第7話
レイとラキタルとの関係が気まずくなったのは、本当に小さな一言が原因だった。
◇
その日はトーカと話し込んでいるうちに朝になったが、レイには黙っておいた。
相談していて、トーカとレイが自分に対して思っていることを聞くことができたのは収穫だった。それはレイが一定の事柄について言葉を濁す理由を知ることができたからだ。
三大神の一人としてこの世界の維持と調和に関わるのなら、人間の感情を知ることは好ましくないと、レイとトーカは思っているようだった。
ラキタルからすれば、そんなこと知ってみないとわからないと思うのだが、恐らく一度知ってしまえばなかったことにはできない。取り返しがつかないから、二人は心配しているのだろう。
もう少しだけ意見を聞きたくて、次の日の夜はミゼリットとジャドニックに連絡を取った。彼らなら一番知りたい答えをくれそうな気もした。
魔法陣の向こうに映る二人は相変わらず仲が良さそうで、羨ましくなってしまう。
「あたしたちの結婚はもう少し先よ。色々準備が必要だから、まずは住むところを何とかしないとね」
「住むところ? 一緒にいるのに?」
「ここはジャドの家よ。明日は仕事が休みだから、あたしが遊びに来てるだけ」
「そっかぁ……結婚の準備って大変なの?」
「大変よぉ。でも、大変だから楽しいのよ」
「楽しいの……? 大変なのに?」
「ミゼ、ラキタルが混乱してるぞ」
「あら」
その後、ジャドニックがどんな準備が必要かを説明してくれた。
けれど、どちらかというとラキタルは仲睦まじい二人の様子の方が気になってしまった。何よりも二人の距離がとても近く、お互いがお互いの言うことに茶々を入れたり入れられたりというのも楽しそうで、見ていて口元が緩みそうだ。
いいなあ、あんな風に自分もレイといられたらいいのに。
街の皆には親戚と言ってあるのでうやうやしい態度は取られないものの、自分が神様なせいで距離を置かれているのは悔しいし、寂しい。
でも、それならばいっそ、自分から距離を縮めてみるのはどうだろう。
そう思い、試しに洗濯物を干しているレイの真横に立ってみた。翌日のことである。
「ラ、ラキタル……、どうしたの」
驚くほど早く隣の気配を感じ取り、レイは声をかけながら一歩退いた。
「うーん……」
そうじゃない、と思い、ラキタルの眉間に皺が寄る。
「ラキタル?」
レイの声が聞こえないほど、ラキタルは考えていた。
どうしたら彼の側にいられるだろう。昨夜のような魔法陣の向こうの恋人同士のように、彼のすぐ近くにいられるのだろう。
自分から横にくっついてみても彼は離れてしまう。もっと控えめに? 少しずつ? 少しずつってどれくらい?
あまりにもラキタルが動かないので、レイは片膝をついて顔を覗き込んだ。ずっと人間と一緒に地上にいることで、体調を悪くしてしまう要因でもあったらおおごとだ。
「大丈夫かい?」
「あ……」
もう一度声をかけられて、ようやくラキタルは我に返った。同時に、離れたと思っていたレイが目の前に、しかも自分の目線よりも低いところにいて、目が合って、思わず胸が詰まった。
「あの……」
声が出ない。こんなことは初めてだ。どうしてかもわからない。
わからないけれど、彼の緑色の瞳に言葉が吸い込まれてしまう。
彼がここに来る前、故郷で人々の話を聞く仕事をしていたことをラキタルは突然思い出した。彼から聞いた話だ。
その時は何となく相槌を打っていたが、皆が彼に話をする理由が今になってわかってしまった。
その瞳は深い森の中で唯一日差しが降り注ぐ場所のような色で、落ち着いた声は木々の間を吹き抜けるそよ風のようなものなのだ。
誰にも話せないことでも、彼だったら聞いてくれるような気がする。森の中でこっそり話せば誰にも知られない。彼は秘密を守ってくれる。そんな安心感が、人々に話を打ち明けさせる。
彼とずっと一緒にいたい。月神に黙って興味本位で空の城を抜け出し、彼に会うことができた。
