第13話

 花が綺麗だからといって、その根も綺麗とはいえない。それはこの姉妹にも当てはまり、彼女らの半身じみた親愛の元は、姉の献身的な犠牲だった。

雪子は妹に負けず劣らずの親愛を持っている。それは間違いがない。しかしそれはいわば決意が必要な親愛、決め込んだ愛情ともいえた。

 雪子のコンプレックスは第一に容貌だったが、その深刻さに秋子が関わったことはまずちがいない。

 雪子は晩年結婚の三船夫婦のもとに生まれた念願の第一子だった。それは昼間の快晴が跡形もない深夜のことで、予定日を二日前倒しにし、春枝は朦朧とする意識のなかで、抱えあげられた雪子を見た。雪子はふくよかな頬と細目で産声をあげている。春枝はその薄い頭を撫で、額にキスをした。赤ん坊はまだ鳴いていて、母親はマリアの心地だった。

 晴れて両親となったふたりは雪子を溺愛した。それだけでなく夫を亡くし呆然としていた祖母も毎日息子夫婦のマンションに訪れては、雪子の願うことすべてを叶えた。少しでも気になった玩具は買ってあげ、少しでもしてみたい遊びには付き合った。

母の春枝は何度か姑に注意したことがある。

「お母さん、あんまりあの子を甘やかさないでください。我儘な子になってしまいます。いまは女の子も男に負けじと立派でなければならないんですから」

 姑はそう叱られると決まって大声で笑った。それはこの母親の真に思うところが手に取るようにわかったからだった。とどのつまり春枝は「自分の甘やかす仕事を残しておいてくれ」と言っているのだ。後半のやけに漠然とした部分はただの建前にすぎず、現に姑は孫の服装の目まぐるしい移り変わりを何度も見た。服装に合わせた髪も丁寧にセットされていた。義母は仕方なしにその領分は娘に譲って、孫の可愛らしい姿をしつこく褒めた。

 雪子の誕生の三年後に妹ができた。この生誕は喜びよりもむしろ驚きが勝っていて、なにしろ春枝はその当時四十五歳であったから、もう一度身ごもる希望はあくまで楽観の域でしかなかった。

 雪子も周りの子と比べて両親が高齢であることに気づいていたから、密かに抱いていた姉妹の欲求が途端に実ったので変な浮足の立ちかたをした。母と同じ病室に置かれたベビーベッドを雪子は宝箱のように覗いては微笑んだ。

 雪子の目には、いや姉としての贔屓を抜きにしても秋子は清く美しく成長した。しかも秋子の美の開花は早く、彼女が中学生になるころには充分美人といえた。それも特段の美人だった。中高一貫の学校からともに登校する際、雪子は男子たちのぼんやりとした羨望を見た。それも中学生ばかりでなく、雪子の同級生や、その先輩の高校生までもどぎまぎした二度見をしていた。

 しかしそのときの雪子はというと、男子たちの妹への憧れや好意をあまり快く思えなかった。雪子は小学生四年のころには、その身体の太さや三白眼の細目で男子たちから虐められた。さらにいえば女子たちも別の方法で加担することもあった。  雪子はそれまで家族の寵愛を妹と平等に受け、さらに多大であって、その容姿に苦言を述べられたことはなく、それが豪雨のような日々に一変したのだから雪子の困惑と傷心はひどかった。

 雪子は悪意に出遭い、嘲笑に出遭い、逃げるような、迷惑そうな表情に出逢った。若い心は荒んだが、しかし避難するための家庭があったことは幸いだった。家族は変わらない愛を雪子に注ぎ、その謝礼のように雪子は自分の惨めさを親や妹に見せぬよう努めた。

 雪子にとっての家庭は療養所であって反撃の拠点ではなく、むしろ雪子は学校での風聞が家に及ぶことをいちばんに気にして、そういう意味では弱点に近かった。雪子は三船家の二人娘の年長者としての責任とプライドを抱えていた。

 雪子が中学一年のとき、珍しく風邪をひいた日があった。年次が移る真近の、冬と春のあいだの日だった。三十八度を超す温度計を母親が認めて、雪子を休ませることにした。

 雪子からすれば幸運だった。そのころにはいじめは徐々に方向を転換して、雪子を無視するようになっていた。雪子にはこちらのほうが重く辛かった。それならば家に籠ってしばらくの休養を望んで、いやできればこのままずっと籠城していたかった。病に伏すときの思考のなんと荒れたものだろう。雪子は二度と学校なんぞに行かなくてもよい気がした。

 二日目もまだ熱が引かなかった。雪子のなかではもうこのまま、すくなくとも一週間後の終業式まで休むことが明確に企図されていた。

 その朝、玄関で駄々をこねた声がした。声は適量で激しい感じもなかったが、それゆえに強固な意思を感じさせるものだった。

声の主は秋子だった。

「雪ちゃんが休むなら、わたしも休む」

「あなたは別に熱はないじゃない」

 と春枝は台所でバタバタしながらつきはなした。

「うん、だけどね、わたしも熱なのかもしれないでしょう」

「アキは学校にいきたくないの?」

「いえ、いきたいわ。いきたいけど、雪ちゃんはいけないんでしょう?」

「そうね」

「じゃあ雪ちゃんはさびしいじゃない」

「そんなことないわ。お母さんがいるもの」

 秋子は黙った。目が潤んで、泣き出すのがいまにもわかった。事実、春枝はその日どうしても外せない用事があったから、午後の三時間は義母に看病を頼むつもりだった。しかしただ孫の苦しい姿を見せるために呼びつけるのも気が引けていた。

結局、秋子のほうも微熱で、インフルエンザの可能性もあるから、今日一日だけは休んで病院にいきます、ということを小学校に知らせた。

 その日の雪子はもっとも幸福な一日に出遭った。もっとも好きな二人が自分のためにあれこれと世話をして、話しかけ、微笑んでくれた。雪子は自分の考えがいやしく思えてきたが、しかし同時に決心もできた。

 雪子の休暇は終業式まで及んだが、中学二年では皆勤だった。雪子にはもう休む暇などなかった。雪子は風邪の治ったその日から勉学に励み、家にあった母の趣味用のピアノを借りて一日三時間練習し、水彩絵を毎日描いた。それらはすべて軌道に乗って、テストの成績は上位に食い込み、ピアノは合唱の弾き役を担われ、絵は学校の水面台の壁に飾られた。いじめやからかいもほとんどなくなった。それは雪子が教師から一目置かれる存在になったこともあるだろうが、少年たちが研鑽を欠かさぬ人間の、狂気じみた何かを垣間見たことが大きかった。

 雪子の体型も目も変わらなかった。しかしどこか、叩かれつづける高熱の鉄の美しさがあったが、その美しさを認める者は秋子以外にいなかった。

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