第30話 気付かない独占欲
藍斗は自己紹介が苦手である。
人前で話すのが恥ずかしいとか照れてしまうからとかではない。氷雨を相手にしているとそういう感情が芽生えることが最近は多々あるが元々はあまり緊張しない方だ。
単純に話すことがなくて、苦手なのだ。
既に始まっている自己紹介。出席番号が一番の子から名前を言うのと趣味や部活など、簡単な情報を話して拍手をもらっている。
藍斗は真ん中辺りの順番。
話すことを簡単にまとめよう、と脳内で言えそうな内容を浮かべる。バイトをしていること。趣味に関しては同じ趣味をしている人がいれば新しく友達になれるかもしれないから言うのはありだ。他には何かないだろうか、と考えても何も浮かばない。
バイトをしていることと二次元が好きです、とでも言おう。
そう考えながら藍斗はふと思った。
どうして自己紹介でこんなにも悩んでいるのだろう。
これまでの自己紹介を思い出しても名前を言って終わらせてきていた。クラスメイトと特に仲良くなろうとかは思わず、どうでもよかった。
なのに、今は趣味のことを言えば新しい友達が出来るかもしれないと考えている。変な話だ。
「
そんなことを考えていればいつの間にか二つ前の席まで自己紹介が回ってきていた。他の人のことを全く聞いていなかった、と藍斗は視線を自己紹介している女の子に向ける。
眼鏡を掛けた一見すると地味目な女の子だ。
どこかで見覚えがある、と藍斗は去年も同じクラスだったことを思い出した。そして、彼女こそが春休みに氷雨と連絡を取れるようにしてくれた藍斗にとって大事な恩人である千聖だということに気が付いた。
今年も同じクラスだったのか、と昨日は氷雨と太一が同じで嬉しくなっていたのと学校が早く終わったりしてこれっぽっちも気付いていなかった。二つ前の席に座っているというのに。
後で改めて礼を言わなくてはと決意していれば千聖の自己紹介が終わり、前の席の人も簡単に済ませ藍斗の番になった。
「土雷藍斗です。マクドナルドでバイトしてます。ゲームとかアニメが好きです。よろしくお願いします」
席を立って考えていた自己紹介を済ませて座る。
まばらな拍手が送られてきた。たいして歓迎されていないかのような、小さい拍手だ。
そんな中ですぐ隣から一際大きな拍手が聞こえてくる。氷雨だ。氷雨は凄く感心したような顔をして教室の中にいる誰よりも大きな拍手をくれる。
氷雨の優しさに藍斗の心が温かいもので満たされた。氷雨の番になったら同じように拍手するぞ、と思うほど。
それから数人の自己紹介が終わり、氷雨の番になった。
「氷堂氷雨。食べるのが大好き。誰のお弁当も取らないから無視しないでほしい。よろしく」
独特な自己紹介をする氷雨に教室の中が一瞬、静まり返る。誰もが不思議だと思っているのだろう。藍斗は誰よりも早く手を叩いて氷雨を称えた。
すると、それをきっかけに少しずつ拍手の数が増えていく。氷雨は満足したような顔でドヤ顔を浮かべていた。
「氷堂さんと同じクラスでラッキーだよな」
「うん。自己紹介はちょっと何を言ってるか分からなかったけど」
藍斗のもう片方の隣に座る男子とその前に座る男子が氷雨の方を見ながら小声でそんなことを話していた。
自己紹介はつつがなく終わり、休み時間になった。
氷雨と話そうと藍斗が声を掛ける前に氷雨は数人の男子生徒に囲まれることになった。
「氷堂さん。食べることが好きって言ってたけど、何が好きなの?」
「なんでも好き」
「美味しいラーメン屋知ってるんだけど」
「教えてほしい」
よく考えなくても氷雨が男子生徒に囲まれることになんの疑問も浮かばない。氷雨の容姿は整っている。去年からめちゃくちゃ可愛いと噂されるほどだったのだ。こうならない方が不思議なくらい。
そんな氷雨とよく友達になれたな、と藍斗は改めて思った。けど、友達だからといって氷雨のことを藍斗が独占していいわけじゃない。氷雨は誰のものでもない。
今は氷雨と話すのは無理そうだ、と藍斗は視線を前に向ける。千聖はまだクラスに馴染めていないのか一人で席に座りながら読書をしていた。
ゆくゆくは千聖にも友人が出来て、話しているところに声を掛ける方が難しくなると困るので藍斗は今の内に用を済ませておくことにする。
「千聖さん。ちょっといいかな」
