第46話
雪子が飯島と同棲すると聞いて、秋子はもう何もおどろかなかったが、しかし春枝のほうはちがった。春枝は、長女の色恋を察していたものの、同棲などはまだ当分先であると思い戸惑った。雪子にあれこれと相手の男について訊くと、雪子のほうは嫌になり、ほとんど一方的に家を抜け出した。
しかし夫婦にはたいした不安もなかった。長女への多大な信頼を抱いているふたりは、雪子の態度が久しぶりに見た、娘らしい駄々だと思った。それだから、次女が二階にあがって、若々しさのなくなった食卓はこんな呑気な会話がつづいた。
「雪子がねえ」
「よっぽど好きなんだろうね、飯島君、だったっけ」
「もし一年後とかに結婚とか言い出したら、あなた、反対するの?」
「そういう元気はないね。元気があったもしてないだろうけど」
「元気のあるなしの話?」
「いやあ、あると思うよ。元気のことは。もちろん相手の問題もあるんだろうけど、こう毎日おなじ生活をしていて、おなじフィルムの景色ばかり繰り返されたころに、いきなりこういう刺激的な事が起きると、やっぱり発奮したくなるんじゃないかな」
「じゃあ、あなたも反対するかもしれないじゃない」
「僕はもとより何事も反対するのに向いてないんだ。それをわかっているから、その役はしない」
「向き不向きの話?」
「そうさ。反対なんてエネルギッシュな人がやることさ。だから家でいえば君の役目だ」
「押し付けないで頂戴。わたしだって、反対する気はないんですから」
二階にいた秋子は、がらんとした姉の部屋で何ともなしに眺めた。姉の部屋は秋子のものよりいくぶんか広い。おそらく、一・五倍はあった。秋子は部屋割にいちども文句をいったことはない。そもそも秋子が自室にいるときより、姉の部屋にいるときのほうが多かった。
雪子は同棲のための荷物がほとんどなかった。本は多いが、あとは服と化粧道具、その程度である。秋子が誕生日にあげたいくつものプレゼントも、雪子はもっていかなかった。雪子は家を出るとき、自分の部屋を自由につかっていいといった。しかし秋子にはその気が起きない。部屋は主題が抜けて、さながら賽銭箱のない神社のようで、いちいち参る気持ちにならなかった。
秋子ははじめてというほどの孤独を感じた。それは姉の不在もあったが、恋人とも、ここ五日話していない。夏樹はゼミの発表準備で忙しく、秋子の不安をきいてやるほどの余裕がなかった。以前、夏樹を図書館で見かけたとき、その顔は、いまにも泣きそうな、受験勉強の子供のようだった。
秋子はふと窓を開けた。もうすっかり秋めいた風が流れ込んで家具を撫でた。高台のこの家からは中心部のもの寂しげな灯りが見える。灯りは小さく、黒画用紙に穴をあけたようだった。秋子は夜空を見上げた。星たちは沈鬱に、しかしやけに煌々と瞬いている。そういえば今夜は新月だった。
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