第45話
イージの妹が、その小ぶりな頭のなかで何を考えていたか、それはどこまでいっても推測に過ぎません。楽観でいればいくらでも楽観にでき、悲観でいればいくらでも悲観にできるのです。
イージの妹はぽつりと、こんなことを言いました。
人が、死んだんですよ、死ぬというのは、恐ろしいほど温度がなくて、無慈悲なまでにゼロになるんです、なのに、それなのに、人はゼロになったものをいじくりまわすんです、そういう人はきっと哀しんだことがないんじゃないかしら、そんな風にも思います、生きてるとき誰もなにもしなかったくせに、急に死んだとなったら、嬉々として、役者ぶって、さぞ心痛に言葉をいうんです、それは殺人とおんなじと思いませんか、生きている人を死なすのが殺人だとしたら、あの人たちのすることは、死んだものを無理やり生かすんです、しかもあの人たちは、満悦のために墓を荒らしているんじゃないかしら、(彼女は僕の顔をキッと睨みました)、貴方はどうなんですか、もし貴方が兄の死で、何かしらの快感を得ているんだとしたら、家でニヤニヤと眺めるためにここに来ているんだとしたら、貴方はとんでもない悪人ですよ、ねえ、なぜ貴方はこんなとこに来たんですか、いや、別にこれは貴方にだけ訊きたいわけじゃありません、兄が死んでからやってきたすべての人に訊いてやりたいんです、でも貴方に訊くのがはじめてです、そのかわり、私はその人たちに日記を読ませ、黙って兄の遺品を渡すようにしています、罪人に罰をあたえないのは、おかしいでしょう、だから私がかわりに罰をやるんです、油断した善人面に一発くらわせるんですよ、……貴方には、これをやります、これが、貴方への罰です。
イージの妹はあの血のついたハンカチを卓上に載せました、なぜ、ハンカチにこれほど血がついているんでしょう。僕はその血の過程を考えるとぞっとしました。僕が無意識に遠ざけた死のリアルが一挙に押し寄せてくるのです。
彼女は落ち込んだようにまたうつむいて、すみません、怒らないんですか、といいました。たぶん、彼女の態度に機嫌を損ねた人もいたのでしょう。しかし僕はそうはできませんでした。僕の頭には、そのときはじめて自己の残酷な矛盾を目の当たりにしました。僕は、いいえ、といってハンカチを受け取りました。
ハンカチは、これまでいちども洗ってません。まだ、血の匂いが、鉄っぽい臭いがあるんです」
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