第26話 会いたかった
「だから、言っただろ。俺の妄想じゃないって」
改めて、氷雨に驚いている愛澄に言う。
「言ってないから。さっき、何も言わなかった」
「あれ、そうだっけ。まあ、いいや。氷雨は俺の妄想じゃなくてちゃんと実在する友達だから、愛澄も挨拶して」
「……土雷愛澄です。お兄ちゃんがいつもお世話になってます」
「こちらこそ、いつも藍斗にはお世話になってる。藍斗がどうして面倒見がいいのかよく分かった。妹がいたからなんだ」
「そんなに面倒見がいいとは思わないけど」
「面倒見いい。私も藍斗のことお兄ちゃん、って呼ぶ?」
「それはやめよう。同級生の女の子にお兄ちゃんなんて呼ばせてたら新学年そうそうあらぬ噂を立てられるから」
正直、氷雨からお兄ちゃんと呼ばれて何も感じなかった訳じゃない。めちゃくちゃグッときたというか、もう一回くらいは呼んでほしいという気持ちが芽生えたほどだ。
けれど、理性で耐えてやめさせておく。
氷雨は何も不思議な点はないと思っているのかきょとんとした顔で首を傾げている。
「いや、お兄ちゃんの妹はこの世で私だけだから急にお兄ちゃんって呼ぶとかやめてくれる?」
「そう。残念」
「なんで、残念がるのか意味分からないんだけど」
「ところで、愛澄はアイス好き?」
「この人、話があちこち飛び過ぎじゃない? 好きだけど」
「何味?」
「チョコ」
「チョコもいい」
氷雨の自由奔放さに愛澄が振り回されているが、早速仲良くなったようで何よりだ。初対面の人を相手に愛澄がこんなにも砕けた口調で話すのはかなり珍しく、藍斗は二人の波長が合うんだなと安心して見守る。初めて太一を家に連れて帰った時も愛澄は敬語で話していた。秒で砕けて手足のようにこき使うようになったが。
「何なの、この人。詳しく説明してよ、お兄ちゃん」
「だから、友達の氷堂氷雨さんだって」
「藍斗の友達だよ、ブイブイ」
「さっきから、氷雨はなんでブイサイン作るの?」
「そういう気分」
「気分なら仕方ないね」
「なんでそこで納得するの?」
意味があるのかないのかは分からないのだから。氷雨がそういう気分だというのだから、好きにさせてあげればいいということを出会って間もない愛澄には理解が及ばないらしい。藍斗はこの独特な氷雨の雰囲気に慣れきっているが、愛澄は混乱するかのように頭を抱えた。
「氷堂氷雨……意味分かんないんだけど」
「愛澄は氷堂さんって呼ばなきゃでしょ」
「好きに呼んでいい。私は後輩から呼び捨てにされても動じない器の広い先輩だから」
ふふん、と鼻を鳴らして氷雨は得意気に胸を張る。先輩らしさを演出出来て舞い上がっているのだろうか。何度も「先輩……いい響き」と口にしては嬉しそうにしている。
「って、ちょっと待って。氷堂ってこの前、お兄ちゃんが清水の舞台から飛んでくる、とかカッコつけながら花見に誘おうとしてた人?」
「カッコつけた訳じゃなくて、本当にそんな勢いじゃないと誘えなかったんだよ」
「はあー……とりあえず、帰ったらお母さんに報告しなきゃ。妹の私がせっかく一緒に行ってあげるって言ったのに無視して誘った相手がどんな子なのか」
「なんで、母さんに報告する必要があるの?」
「私を無視して女の子と出掛けた罰。有罪」
「厳しくない?」
「妹なんだから当然でしょ」
どう当然なのか全く分からない。が、愛澄が腕を組んで拗ねたようにそっぽを向いたので何かしら嫌なことでもあったのだろう。
そこまでは兄として理解しているが藍斗は肝心な原因についてはさっぱりだった。しばらくそっとしておこうと決めれば氷雨から袖口をクイクイと引っ張られた。
「藍斗。私は、清水の舞台から飛ぶくらいの覚悟がないと誘えない相手?」
「えっ」
「そうなら悲しい……私は藍斗にとって気軽に誘える友達じゃない?」
肩を落とした氷雨に藍斗は慌てて訂正する。
「ちがっ、う訳じゃないんだけど違うよ」
「そうなの? でも、藍斗も愛澄もそう言った」
「そうなんだけど、その……誰かを自分から誘うのって初めてで。それが、氷雨だったからもし断られたりするとって思うと嫌だなって。なかなか、誘い出せなかったんだ」
「藍斗は私に断られると嫌?」
「恥ずかしながら、用事もないのに断られたらそんな仲になれてなかったのかって現実を突き付けられる気がして」
「ふぅ。藍斗は私のことを分かってない」
腰に手を当てて、氷雨は呆れるように首を左右に振った。
「私は用事もないのに藍斗から遊ぼうって誘われて断ったりしない。むしろ、家まで誘いに来てほしい」
「それは、迷惑じゃないかな」
「連絡がなくたって歓迎する……やっぱり、ダメ。遊ぶつもりなら連絡はほしい。お菓子の準備しないとだから」
「うん、氷雨の家にお邪魔させてもらうなら連絡はするし、お土産も持って行くからそんな失礼なことはするつもりないよ」
「それなら、よかった。とにかく、そういうこと。私はもっと藍斗に気軽に誘ってほしいし、私だって気軽に誘いたい。気遣いはしても遠慮はしないでいよう。分かった?」
「う、うん」
これだけ言ってもらえて、何も変わらずにはいられない。次、氷雨と遊びたくなったら、断られたらどうしよう、とマイナスなことは気にしないで声を掛ける。
それで、もし断られてもタイミングが悪かっただけ、と切り替えて次の機会を伺えばいい。氷雨が言ったように気遣いはしても遠慮はしないでいいような関係を築けていけるように。
「それじゃあ、早速だけど。休日は藍斗って何時からバイトに行ってる?」
「シフトによってバラバラだから決まってないんだ。昼からの時もあれば、夕方からの時もあるし。どうして、そんなこと聞くの?」
「春休み中、藍斗が働いてるマクドナルドに行っても会えなかったから」
「来てくれてたの?」
「うん。藍斗が花見に誘ってくれる前に二回。藍斗に会いたかった」
バイト中、氷雨が来ないかなと考えることが藍斗には何度もあった。実際には会うことがなかったが自分に会いに氷雨が来てくれていたと知って藍斗は体が熱くなるのを感じた。
なんだか氷雨の目を見ているのが恥ずかしくなって目線を逸らす。その先で愛澄と目が合った。愛澄はなんとも言えない――強いていえば、嫌なものでも見たような目をしていた。
「お兄ちゃんのそんなところ見たくなかった」
「そんなところってどんなところだよ」
「デレデレしてるところ」
「でっ、デレデレなんてしてない」
「藍斗デレデレしてる?」
「してないよ」
じぃーっと興味深そうに氷雨が見てくる横で愛澄が眉尻を上げたままの視線を無言で向けてきて、藍斗は早く駅に着いてほしくてたまらなかった。こんな可愛い氷雨から会いたいと言ってもらえてデレデレしない方がおかしいじゃないか、と考えながら。
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