第31話 大きな存在
「はあ……パンが美味しい。はあ……」
「氷雨のため息はパンが美味しいっていう感動から出てるもの?」
「違う。本物のため息……はあ」
今朝はやたらと氷雨がため息をついている。
これまでに、こんなにも氷雨がため息をつくことなんてなくて、珍しい。今もパンを一口食べる度にため息をついていて、忙しない。
「どうしたの? 何かあった?」
「月曜日は朝から憂鬱になる」
「あー、確かに。週明けの月曜って気分が憂鬱になるよね。休みが終わって悲しいって」
「それもあるけど、違う。月曜日は一時間目に体育があるから気分下がる」
「それもあるよね」
去年はそんなことなかったが、時間割りが二年生になると同時に新しくなって月曜日の初っ端から体育を受けることになった。
ただでさえ、休みが終わって体が怠けている月曜日。週初めの一番最初の授業が体育というのは運動が好きでもない限りあまり気分が乗らないだろう。
藍斗は運動が好きでも嫌いでもない。ついでに言えば、可もなく不可もなくといった感じなのでなんとも思わないのが本音だ。でも、この様子の氷雨を見る限り、氷雨はあまり運動が好きではないのだろう。以前、足が遅いとも言っていた。
「勉強もだけど、運動も苦手。だから、体育は嫌い」
「そっか。それで、氷雨は朝からずっとため息をついてるんだ」
「体育のことを考えればお腹いっぱいになる」
「お腹いっぱいになるのは今食べてるメロンパンのせいじゃないかな」
冗談なのか。それとも、本気なのか。どちらかは分からなかったが藍斗はそう突っ込んでおく。氷雨は自分を励ますようにパンを食べていた。
そんな風にして朝の休み時間が終わり、一時間目になる。体操服に着替えた藍斗は太一と一緒に体育館を目指していた。二年生になってから休日も含めて数日が経ってはいるが藍斗の交流関係は広がらず、氷雨と太一と過ごすことがほとんどだ。
「朝から体育は嫌だ〜」
「氷雨も言ってた」
「教室を出ていく時も一段と元気がなかったね」
体育が嫌な気持ちを微塵も隠すつもりがなかったようで、氷雨は着替えに教室を出ていく際も手を気怠そうにブラブラさせながら出ていった。藍斗とさほど変わらない身長も背中を丸めていたから髄分と小さく見えたものである。
「背中から哀愁が漂ってたからな」
「どれだけ嫌なんだろう?」
「よっぽど嫌なんだろうな」
そんなことを話していれば体育館に着いた。
体育は二クラスでの合同授業となる。しかも、今日は初回の授業ということで女子とも一緒に行われるらしい。
ただし、すぐ近くで、という訳ではなく体育館を半面ずつにネットで区切ってだ。
「まだ元気ないな、氷雨」
「え、どこにいるの?」
「ほら、あそこ。人集りからちょっと外れてるところで背中丸めてる」
「あ、ほんとだ。凄いね、藍斗くん。よくあんなにもたくさんいる女の子の中から氷堂さんだって気付けたね」
「凄くなんてないだろ。目立ってるし」
「うーん、目立ってるっていうのは周りが不審がって目立ってるけど、離れた場所からすぐには気付けないよ。体操服に着替えた女の子って髪型が違うだけでみんな同じにしか見えないし」
太一の言う通り、指定されている体操服に着替えてしまえば誰が誰なのか分かりづらい。ましてや、距離も遠く、顔だってはっきりと見えやしない。
それでも、藍斗は氷雨だとすぐに気付けた。太一に言われたらとても不思議に感じる。どうして、氷雨を見つけられたのだろう。他は誰一人として区別がついていないというのに。
「藍斗くんの中で、それだけ氷堂さんが大きな存在なんだね」
「友達だからな」
「でも、同じような状況で僕を見つけることは出来ないでしょ?」
「待ち合わせ場所で苦労してる」
