第4話 ミステリアスな女の子

 藍斗が「一口、ありがとう」と氷雨にコーラ瓶を返せば氷雨は一瞬だけ嫌そうな表情を浮かべた。

 思っていた味と違ったからもう飲みたくない、ということだろうか。

 そうだとしても代わりに飲んであげようと藍斗は思えないので気付かないふりをしておく。


「世界で一番美味しいなんてネットは嘘つき」

「まあ、俺達には微妙だったってだけで世界一美味しいってのは人それぞれの感想だと思うから」


 情報源を漏らしつつ、氷雨が怒り始めた。

 なんとも言い得難い味に藍斗も言いたいことは理解しながら氷雨を宥める。


「ほんとに微妙……美味しくない訳じゃないのに」

「なんだろう……材料に使われてる味が強くて純粋なコーラを楽しめてない気がする」

「藍斗の言う通り。このコーラはピザのお供にもポテチのお供にも映画のお供にもなれない。美味しくないことはないけど」


 だからといっても蓋が閉まるタイプではなく、開けてしまったら飲み切らないと不便でどうすることも出来ない氷雨はちびちびとコーラを飲む。


「思ってたのと全然違う……」

「逆に氷堂さんはどんな味を想像してたの?」

「味はコーラの味だけど、一口飲めば炭酸が体の中で爆発したり、美味しすぎて思考が馬鹿になるんだと思ってた」

「それはもうヤバい何かが入っててアウトでしょ」


 氷雨が想像していたような代物ではなくて、案外よかったのかもしれない、と藍斗は物騒なことを口にする氷雨を見て思った。


「立ったまま飲んでるのも邪魔になるしあそこ座ってくれば?」


 世界で一番美味しい、という魅力的な言葉に惹かれて氷雨のように挑戦しに来る客がいれば邪魔になるからと藍斗は置いてあった真四角型のソファを指差す。

 他のゲームをする時に座るための物なのだろうが幸いなことに今の時間は客もそう多くなく、あそこなら邪魔にならない。それに、食べたり飲んだりしている間、小動物のような愛くるしさがある氷雨なのだ。もし、座らないで、と店員に注意されそうになってもコーラを飲んでいる間くらい、黙認してくれるだろう。


「そうする」

「じゃあ、飲んでる間、俺は色々と見て回って来てもいい?」

「うん。藍斗もあのコーラに挑戦する?」

「いや、いいです」

「むぅ。共に微妙な味を堪能しよう」

「どうせなら、とびきり美味しいのを堪能したいから、俺は。この階にいるつもりだからもし飲み終わってもまだ俺が戻って来なかったら氷堂さんも自由にしてて。探すから」

「分かった」


 親指をグッと立てて頷いた氷雨に藍斗も頷いて店内を散策しに出発する。

 フィギュアやぬいぐるみ、駄菓子のセットなど色々な景品を藍斗は見て回る。こうやって、特に欲しい物もないのにぐるぐるとクレーンゲームを巡回する意味のない時間が楽しい。

 そして、そんな意味のない時間に限って何もかもが魅力的に見えてしまう。


「これ、いいな」


 大きなハンバーガーのぬいぐるみが景品になっている筐体の前で藍斗は足を止めた。


「氷堂さんが好きそう」


 コーラを飲む前の氷雨は物凄く期待に満ちた目をしていた。

 しかし、飲んだ後は裏切られたみたいだった。

 あまり表情には出していなかったが落ち込んでいたのだろう。あれだけ努力という名のお金を賭けておいて、結果は期待外れとなればしょうがないことだ。


 藍斗は財布の中身を見て、心もとないことを確認すると両替機で小銭を増やしてから筐体で遊び始めた。


「ふっ……くっ……おっ。よしよしよ――あっ。くそー、もう一回」


 チャリンチャリンと小銭を入れて、手元のボタンでアームを操作する。ハンバーガーを挟んで持ち上げるまではいいものの、重たくてすぐにずり落ちてしまう。

 もう一回、もう一回と諦めずに挑戦していれば。


「このぬいぐるみが欲しいの?」


 いつの間にか氷雨が隣りにいた。

 クレーンゲームに熱中していたため、藍斗は全く気付いていなかった。


「氷堂さん? どうしてここに?」

「飲み終わってうろうろしてたら藍斗を見つけたから」


 指でVサインを作る氷雨の片手には空になった瓶が握られている。


「ごめん。俺が探すとか言ったのに」

「いい。このハンバーガーを前にしたら足が動かなくなって当然」


 じゅるり、と今にもよだれを垂らしそうにしながらガラスの奥にあるぬいぐるみへと氷雨は視線を送っている。


「なかなか取れなくて苦戦してる最中です」

「今度は私が藍斗を応援する番。頑張って」

「ありがとう」

「そして、取れた暁には私にも顔を埋めさせてほしい。だから、取れるまで諦めないで」

「お、おおん。資金が底を尽きない間はね」


 バイトをしている身とはいえ、取れるまで小銭を投入し続けられるほど藍斗の財布に余裕がある訳ではない。

 既に十回以上挑戦して取れる気配は全くないし、あと少ししても無理だったら諦めるつもりである。


「あ、そこがいいと思う」

「ここ?」

「そこ。いこう」

「おっ……あー、ダメだったか」

「じゃあ、次はこうしてみよう」


 氷雨と共にあーだこーだと言い合いながら何度か遊んでいると。


「おっおっ……おーーー!」

「取れた。やったね、藍斗」


 ぬいぐるみが落下したのを見て、氷雨はその場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。さっきもそうだったが嬉しくなると自然に飛んでしまうのだろうか。

 そんな氷雨に藍斗は手に取ったぬいぐるみを差し出した。


「はい、氷堂さん」

「藍斗が取ったんだから先に顔を埋める権利は藍斗にある」

「いや、埋める気ないから」

「……正気?」

「そんな正気を疑うような目を向けなくても……これ、氷堂さんにあげる」

「……え、なんで?」


 氷雨にぬいぐるみを受け取らせ、代わりに瓶を受け取れば氷雨は不思議そうに首を傾げた。


「コーラ一口貰ったお返し、的な?」


 あれだけ期待していたコーラが期待外れで落ち込んでいた氷雨が可哀想で元気付けたかったから、という理由は言わないでおく。


「的な?」

「うん。的な」

「そっか……ありがとう、藍斗。巨大なハンバーガーを食べることが私の夢だったの」

「一応、言っておくけどぬいぐるみだからな……って聞いてない」


 藍斗の忠告も聞かずに氷雨はぬいぐるみに顔を埋めて幸せそうに笑みを浮かべている。食べてはいない。ちゃんとぬいぐるみは食べられないと理解しているようだ。

 顔よりも大きいぬいぐるみに顔を埋める氷雨が微笑ましくて眺めていれば、氷雨が匂いを嗅ぎ始めた。


「匂いもすれば完璧だったのに」

「ぬいぐるみから肉の匂いがしたら嫌でしょ」

「むぅ。我慢する」


 どれだけ食い意地張ってるんだ、と出かかった言葉を藍斗はグッと飲み込んだ。

 やっぱり、氷雨はミステリアスな女の子だった。

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