必要だし,そこは「内在天文学」の理解に必要ないので省く.言いたいのは,この作品に登場するリオと爺様による,宇宙を理解しようとする試みが,内的幾何学と大雑把には似ているということである.

 例えば,登場人物たちが暮らす町には,どこからきてどこへ向かうのかわからない線路が一本伸びていて,時折汽車が走り抜けていく.数えてみると,左向きあるいは右向きに通り抜けていく汽車の数の比は,4:1 である.ここからリオと爺様は,この町は「世界の果てまで 1/5 ほどの位置にある」と推定する.もしそうであれば,この町より右側にいる汽車の数と左側にいる汽車の数は 4:1 になるから,と.リオと爺様は,この町にいながら,この町の世界における位置を推定しようとしているのである.

 (ただし,ちょっと考えるとわかるが,汽車の本数から町の位置に関する上の結論を導くには,いくらか不自然な仮定が必要になる.例えば,線路は枝分かれを持たず,まっすぐに世界の果てから果てまで伸びているとする.さらに,汽車は線路上の任意の位置にランダムに出現し,そのあとは左右どちらかの方向に進み続け,世界の果てに到達したらそのまま引き返さず奈落の外へと落ちていく,といったような.

 しかし,物理学をかじっている人間,特に理論屋さんあたりにとっては,こういう不自然な仮定をおいて議論せざるを得ない状況というのも,ある意味馴染み深いかもしれない)


 目の前の紙に図形を描いてその図形について考察することは比較的容易である.「内在天文学」では,その図形の中に実際に身を置いてみることが試みられている.だから,

 「球は遠く離れて見れば点と同じだ」

 「無限に広がる平面は、遥か遠くから眺めてみても点にはならず平面のままだ」

 という易しい幾何学的事実から,

 「本当にどこかへ行きたいのなら、地球平面説でも信じなけりゃ」

という帰結が引き出されたりする.

 これは,他の多くの円城塔作品にも共通する特徴である.物理学や数学の法則を少しずらして,我々がふつう知っているのとは別な宇宙を想像する.そして,そのなかに登場人物を置いてみる.その人物たちをしゃべらせて,その宇宙について宇宙の内側から思索する.こうして我々は,自分が今いるのとオルタナティヴな世界を体験する.とても真っ当な SF 的想像力である.


 もう一歩踏み込むと,これは物理学的な想像力であるとも言える.物理学は,数学によってこの現実の宇宙を記述しようとする学問である.抽象的な球体や平面を考えている限りでは,それは数学ではあるが物理学ではない.その球体や平面が現実の宇宙の構造なのではないかと想像するところから,物理学が始まるのである.


 

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