「酷いよ、藍斗くん。僕は場所が分からないかなって藍斗くんのために先に行って待ってるのに」
「いつも感謝してます」
遊ぶ約束をして太一と待ち合わせをする時、藍斗はいつも時間ぴったりに到着する。それを見越して先に来ている太一を探すことになるのだが、これまでにすんなりと見つけられたことは多くない。存在感が強くない太一が人混みの中に紛れてしまうととても苦労する。
そのことを言えば怒られて藍斗は肩を丸めた。
「氷堂さんよりも付き合いの長い僕でそうなるんだから、そういうことなんだと思うよ」
「そういうことって大事な友達ってこと?」
「ああ、うん……そうそう。そういうこと」
「なんか、適当になってないか?」
「藍斗くんの気のせいだよ」
太一が呆れたようにため息を漏らしたところで先生がやって来て授業が始まった。担当している先生は去年から変わらず、よく知っている。暑苦しい熱血タイプであるが鬼のように厳しい指導をしてきたりはしないので藍斗は今年も頑張ろう、と気合を入れた。
今日は初回の授業ということで、親睦を深めるためにドッジボールをすることになった。こういう、遊ぶ時は遊ばせてくれる、という授業の組み方も藍斗は好きである。
クラスの中で人数を適当に半分に分けて、相手クラスと勝負する。藍斗の順番は後半で太一は前半。一人で体育館の隅の方で壁に背中を預けながら試合の様子を眺めていると。
「藍斗。休憩中?」
そう声を掛けながら氷雨がやって来た。
「俺の出番は後半なんだ。今は太一がどのくらいコートに立ってられるのか観察中」
「面白い、それ?」
「特には。することなくて、暇なんだ。話し相手もいないし」
「じゃあ、私と話してよう」
氷雨が隣に座ってくる。藍斗と同じように背中を壁に預けては楽な姿勢をとって気持ち良さそうだ。
「いいの、あっちにいなくて」
「私の出番も後半だから今は自由時間。先生が言ってた」
女子の方に視線を向ければ、男子と同じようにドッジボールの真っ最中だった。いくつもの楽しそうな悲鳴が館内に響き渡り、聞こえてくる。
「男子の方に行ってもいい、って意味じゃないと思うけど」
「そうなの?」
「周りを見て。ネットっていう垣根を超えてるのは氷雨だけだよ」
「私だけ……!」
「なんで、得意気に?」
先生から女子の方へは行かないように、と言われた訳ではない。でも、男子が女子の方に、女子が男子の方に行かないために暗黙の了解としてネットでわざわざ区切っているはずである。
それを破った高揚感からなのか、氷雨はどうしてか凄く嬉しそうに鼻を鳴らしている。動く気配が全くないまま。
「ふふっ。今日の体育は楽しい」
「悪だね、氷雨は」
「藍斗も一緒」
「いや、俺に罪はないよ?」
「同罪じゃない?」
「俺はルールを守ってるから」
「はっちゃけよう」
「嫌だよ。怒られたくない」
「藍斗は小心者?」
「怒られたくないって人はたくさんいると思う」
「私もうるさく言われるのは嫌い」
「それなら、戻った方がいいんじゃないかな」
「でも、戻らない。戻っても楽しくないし、藍斗といる」
自分といるのは楽しい、と言われているようで藍斗はまだ体を動かしていないというのに暑くなり、長袖をまくった。
「じゃあ、言い訳くらいは一緒に考えるよ。もし、怒られた時は」
「頼りにしてる」
藍斗も一人で暇をしていたところだ。
氷雨と時間を共に潰せるのなら有り難い限りである。
「藍斗は策士だから先生を論破しよう」
「そこまで期待されるとプレッシャーが」
「藍斗は頑張れば出来る子」
氷雨から期待の眼差しを向けられる。
純粋な瞳を向けられて、藍斗は氷雨のことを裏切れないなあと思った。
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