第5話 ぎゅーって抱きついて寝た
「ふわぁ……眠い」
藍斗はあくびをしながら電車に揺られていた。
反動で出てきた涙を拭いながら、昨日は楽しかったなあと思い出す。
学校の帰りに氷雨とゲームセンターに寄って。家では太一と通話をしながらモンスターを引っ張って敵にぶつけるスマホアプリを夜遅くまで遊んだ。
おかげで寝不足ではあるが充実した一日を過ごせて満足している。
そうこうしていると氷雨の最寄り駅が近付いてきた。
またもやなんとなく、氷雨がいないかと目が追ってしまえば人混みの中、先頭に立って電車を待っていた氷雨の姿を見つけた。
しかし、藍斗が乗っている車両より後ろの方ですぐに見えなくなってしまう。
声を掛けに行こうか、と思ったが藍斗は椅子から立たなかった。乗り込んではいるだろうし、氷雨を見つけることだって出来た。それだけで、得体の知れない充足感がある。わざわざ、声を掛けに行く必要はない。
それに、今は眠たく、少しでも体を休めたくて、スマホでSNSを眺めながら学校の最寄り駅までぼーっと過ごした。
電車を降りて、通学路をとぼとぼと歩く。
途中、昼ご飯用のパンを買いにコンビニに寄り、買い物を終えて出てくれば、同じように買い物に来たであろう氷雨と遭遇した。
「藍斗に話したいことがある。待ってて」
「分かった」
すれ違いざまにそう言われ、藍斗はドアの付近で氷雨を待つことにする。と言っても、ものの数分で片手にコンビニ袋を携えた氷雨が出てきてあまり待ったような気はしなかったが。
「待っててくれてありがとう」
「どういたしまして。それで、俺に話したいことって?」
「歩きながら話す」
てくてくと学校に向かう氷雨の隣に立って、藍斗も歩く。
不思議な感覚だった。合コンの時も昨日も氷雨とこうして肩を並べて歩いたはずなのに、この瞬間はそれらとはまた違った感じがする。
それが何か分からないまま歩く藍斗に氷雨が聞いてほしそうに声を掛けた。
「今日、とっても素敵な夢を見たの」
「それは、目覚める時もさぞ気持ちよかったことでしょう。よかったね」
「ううん、その逆。夢から覚めたくなかった。ずっと夢の中にいたかった」
「そんなに? どんな夢を見たの?」
「当ててみて」
にやり、と口角を上げた氷雨に藍斗は腕を組んで考える。
しかし、夢の種類など膨大な数があり選択肢が絞れない。
「ほれほれ、分かるかね?」
「降参……氷堂さんってたまに変なキャラになるのなんなの?」
「正解はね、山のようなハンバーガーに囲まれてる夢、でした」
目を輝かせながら嬉しそうに教えてくれた氷雨に藍斗はなんとも言えない気持ちになる。
「ありとあらゆるハンバーガーに囲まれて、食べても食べても減らないの。幸せな空間だった」
「なるほど。だから、夢から覚めたくなかったんだ」
「そう。忌々しい目覚まし時計をどう黙らせてやろうかと本気で考えた」
「仕事してるだけなんだから許してあげなよ」
「むぅ……その通り」
頬を膨らませて微妙に納得していないような氷雨に藍斗は苦笑する。氷雨の張っている食い意地のせいで役目を全うしているだけの目覚まし時計が壊されるのは可哀想なのでちゃんと納得してほしい。
「でも、本当にいい夢だった。あの夢を見れたのは藍斗のおかげ」
「氷堂さんがハンバーガーに囲まれる夢を見れるようにするなんて俺には無理だよ。不思議な能力なんてないし」
「違う。昨日、藍斗がくれたぬいぐるみと一緒に寝たからあの夢が見れたんだと思う」
「え、ぬいぐるみと一緒に寝たの? ちなみに、どうやって?」
「ぎゅーって抱き着いて」
「へえ……ぎゅーって抱き着いて」
「うん」
足を止めて、藍斗は額に手を当てる。
そして、想像した。氷雨がぬいぐるみにぎゅーって抱き着いて寝ているところを。めちゃくちゃ可愛い姿が浮かんできた。
「震えてどうしたの? 寒い?」
「まあ、うん。そんなところ」
「それなら、手に息を当てると解決する」
手に息を吐いて実演する氷雨を真似するように藍斗も手に息を吐く。
すると、得意気に氷雨が親指を立ててきた。物知りだろう、というアピールなのかもしれない。藍斗が全く違うことで震えていることに気付いてないのが実に残念で藍斗は吹き出しそうになった。
「藍斗のおかげで私は幸せな夢を見れた。だから、ありがとうってお礼を言いたかった」
「そっか。でも、お礼を言うのは俺もだよ。今日からテスト週間に入るし、その前に氷堂さんのおかげで気分転換出来たからありがとね」
「……テスト、週間……?」
「うん。今日からテスト一週間前だよ」
勉学にそこまで力を入れている訳ではないが、学生の本分は勉強だしせめて平均点は取れるようにしよう、と藍斗はテスト前だけはしっかり勉強している。
今日から勉強を始める訳ではないにしろ、一週間前だということが頭の片隅に入っていれば遊ぶにしろ満足に楽しめない。
だから、昨日の内に氷雨とゲームセンターで遊ぶことが出来てとてもよかった。
「テスト、一週間前……もう、そんな時期……」
足を止めて、氷雨はぶつぶつと言葉を呟く。
さっきまで、楽しそうに夢の内容を話して輝かせていた目も暗くなっている。
どうしたのだろうか、と不思議に思いながら藍斗が見ていると氷雨がいきなり両腕を掴んできた。
「藍斗に聞きたいことがある」
「な、なに?」
どこか鬼気迫る様子の氷雨に少し狼狽えつつ藍斗は聞き返す。
「勉強、得意?」
「平均点は取るから可もなく不可もなく、ってところかな」
短期記憶が得意だからこそ、平均点を取ることが出来ているが数学の難しい公式などは苦手で問題文の内容が変わるだけで解答率がグッと下がる。
だから、自慢出来るようなことではないと思いながら藍斗は答えた。
「凄い」
「凄くはないよ」
「いつも赤点ギリギリの私からすれば凄い」
「え、氷堂さんいつも赤点ギリギリなの?」
「うん」
特に気にしたようにも見えない氷雨が頷く。
これだけ可愛いらしい容姿をしている氷雨が毎回テストでは赤点ギリギリの点数を取っている。てっきり、氷雨は勉強が出来るものだと勝手なイメージを抱いていた藍斗は意外性を覚えた。
でも、すぐに人は見た目で判断しないように、と思い立って失礼なことは考えないようにする。
「そうだ。今日から一緒に勉強しよう、藍斗」
「一緒に勉強はいいよ。でも、今日は六時からバイトだから明日からでもいい?」
「分かった」
こうして、藍斗は氷雨と勉強することになった。
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