第19話 名前で呼んでみた

「……なんで、とは娘と二人で花見に行きたかったのに、ということかな? ん?」


 氷雨の父親から、顔を近付けられ藍斗は狼狽えて後退った。顔は笑っているのに得体の知れない恐怖を感じる。


「あっ、いえ、そういう訳ではなくて」

「ほほーう。それは、こんなにも可愛い娘と二人で出掛けたくないという意味かい? ん?」

「いえ、そういう訳でもなくて」

「なら、やっぱり、二人きりで出掛けたいということじゃないか。はっきりそう言いたまえ」


 どう言っても変な誤解を生んでしまう。

 氷雨と二人きりで花見に行きたかった、のではない。氷雨がいてくれさえすれば、何人でだって藍斗は構わない。

 でも、だからといって、氷雨の両親と一緒、とは想像もしていなかった。こんなのまるで、一家団欒の中に藍斗が邪魔をしているようなものであるし、すごく気まずくて居心地が悪い。こんなことなら、氷雨と二人きりがいいに決まっている。


 それに、氷雨の父親は情緒不安定なのか話が通じない。氷雨と似ている部分があるが、虫の居所が悪いようで何を言っても怒らせてしまっている。困った。


「お父さん、藍斗が怖がってる」

「娘の友達を怖がらせて何をしてるの」

「あ、いや……怖がらせるつもりはなかったんだ」


 氷雨と氷雨の母親が同じように目を細めて、氷雨の父親を見る。急に肩身が狭くなったかのように父親はしおらしくなった。

 どうやら、氷堂家のヒエラルキーは氷雨達女性組の方が上らしい。


「お父さんは怖くないですよ」

「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」


 家では、藍斗も愛澄の方が気が強く、それが嫌ではないが弱い立場にある。だから、なんとなく氷雨の父親と重なる部分があって訂正したのだが。真面目な顔でそう言われてしまった。怖い。


「もう、お父さんは引っ込んでて」

「そうね。あなたがいると話が進まない」

「酷い」

「ごめんね、藍斗」

「いや、俺は大丈夫だけど」


 いまいち、状況を飲み込めない。

 正直なところ、どうして氷雨の両親も花見に同行することになったのかを教えてほしい。


「初めまして、土雷くん。氷雨の母です。いつも、娘と仲良くしてくれてありがとう」

「ありがとう、藍斗」

「あ、いえ。こちらこそです。氷堂さんにはいつも仲良くしてもらって……氷堂さんもありがとう」


 氷雨の母親は柔らかい笑みを浮かべて、とても優しそうに見える。蒼い瞳と氷雨より短い紫紺の髪。肌は白くて、大人の女性らしくて綺麗だ。将来、氷雨もこんな風に育つんじゃないかと想起するほど、面影らしきものがある。


「どうして、私達も花見に行くことになったのか知りたいよね?」

「そうですね。状況がよく分かっていないので」

「もし、土雷くんが私達も一緒で大丈夫なら移動しながら教えようと思うんだけど……どう?」

「あっ、はい。大丈夫です」


 ここで、氷雨と二人がいいです、と言う勇気は藍斗にはなかった。氷雨の両親と一緒に花見を過ごす自信もないのだが。


「でも、移動って何で行くんですか?」

「車。お父さんが運転してくれる」

「土雷くんも車の方が楽でしょ。荷物もあるみたいだし」

「そうですね。お願いします」


 屋台を目的としているが、名目上は花見だ。桜を見るためにレジャーシートや他に必要になりそうなものをリュックに詰めて持ってきている。車で移動出来るなら藍斗も楽で助かるので潔くお願いした。


「じゃあ、もう車は用意してあるから乗ってね」


 少し離れた所の駐車場に四人乗りの青い車が置かれていた。


「藍斗は私の隣」


 ポンポンと氷雨が隣の席を叩き、座るように促してくる。氷雨以外の隣は肩肘張っていないといけないので助かった、と感謝しながら藍斗が座れば車はゆっくりと進み出した。


「じゃあ、土雷くんがずっと不思議に思ってるだろうどうしてこうなった? について、説明するね」

「はあ」

「実は、私達今は氷雨と一緒に暮らせていないんだけど……その理由とかは知ってるかな?」

「聞いてます」

「それなら、話は早いね。お父さんの仕事で休暇が貰えたから氷雨に会いに昨日、帰ってきたの」

「何も聞かされてなかったからビックリした」


 相槌を入れるように、氷雨が淡々と口にする。

 その顔に出ない表情からは、本当なのか藍斗には読めなかった。


「久し振りに氷雨に会うし、私達はたっぷり氷雨を可愛がろうと計画してたの。お出掛けして、美味しい物をたくさん食べて――その中に、花見があったのね。でも、氷雨に話を聞けば明日友達と行くことになってる、って言うから私達はなしでいいかって思ってたんだけど」