そう声を掛けると千聖は嬉しそうな顔を向けてきた。かと思えば目が合った途端にすんと落ち着いた表情になる。
「なんだ、土雷くんか」
「なんだとは失礼じゃない?」
「去年、同じクラスだった人に声を掛けられても知り合いにはなれないからね。私は今年、初めて同じクラスになった子に声を掛けられたいの」
「じゃあ、自分から声を掛けに行けばいいのでは」
「そんな勇気があればこうしてないよ。人見知りするからこうしてるの」
「確かに。新しいクラスで初めて話すってなると緊張するな」
「うん。だから、月末までは一人でも耐えるしかないかなって。友達と離れ離れになったの最悪だよ」
「なんで月末まで?」
「親睦を深めましょう、のイベントがあるからね」
「ああ、なるほど。今年はバーベキューだったっけ?」
五月の大型連休を前に学年の行事としてバーベキューが組み込まれている。そこで、クラスの親睦を深めてもらおうという先生側の思惑が透けて見えるが、実際に去年も行われた流しそうめんでかなり交流関係を広げる人が多数だった。
「それまでは、誰となら仲良くなれそうか深々と吟味しながら過ごす予定。それで、私に何か用?」
「そうそう。春休みは氷雨と連絡を取れるように計らってくれてありがとうって言おうと思って」
「ああ、そのこと。別に気にしなくていいのに」
「いや、千聖さんのおかげで楽しい時間を過ごせたから」
「よかったね。まあ、それは、なんとなくで分かるけど。呼び方も変わってるし」
「それはまあ、成り行き上で」
「ふーん……付き合ったの?」
「付きっ? いやいや、ないよ。ないない。あっ、いや、氷雨がそういう相手として見れないってことじゃなくて、もしそんな関係になれたら凄く光栄なんだろうけど……そういうのはよく分からなくて」
「よく分からないって……高校生にもなって初恋がまだってことはないでしょ?」
藍斗は目を逸らした。それが答えだと伝わるように。
「ないの。意外でもないけど」
「どっちの反応?」
「別に。土雷くんと氷堂さんがどういう間柄になろうと私には関係ないけど、苦労しそうだね」
「苦労?」
「ほら、苦労する」
どういう訳か呆れたようにため息を漏らす千聖に藍斗は首を傾げた。
呆れられた理由を探していると背後から制服を引っ張られた。振り返ると氷雨が立っている。じぃーっと藍斗と千聖と交互に見ながら。
「藍斗。何を話してる?」
「春休みに氷雨と連絡を取れるようにしてくれたから千聖さんに礼を言っておこうと思って」
「そういうことなら私も。どうもありがとう」
「い、いいよいいよ。気にしないで」
ペコリと頭を下げた氷雨に千聖は挙動不審な動きで手を振った。中学時代、氷雨が一人でいた時に何もしてあげられなかったことを負い目に感じている千聖にとっては氷雨から感謝されて変になったのだろう。
「ところで、藍斗と高海は仲良し?」
「えっ?」
「藍斗が名前で呼んでる。仲良し?」
「仲良くないよ。去年も話したことあったっけって記憶にないくらい土雷くんと関わりなんてなかったし」
「名前で呼んでるのも名字が知らなくて、ラインの登録名が千聖だったからそう呼んでるんだ。でも、正直悩んでる。気軽に名前で呼んでもいいのかって」
「そういうことなら名字の方がいい。高海も本音ではやめてほしいと思ってる」
「え、そうなんだ……ごめん、馴れ馴れしくて」
「私は別にどっちでも……や、名字で。私と土雷くんの間柄だったら名字がちょうどいいよ」
「ほら、高海もこう言ってる」
「うん、ごめんね。高海さん」
確かに、氷雨の言う通りだろう。
氷雨のように仲良くなった訳でもないのに名字を知ってからも名前で呼ぶのは軽々しかった。素直に反省していれば励ますように氷雨が背中をポンポンと叩いてきた。
氷雨の優しさに有り難くなりながら氷雨を見て、藍斗は首を傾げていた。氷雨がやりきったような顔で鼻息を荒くしていたからだ。
その姿を不思議に思っていればしばらくして元通りの表情に戻り、氷雨は首を傾げた。瞬きを繰り返し、まるで、難しい問題にでも直面しているかのような顔をしている。
変なの、と藍斗は唸る氷雨を見て思った。
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