第6話 心までは屈しない

「ところで、藍斗はどこでバイトしてる?」

「マクドナルド」

「マクドナルド!」

「なんで、氷堂さんがそんなに喜ぶの?」


 いきなり氷雨のテンションが上がって藍斗は疑問に感じる。

 けれど、氷雨は目をキラキラと輝かせながら藍斗をじーっと見ているだけ。その目は期待に満ちているように藍斗には見えた。


「マクドナルドって美味しいまかないがたくさん貰えるんでしょ?」


 よだれを垂らしそうになりながら聞いてくる氷雨に藍斗は苦笑する。


「期待を裏切るようで悪いけど、貰えないんだ。メニューを安く買うことは出来るけど」

「そう、なんだ……」


 拍子抜けしたように肩を落として、分かりやすく氷雨が落ち込んだ。


「てっきり、ハンバーガーを山のように貰えるんだと思ってた」

「それは、氷堂さんの夢の中だけにしておこうよ。現実はそう甘くない」

「厳しい世界……私に優しくしてほしい」


 そんな言葉が出てくるくらいなのだから、氷雨は可愛がられて育てられたんだろうな、と藍斗は思った。というか、ちょっと間抜けなところとかめちゃくちゃ可愛いし絶対にそうだと藍斗は謎の自信に満ちた。


「それで、藍斗はどこのマクドナルドでバイトしてる?」

「なんで、それを聞くの?」

「食べに行こうと思って。ついでに、無料でたくさんハンバーガーを貰えると嬉しい」

「え、やだ。教えたくない」

「どうして?」

「だって、恥ずかしいじゃん」


 普段から、藍斗はよく落ち着いているだとか、感情を表に出さないからちょっと不気味だとか言われている身だ。

 しかし、働いている最中はそうも言ってられない。

 客に対しては明るく接しないといけないから声音を高くしているし、テンションだって今の倍にはしている。


「ほら、俺ってこう暗いイメージがあるからさ、めっちゃ笑顔を浮かべていらっしゃいませ〜なんて言ってるところを見られたくないのですよ」


 働くのはどこでもいいからと至急募集の貼り紙を見て、応募したのが間違っていた。いざ働いてみれば暗いだの声が小さいだのと怒られもしたり、地元だからたまに知り合いがやって来ては楽しげにスマイルを注文されて無理難題を強いられるし。

 とにかく、自分には分不相応な職場だと藍斗が付け加えると氷雨は顎に手を添えて首を傾げた。


「藍斗は暗くないよ」

「いや、暗いでしょ」

「だって、ノリノリでアイドルの曲を歌ってた。あんな風に声まで高くしてた人が暗いとは思わない」

「あれは、気分がよかったからで」

「それに、あんな姿を私に見せておいて恥ずかしいはない」

「あの時も心にきてたんだよ?」


 合コンで氷雨と二人きりになった時のこと。手拍子をすることもなければ、どれだけ高い点数が出ても氷雨は無反応でそれでも歌い続けるしかなかった藍斗はここは地獄だと錯覚しそうになったほどだ。


「よく言う。あの時、藍斗はすっごく楽しそうにしてた」

「まあ、楽しかったんだけど」

「それに、藍斗の笑顔はとっても明るい。だから、藍斗は暗くて冴えない地味な男の子なんじゃない」

「そこまでは思ってなかったな」


 暗くもないし冴えなくもないし地味でもない、と氷雨が何度も言ってくる。


「もしかして、励まそうとしてくれてる?」

「そんなつもりはない。本当のことを言ってるだけ」


 いったい、氷雨の目にはどんな風に写っているのか藍斗は気になったが既に少し恥ずかしくなっているので聞かないでおく。

 それに、知り合いに働いているところを見られるのが気恥ずかしいと感じているだけで、周りからどう言われているのかは大して気にも留めていないのだ。


「で、藍斗はどこで働いてる?」


 すぐにそこを聞いてきた氷雨に本当に励ますつもりはなかったんだ、と理解しながら藍斗は渋々場所を教えた。


「言っとくけど、ただでハンバーガーをあげたりはしないよ」

「私が客でも?」

「氷堂さんがお客でも」

「……お願いしても?」


 じぃーっと氷雨が物欲しそうな目で見てくる。

 愛らしい表情での無言の圧力というのはついつい甘やかしてしまいそうに心が揺らぐが藍斗はグッと堪えた。


「そ、そんな期待するような目で見られても心は屈しない」

「そう……残念」

「うっ……正しいことをしてるはずなのに良心が痛い」


 悲しそうに受け入れた氷雨に藍斗は胸元を抑えながら呻いた。

 そんなことをしていれば、いつの間にか学校の前だった。氷雨とはクラスが違うため、昇降口で別れると藍斗は考えていたのだが。


「教室まで一緒に行こ」


 そう氷雨に言われて、隣並びで階段を登る。

 一年生の教室は最上階である四階のため、朝から体力を使うので藍斗は早く二年生になりたいと毎朝思っている。


「なんか、見られてる?」

「そんなことないんじゃないかな」

「そう?」


 氷雨はきょろきょろ周囲を見渡しながら、首を傾げて不思議そうにしている。

 実際のところ、藍斗は氷雨が言ったように自分達に向けられる視線を敏感に感じ取っていた。ミステリアスな氷堂さん、という二つ名みたいなものが付けられるほど氷雨はその容姿からちょっとした有名人だ。これまでにされた告白も全て断っている、という話は藍斗も耳にしているほど。

 そんな氷雨が男子と二人で歩いている、というのが周囲から興味を惹いてしまうのだろう。


 でも、別に氷雨が誰と歩いていても周囲には何も関係がなく、氷雨が気にすることではないと思うので藍斗は教えなかった。

 幸い、氷雨も気にしてはいないようで「藍斗の言う通り」と信じた。


「私、こっちだから」

「うん」


 氷雨が向かう一組の教室は藍斗が向かう四組の教室とは真反対の位置にあるため、渡り廊下まで来ると別れないといけない。


「じゃあ、また。バイト、頑張って」

「うん、ありがとう」


 氷雨がてくてくと教室に向かう様を見届けてから藍斗も教室へと向かう。廊下を歩きながら、ふと気付いた。


「明日の約束、何も出来てない」


 一緒に勉強しよう、という話になって約束を交わしたけれどすぐに氷雨が働いていることを聞いてきて、細かい内容を決めるのをすっかり忘れていた。


「……ま、いっか。明日、氷堂さんの教室に行けば済む話だし」


 そう決めて藍斗は今日も普段と変わりのない学校生活を送った。




「……いらっしゃいませ」

「よっ。食べに来た」


 その日の夕方。

 勤務先のマクドナルドで接客をしていた藍斗はバイト中であるにも関わらず、素の声で対応した。

 片手を上げて挨拶してくる氷雨を。

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