「藍斗は優しいから、そんなことになれば自分が家族水入らずの時間を邪魔した、って落ち込むんじゃないかと考えた私は天才的な閃きをした。合体すればいい、と」


 人差し指を立てて、名案を提案したという自信満々に氷雨が口にする。聞いたばかりの話を整理するのに藍斗は少しばかり時間が掛かった。


「それに、そうすれば友達に親を紹介出来るし親に友達を紹介出来る。一石三鳥。私は天才」


 親に友達を紹介、というのは百歩譲って理解出来る。だが、友達に親を紹介したい、というのは藍斗にはいまいち理解出来ない。


「えーっと、つまり、氷堂さんが一緒に行こうってお母さんとお父さんに話したってこと?」

「イエス。そうすればみんな一緒で楽しい」


 ドヤ顔をする氷雨の得意気になっている感がひしひしと伝わってくる。

 何も知らずに氷雨と花見に行って、実は家族でも行く予定になっていたと知れば確かに後々家族水入らずの時間を邪魔したと思っていたかもしれない。

 でも、この時間も。今この瞬間も、邪魔をしているんじゃないかと藍斗は思っている。氷雨達は邪魔に思っていないようではあるが。


「私達も土雷くんが迷惑するだろうからって断ったんだけどね」

「藍斗はそんな男の子じゃない」

「そう言われて押し切られちゃってこうなってるの。ごめんね」


 信頼されているのは嬉しいが、その信頼がズレている。迷惑ではないが氷雨と二人の方がよかった、とは常々考えていた。現在でも。

 ただ。これが、氷雨の望んだことであるなら藍斗は何も言うつもりがない。


「いえ、謝らないでください。正直、最初はなんでって驚いたけど話は分かったので。改めて、自己紹介させてください。土雷藍斗です。いつも、氷堂さんとは仲良くさせてもらっています。今日はよろしくお願いします」


 軽く頭を下げておく。

 こうなれば、せいぜい自分を含めたみんなが楽しめるように行動しよう。極めて難しいことではあるけれど、と藍斗は覚悟を決めた。


「私達も自己紹介する。氷堂氷雨」


 氷雨の紹介は必要ないのではないかと思いながらも藍斗は合コンの時を思い出した。あの時も氷雨は今のように淡々とした声で名前だけを告げて、あとは口を閉じていた。

 いや、今は違う。声も弾んでいるし口だって閉じない。開きっぱなしで動きっぱなしだ。


「お母さんの氷堂涼花りょうか

「よろしくね、土雷くん」

「お父さんの氷堂雨太うた

「ふん」


 涼花からは人当たりのいい優しい笑顔を。雨太からは運転に集中しているため、何も向けられなかったが不機嫌そうな声だけを頂戴した。

 どうにも雨太には嫌われているような気がしなくもないが、とにもかくにもこれで、ようやく事態が収まった。

 あとは、何事もなく花見を終えられればいい。


「藍斗、お母さん達がいてビックリした?」

「そりゃ、聞いてなかったからね」

「サプライズ成功。ブイ」

「ブイ、じゃないよ、ブイじゃ」


 ピースサインを作った氷雨に藍斗はため息を漏らす。氷雨はサプライズが成功して嬉しいようだが、何も聞かされずに友達の両親と会うドッキリがどれほどのものなのかを考えてほしい。何かやらかしてしまったのかと藍斗は本気で悩んだのだから。


「あ、そうだ。氷堂さん」

「どうしたの、藍斗」

「どうかした?」

「何か用かい?」


 グミ好きな氷雨のために移動中に食べようと持って来ていたグミをどうかと氷雨を呼んだのだが。氷雨はこっちを向き、涼花は振り返り、雨太は運転したまま声だけを寄せてきて、藍斗の想定外が起こった。

 三人とも氷堂、という名字なのだから当然と言えば当然の反応ではあるが実にややこしい。


「あー、えっと、氷堂さん……じゃなくて、氷雨さんに用です。グミ持ってきたんだけど、食べる?」


 カバンからグミを取り出してから気付く。

 氷雨がポカンと口を開けて、固まっていた。


「鳩が豆鉄砲喰らったみたいにしてどうしたの?」

「なんでもない……というか、それ、私のセリフ」

「使わせてもらった」


 話すようになって間もない頃、氷雨から言われたことを言ったからか氷雨が頬を膨らませた。

 それから、手のひらをこちらに差し出してくる。


「ちょうだい」

「はい、どうぞ」


 グミを口に入れればまた手を出して、を何度も繰り返す氷雨の頬はまたパンパンに膨らんだ。パクパクと休む間もなくグミを口に入れていく速度はいつもの比じゃないほど早くて、藍斗は喉を詰まらせないか心配になる。


「誰も取らないからもっとゆっくり食べていいんだよ」

「うん」


 頷きつつ、氷雨は速度を落とさない。

 よっぽどグミが好きなんだな、と藍斗は餌付けしているみたいで少し楽しくなりながら車内の時間を過ごした。

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