第3話 世界一美味しいコーラ

「ところで藍斗。世界で一番美味しいコーラって知ってる?」


 電車を待っている間、氷雨がそんなことを言い出した。


「知らない」

「ふぅ……」

「呆れられた……?」

「時代遅れ。万国共通で認識されてることだよ」

「なん、だと……?」


 びしり、と人差し指を向けてくる氷雨に藍斗も付き合って大袈裟に反応しておく。

 しかし、当然のように世界で一番美味しいコーラとやらの正体が氷雨が言うような万国共通で認識されてることはない。藍斗はよくSNSを徘徊しているがそんな投稿は一度も見掛けたことがないからだ。


「教えてください。時代遅れな哀れな高校生に」

「うむ。では、これから取りに行くぞ。付いて来い」

「え、取りに?」


 買いに行く、ではなくて、取りに行く。

 氷雨の一言に藍斗は感じる。氷雨との共通認識のズレを。

 こういうところが氷雨がミステリアスな女の子、と呼ばれる由縁なのだろうか。と、そんなことを考えていれば駅のホームに電車がやって来た。

 てくてくと乗り込む氷雨に藍斗も続く。

 今日も座れるスペースはなくて、二人してドアの近くに立った。


「取りに行くってどこに行ったら取れるんだ?」

「ゲームセンター」


 ガタンゴトンと揺られながら、氷雨が降りる最寄り駅を通り越した。

 少しして、藍斗が降りる最寄り駅に到着したが氷雨が降りようとしないので藍斗も乗り継いでおく。

 さらに数駅進み、氷雨が「ここで降りる」と降りて行った。


 氷雨に案内してもらい、駅からそう遠くない場所にある大型ゲームセンターに到着した。


「ここの二階にあるらしい」

「へー」


 この大型ゲームセンターは系列店で藍斗もこれまでに何度も遊びに行ったことがある。リズムゲームにカードゲーム。クレーンゲームにメダルゲームとあらゆる種類の娯楽が揃っているのは知っているが世界一美味しいというコーラが取れることは知らなかった。


「ん? らしい? 氷堂さんも詳しく知らないの?」

「この目で見たこともこの口で飲んだこともない」

「なのに、あんなに威張ってた!?」

「存在を知ってるだけで、藍斗よりは流行に乗れてる」

「たぶん、流行ってないと思うんだけどなあ」


 そんなことを話しながら、ゲームセンターに入店。エスカレーターで二階まで行くと数多くのクレーンゲームが並んでいた。可愛いらしいぬいぐるみもあれば藍斗が好きなアニメキャラのフィギュアもある。

 それらを一つ一つ調べながら見て行けば。


「ほんとにあった」

「これが、世界で一番美味しいコーラ!」


 大きな文字で世界で一番美味しいコーラ、と書かれた紙が貼られてある景品が瓶に入ったコーラのクレーンゲームを見つけた。

 テンションが上がったのか氷雨は筐体に額をくっつけて中を覗いている。


 本当に置いてあったことに驚きつつ、藍斗は説明が書かれている用紙を上から読んでいく。製造場所や製造に使われている物の説明があり、最後に味は賛否両論と不安になる一言が書かれてあった。


「これ、怪しくない? 世界で一番美味しいって言って金儲けしてるだけなんじゃ――」

「早速、挑戦。待ってろ、コーラ!」


 怪しむ藍斗の言葉など聞かず、財布から小銭を取り出した氷雨は気合い十分といった感じで筐体に投入する。

 アームの動きに合わせて氷雨も左右にちょこちょこ動く。見ている分には微笑ましい光景で藍斗はちょっと得した気分になった。


「クレーンゲーム得意なの?」

「得意じゃない」

「そうなんだ。じゃあ、応援しとく。頑張れ」

「藍斗の応援を力に変えて……いけ」


 力強く降下ボタンを押した氷雨に呼応するかのようにアームがコーラの入った瓶を持ち上げようとする。

 しかし、瓶を持ち上げようとしても重たくてびくともしない。

 一度目は失敗に終わり、氷雨は二度目の挑戦を開始する。けれども、二度目も大した結果は得られずに失敗に終わった。


「おかしい……次こそは」


 失敗する度に気合いを入れ直して小銭を投入する氷雨だが何度挑戦しても瓶は少し動いただけで落ちてはこない。


「両替してくる」

「行ってらっしゃい」


 両替機に向かった氷雨は手に小銭を抱えて戻って来た。


「これで、ばっちり。今度こそ」

「頑張って」


 諦めない氷雨を藍斗は応援する。

 チャリン、と小銭を入れる音が聞こえればまたすぐに新しいチャリンとした音が聞こえてくる。チャリンチャリンと何度も同じ音を聞きながら藍斗は「あ、動いた。あーおしい。次こそいけるよ」と苦戦する氷雨を応援し続けた。

