第7話 家に誘われた

 氷雨が藍斗の勤務先を知りたがっていたのは食べに行ってたくさんサービスをしてもらおうと企んでいるから。だと、藍斗は考えていたし、まさか今日の間に来るとは思わず、つい接客業を忘れそうになってしまう。

 予想外の出来事に狂わされるが今は仕事中。

 しっかりと切り替えて、藍斗は営業スマイルを浮かべた。


「ご注文はいかがなさいましょう?」

「ポテトLサイズ二つとコーラのLサイズ一つで」

「ポテトL二つとコーラL一つですね。他にご注文はございませんでしょうか?」

「スマイルを一つ」


 指をピンと立てて言ってきた氷雨に藍斗は絶句した。

 そういう無茶な注文はされたくない。

 という風に伝わるように今朝氷雨に話したはずなのに話を聞いていなかったのだろうか。


 だがしかし。されたくないからと言って、今は店員とお客様の状況で断れるはずもなく、藍斗は渋々笑顔を作った。地元の知り合いには大袈裟だろ、と笑われたやつを。

 氷雨はじーっと見てきては、うっすらと口角を上げる。


「やっぱり、藍斗は暗くない」


 グッと親指を立てる氷雨は得意気に口にした。

 自信をつけさせているのか、励ましているつもりなのか、どうなのか。藍斗には氷雨の気持ちが分からないが有り難いような、迷惑なような。なんとも言えない気持ちになった。


「はは……ありがとう。店内でお召し上がりですか?」

「店内で」

「用意が出来ましたらお席までお持ちしましょうか?」

「うん」

「それでは、お好きなお席でお待ち下さい」

「藍斗が運んでくれるの?」

「それは、分かりません。手の空いている者が行かせていただきます」

「そう。分かった」

「ありがとうございました」


 空いている席を探しに向かう氷雨に頭を下げる。

 顔を上げて、藍斗は一息吐いた。

 なんだか、凄く働いた気がする。今日はもう帰らせてもらいたい。

 そんなことを思いながら接客を二人済ませたところで肩を叩かれた。


「これ、さっきの子まで運んでやりな」

「え、僕がすか?」

「知り合いなんだろ? ここは代わるから行ってきな」


 氷雨とのやり取りを見られていたのだろう。

 先輩であるバイト仲間に何故か背中を押されて藍斗は氷雨の元まで注文された内容を届けることになった。


「じゃあ、行ってきます」


 トレーの上に乗ったポテトLサイズ二つとコーラが入った容器を見て、気付く。


(ハンバーガーがない……!)


 昨日はぬいぐるみに顔を埋めて、今日は朝からハンバーガーという単語を何度も氷雨の口から聞いたにも関わらず、氷雨はハンバーガーを注文していない。

 なんで、という疑問とスマイルなんて余計なものよりももっと注文するものがあったでしょうよ、という心の声が出そうになる。

 衝撃を受けながら氷雨を見つけるために店内を見渡す。


「あ、いた」


 店内の込み具合は夕方という時間帯もあり、なんとも言えない状況だ。満席ではないが、それなりに席は埋まっている。

 そんな中で氷雨は二人席に座ってスマホを見ていた。のだが、ふと顔を上げて目が合うと小さく手を振ってきた。


 注文したものを運んで来たと思っての私はここだというアピールなのか。それとも、ただ藍斗と目が合ったからだけなのか。

 それは分からないが藍斗は仕事をこなすだけ。


「お待たせしました。ポテトとコーラでございます」

「ありがとう。藍斗が運んでくれたんだ」

「手が空いたので」

「私の前では普通に話していい」

「それは、出来ません。勤務中ですので」

「そう。藍斗は真面目」


 つまらなさそうに氷雨が言うが仕方のないこと。

 仕事は仕事、と割り切っている藍斗には効果がない。


「それでは、ごゆっくり」


 用事は果たしたしあまり長い間、氷雨と話していて店長から注意を受けたくない藍斗は軽く頭を下げて立ち去ろうとする。


「あ、待って」


 しかし、それを阻止するかのように氷雨に腕を掴まれ、藍斗は足を止めた。


「仕事は何時まで?」

「十時までだけど」

「分かった」


 小さく頷いた氷雨はポテトを手にするともしゃもしゃと食べ始めた。瞳を輝かせていた、美味しそうに咀嚼してとても幸せそうだ。

 すっかりポテトに意識が向いた氷雨に藍斗はどうして時間を聞かれたのか疑問に思いながら、仕事に戻る。


 接客をしたり、ハンバーガーを作ったり、ポテトを揚げたり、注文された内容を運んだり。

 その間、氷雨はずっといた。

 ポテトを揚げている時は追加の注文をしに来ているのが見えた。注文された内容を運んでいる時は机に教科書とノートを広げて、必死に手を動かしているのが見えた。制服姿のままだし、テストも近付いているし勉強しているのだろう。