出会ったのは本当に偶然だけど、その時から彼の優しさには触れていた。
一度は木の根本に置いていかれたが、優しさを信じて追いかけたのは間違いではなかった。
この瞳に見守られていたいと、ラキタルは確信してしまった。
けれど、その思いは絶対彼に話してはいけない。話せばきっとまた離れてしまう。でも聞いて欲しい。けれど話せない。
だけど、少しだけなら。少しだけなら聞いてくれるかもしれない。
「僕は……側にいちゃいけないの……?」
ほんの少しだけ打ち明けたつもりだったのに、その一言でレイの表情が険しくなった。
「ま、待って!」
ラキタルは慌てて、立ち上がろうとする彼の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「……っ!」
反射的に振り払われた力が思いの外強くて、ラキタルの体が床に投げ出される。
ラキタルはすぐに立ち上がったが、レイとは視線は合わなかった。
「……今後、僕にその話はしないでくれないか」
「……ごめん……なさい」
レイの声は低くて静かで、謝るだけで精一杯だった。
◇
その日から、ラキタルの姿が見えなくなった。
街へは顔を出しているようで、人々から彼の行方を尋ねる声はない。
昼間はどこへ出かけていても、日が暮れるまでには必ず帰って来ていたのに。
心配になって、夜にこっそり辺りを探しに行っても、ラキタルは見つからなかった。
日差しの強い地域には珍しく、太陽が見えなくなるほどの曇天が一週間続いた。
天空神の力は空に反映される。天変地異だと騒がれる天候の原因が自分にあると、レイは確信していた。
何とかしなければ。
思えば、これまで意地を張りすぎていたのかもしれない。ゆっくりでも話し合えば、もう少しお互いに譲歩できる部分があるのではないか。相手は神様であって人間ではない。感情面ではこちらが譲ってやらなければ。
その日の夜こそ、レイはラキタルを見つけ出そうと決めていた。
どこにいるかは見当もつかないが、このままでは天候が人々の暮らしに影響してしまう。
家から一歩出ると、外は真っ暗だった。夜なのに、夜とは違う。
立ちこめる闇に見覚えがあり、咄嗟に空を見上げる。
そこにはただ一つ輝く月が浮かび、目の前に薄く光る人影が立っていた。
それは感情のない瞳が印象的な月神トネスだった。
視線がレイの周りに向けられ、彼がまたラキタルを探しているのだと察した。
「も、申し訳ございません。ラキタル様は……その……」
「そこにいるな、来い」
「えっ……」
月神が声をかけると、建物の陰から空色の動物が恐る恐る姿を現した。レイと初めて出会った時の姿だ。
「良かった……」
ひとまず、すぐ側にいることはわかったので安堵はした。だが、どうしてずっと家に戻って来なかったのだろう。
「ラキタル、あまり人間を困らせるようなら、城に連れ戻すぞ」
月神の言葉には重みがあった。ラキタルが抵抗しそうな言葉だ。せっかく彼の許可を取ってこの地上にいるのだから。
「ラキ……」
「……わかった。帰る」
ラキタルは同時に人の姿に戻っていた。
誰とも視線を合わせないその様子に月神は眉を顰めたが、レイを一瞥すると、ラキタルとレイを隔てるように間に立った。
レイが声をかけようとした時には、二人の姿はなくなっていた。
夜空が戻り、見上げると星の光が瞬いていた。
◇
城に戻るのは一瞬だった。
カツン、と靴音を立ててトネスが一歩前へ出ると、ラキタルが立ち止まったままであることに気付いた。
「ラキタル、部屋へ戻れ。俺はアトラのところへ戻る」
「……うん」
背丈では大分低いラキタルが、頷かずに相槌だけで返した。
「……神と人間は違う。共生などできない」
「…………」
それだけ言い残して、トネスは去っていった。
視線は俯いたまま、ラキタルはいつまでもぎゅうっとこらえるように拳を握っていた。
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