 だが、瓶の位置が動いただけで決して落ちてくることはなかった。


「……もう一回、両替してくる」

「うん……その、大丈夫?」

「……大丈夫。まだ、怒ってない」

「氷堂さんでも怒ることがあるんだ」

「私だってある。私が噴火したら大変なことになるからこの子は早く落ちるべき」


 表情は変えないまま理不尽なことを口にする氷雨が怒った姿を藍斗はちょっと見てみたくなったものの心配している部分はそこじゃない。


「じゃあ、この子には氷堂さんが怒り出す前に早く落ちてもらうとして……この子にまだお金かけてもいいの?」

「どういうこと?」

「手に入るかも分からないんだし諦めも肝心なんじゃないかと思って。ほら、あんまり潤ってないんでしょ?」


 合コンの帰り、氷雨が財布の中身を見ながらそう言っていたのを思い出し、藍斗が指を差せば氷雨は得意気に笑った。


「その心配は無用。今週の食費ってことで今日お金を貰ったばかりだから。ということで、両替してくる」


 どれだけの食費を貰ったのかは知らないが、両替機に向かって行った氷雨は沢山の小銭を手にして戻って来てはリベンジを再開する。


「今の私は石油王……取れないものはない」


 そんなことを言いながら挑戦する氷雨を藍斗はなんとも言えない気持ちで見守り続けた。

 そして、ついにその時がやって来た。

 少しずつ。ほんの少しずつ。氷雨が努力し続け、動いていた瓶がぐらりと傾き落下した。


「やった……やった……やった……!」


 落ちてきた瓶を手に取り、ぴょんぴょんと飛び跳ねる氷雨はとても嬉しそうに振り向いて瓶を見せてくる。


「取れた!」

「やったねえ。よかったねえ。おめでとう!」


 まるで、幼い子が初めて一人でおつかいを成功させた番組の親が涙を流すような気分で藍斗は氷雨に拍手を贈る。

 正直、藍斗はたかがコーラ、とどこか冷めたように思えていたが人の努力が実る瞬間というのは心にくるものがあった。


「早速飲んでみたら?」

「飲む」


 蓋を開けタ瞬間、炭酸特有の弾ける音がする。

 香ってくるのは紛れもないコーラの匂いだ。

 目を輝かせた氷雨が瓶を傾け、小さな口に世界で一番美味しいコーラを流し込む。

 その様を藍斗もドキドキしながら見守った。

 ゴクン、と氷雨の白くて細い喉が動いた瞬間、氷雨は目を一際大きく開いた。どういう反応なのか藍斗には今ひとつ伝わってこない。


「どう?」


 世界一美味しいわりには味は賛否両論のコーラがどんなものなのか藍斗だって気にはなる。

 しかし、氷雨は藍斗の問いかけには答えずに瓶を傾けてきた。


「藍斗も飲んでみて」

「え、なんなの、その微妙な反応は」

「いいから飲んで」

「怖いんですけど」

「いいから飲む」


 無理やり藍斗の手に瓶が乗せられる。

 合コンの時、パフェを食べた氷雨が幸せを体現するかのような笑顔を浮かべていて、藍斗は美味しいかどうかなど聞かなくても分かった。実際に美味しかった。

 けど、今の氷雨は真顔だ。どちらかといえば、しかめているようにも見える。


 恐る恐る一口だけ喉を通した藍斗は体に染み込んでくるコーラの味に衝撃を受けた。


「こ、これは……」

「そう。とっても微妙。やっぱり、コーラはいつも飲んでる普通のコーラが一番」

「あ、氷堂さんが言っちゃうんだ」


 氷雨の努力を無駄にしないように気を遣ったのに氷雨が藍斗の心を読んだかのように感じたことを口にした。

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