 そして、たまに目が合えば手を振ってきた。藍斗は両手が塞がっていて振り返せなかったが氷雨はどこか楽しそうにしていた。


 そうして、藍斗が「お疲れ様でしたー」と家から着てきたジャージに着替えて、業務を終える時間まで氷雨は店内にいた。背もたれにもたれて、うたた寝をした状態で。

 夜遅くにうたた寝している女の子を放って帰れるはずもなく、藍斗は呼び掛けた。


「氷堂さん」

「……んん」

「起きて。氷堂さん」

「……んあ」


 目を擦りながら氷雨が見てくる。


「藍斗……おはよう」

「もう夜だけどね」

「仕事は終わり?」

「うん」

「じゃあ、帰ろう」


 帰り支度を済ませ、氷雨が立つ。ぐーっと背伸びをすると気持ちよかったのかスッキリした表情になった。


「あのさ、氷堂さん」

「なに?」

「もしかして、俺が終わるのを待ってた?」

「うん。藍斗と帰ろうと思って。お腹いっぱいになって眠くなったけど」


 頷いた氷雨に藍斗はそうだったのか、と予想が的中していたことに驚く。

 いつまで経っても帰らない氷雨を見ていたら、もしかして待ってるのではないか、という考えが藍斗の頭に浮かんだ。


「もう遅いし送ってくよ」


 言いたいことは色々とあるが、ひとまず氷雨と一緒に店を出る。外はすっかり真っ暗でとても冷えていた。

 いつもなら、すぐに家に帰って晩ご飯を食べているところだが、そうはせずに藍斗は駅へと向かう。


「氷堂さん。もし、また店に来てくれたとしても次は俺を待ったりしないで」

「どうして?」


 藍斗が言いたいことを言えば、氷雨は不思議そうに聞き返した。きょとんとした表情からは藍斗が伝えたいことを何も理解していなそうで藍斗は額を手で抑えた。


「夜遅くに女の子が夜道を歩いてたら危険だからに決まってるでしょ」

「藍斗と一緒だから大丈夫」

「俺だって毎回氷堂さんを送っていける訳じゃないんだよ」


 疲れている体に鞭を打ってまでわざわざ遠回りをしたくない、というのが藍斗の本音だ。氷雨が終わるまで待っていてくれたから今日のところは送って行くが。


「分かった。次からは気を付ける」


 あっさりと頷いた氷雨に藍斗は思わず拍子抜けした。


「あの……嫌だった訳じゃないからね」

「分かってる」

「本当だから」


 こうも素直に受け入れられると藍斗は逆に申し訳ない気持ちになったが特に氷雨が気にするような素振りはない。

 そのまま電車に乗り込んで氷雨の最寄り駅まで向かう。


「家の近くになったら教えてくれる? 俺はそこで引き返すから」

「見て行かない?」

「え、家を知られるの嫌でしょ?」

「嫌じゃない」

「あー……じゃあ、家の前まで送る」


 藍斗の地元から、氷雨の最寄り駅までは数駅しか離れておらず、すぐに到着した。改札を抜けて、氷雨の案内に導かれながら歩く。


「そうだ。親にはちゃんと晩ご飯いらないって連絡した?」

「してない」

「まさか、あれだけ食べておいてまだ晩ご飯を?」


 たくさん食べる氷雨だが、体型は藍斗から見て細い方だ。この体のどこにあれだけ食べた栄養が吸収されているのか不思議に思う。


「そうじゃない。私、ご飯はいつも一人で食べてるから必要がないだけ」

「そうなんだ。親は仕事……って、ごめん。聞いたらまずかった?」

「気にしない。親は仕事。お父さんの転勤にお母さんが付いて行った。だから、今は自由気ままな一人暮らし中」

「そっか」


 いつもと変わらない表情に淡々とした話し方。

 だけれど、そんな氷雨が少しだけ寂しがっているように藍斗は見えた。夜の雰囲気がそうさせているのか、街灯と相まって憂いているように感じただけなのかははっきりとしない。

 でも、いつも家族でご飯を食べている藍斗が急に一人でご飯を食べるようになれば寂しくはなくても味気はなくなるんじゃないかと思った。と言うか、バイトの日は一人で食べているがいつもより味気なく感じている。


「あのさ、氷堂さん。さっきああ言ったばかりでなんだけど、次もまた店に来てくれたら一緒に帰ろうか。送らせてもらうから」

「藍斗の言ってること、さっきと違う」

「無理にとは言わないし、氷堂さんにも俺にも都合がある訳だから必ずとも言わないけどよかったらどうかな」


 店に氷雨が食べに来たとしても藍斗が一緒に食事をすることは出来ない。けれど、食べ終わったあとに、こうして少しだけど話をしながら帰ることは可能だ。

 思い上がりかもしれないし、余計なお世話かもしれないがそれで氷雨が少しでも気を紛らわせて一日を終えられるようになるなら藍斗はその相手に立候補したい。同じ合コンに参加し、余っていた者同士として。


 ただ、こうして自分から女の子を誘うのは初めてで藍斗は少しだけ気恥ずかしくなっていた。


「藍斗がそうしたいなら私はいい」

「あ、うん。ありがとう。なんか、恥ずいね」

「夜道が怖くても仕方ない。恥ずかしがらなくて大丈夫」


 氷雨に変な気を遣われた、と思われなかったのはいいが意図が全く伝わっておらず、挙げ句の果てに怖がり認定されたのには釈然としない。


「藍斗は私が守ってあげる」


 安心させようとしたのか氷雨が優しく肩に手を置いてきて、本当に釈然としなかった。


「着いた。ここ」

「あ、もうなんだ。駅から近いね」


 ものの数分で氷雨の住んでいる場所に到着した。


「ここの四階に住んでる」


 どうやら、氷雨はマンションに住んでいるようで駅から本当に近い場所に建ってあった。

 マンションから漏れる光は明るくて眩しく、安心感が強い。ここまで来れば安全だろうと藍斗は引き返すことにする。


「じゃあ、俺はこれで」

「寄って行かないの?」

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