第6話
ラキタルは実にすんなりと人々の輪の中に溶け込んでいった。
いや、もしかしたらレイ自身が人と距離を置きすぎるだけで、彼が普通なのかもしれない。
彼はラキとして人間について様々なことを吸収した。力を使ってはいけないと言ったことも、逆に楽しんでいるようだ。
ラキタルは魔法陣を使ってレイの妹のカーリアンや、同じ村に住む友人のミゼリットやジャドニック、ハーテインにも簡単に連絡を取れるようにしてくれた。
そうして半年があっという間に過ぎた頃、ようやく青い星へ移ったトーカとも連絡が取れるようになった。何より無事だったことと、元気そうな様子にレイは心底安心した。
彼は三人の子供を保護したものの、言葉が通じなくて困っているそうだ。だが、口ではそう言っていても彼は楽しそうだった。
◇
「レイはいつも何をしてるの?」
ラキタルが純粋な眼差しでレイのペンを持つ手元をじっと見てくるので、レイも答えざるを得なくなってしまった。
「これまでラキタルからもらった知識を、忘れないように書き留めてるんだよ」
「え? これも全部?」
ラキタルは後ろの本棚に目をやってもう一度尋ねた。棚には上から下まで本がぎっしり詰まっていて、内容ごとに大きく見出しが挟まれている。
「こんなにいっぱい書いてくれてたんだ……」
「僕は……トーカみたいに全部覚えていられないからね」
レイがそう言うのを聞きながら、ラキタルは本棚の背表紙を上から順に目で追っていく。何だか不思議な気持ちと一緒に。
「……ラキタル?」
本棚を眺めたまま動かない彼に、レイは声をかけた。
「え? あ、えっと、その……すごいなって」
いつもラキタルの言葉には迷いがないのに、今のは随分選んでいたような気がした。
レイのその視線が伝わってしまったのか、ラキタルが観念したように笑う。
「ごめん、何だろう、何て言っていいのかわかんないんだ」
そう言われると、レイも反応に困ってしまった。それほど言葉に困るようなことを自分はしているのだろうか。
ラキタルは更に付け加える。
「僕が教えたことをこんなに書いててくれて、嬉しいって思っちゃって。どうしてだろう。たくさん書いてくれたから嬉しいって思ったのかな」
「……どうだろうね」
ラキタルは本棚に夢中で、レイの返事の意味を聞いてくることはなかった。
レイは持っていたペンを置いた。
何だか嫌な予感がした。
◇
できればその部分には触れてほしくなかった。
けれどそれも叶わなかった。
◇
それから半月の間は心穏やかに過ぎていった。
突然波立ったのは、ラキタルが夕方になって吉報を持ち帰ってきたからだ。
「レイ! 石材屋のロスと、あっちの角のレインが結婚するんだって!」
「……それはおめでたいね。儀式の準備をしなければ」
「僕もお城から見たことあるよ、楽しみだな」
そこまで言うと、ラキタルは途端に考え込み、レイの方を向いた。
「ねえ、どうして人間は結婚するの?」
「うーん……」
生まれた妙な間から絶対聞かれると思ったものの、すぐに適切な答えが浮かばない。
「……お互いに愛情を持って一緒にいることを、社会的に認めてもらうこと……かな」
「社会的?」
「街のみんなに、ということだね」
「じゃあ、僕とレイも結婚してる?」
「そ、れは少し違うかな」
「一緒にいるよ?」
「ラキタルはそもそも天空神なんだから、結婚とかそういう話じゃないんだよ。愛情を持って一緒に……」
「僕、それは知ってるよ?」
真っ直ぐな言葉に、レイが遮られた。
「あいじょうって、ロスとレインみたいに好きって思うことでしょ? 僕、レイが好きだよ?」
「…………」
「……レイ?」
顔を覗き込まれて、目が合った。
「……ごめんね。僕はこういうことは苦手で、よくわからないんだ」
「……そうなの……」
納得したようなしていないような顔で、ラキタルがそっと離れる。
他人への感情についてはラキタルに言った通りだった。これは人によって違うから、明確な答えが出せない。できれば触れてほしくなくて、だからと言ってどう断っていいかもわからない。
他の事象は経験がなくてもある程度説明はできるが、恋だ愛だという話だけは興味がなかったし、そもそも自分には関係ないと思っていたのでどうしてもできなかった。
それに、世界をまとめる彼がそれを知ってしまってはいけないように思う。誰かに固執するようなことなど。
ラキタルは納得しなかったかもしれないが、これが今自分にできる精一杯の対応だった。
◇
その日の夜遅くまで、ずっとラキタルは考え込んでいた。
いつも人間のことについてきちんと答えを示してくれるレイが、随分あやふやな答え方をしたからだ。
彼が教えてくれないとなると、他に聞ける相手は限られてくる。
「ねえトーカ、トーカはどうして人間が結婚するか知ってる?」
「は? お前それ、レイにも聞いたのか」
「うん、レイは一緒にいるのをみんなに認めてもらうことって言ってた。あと、愛情がなきゃって」
「……なるほど、あいつらしいな」
ラキタルが繋げた魔法陣越しに、トーカは笑った。
「トーカはどう思う?」
「どうもこうもない」
「え〜?」
神様を素っ気なくあしらいながらも、トーカは眉を顰めた。
「……なあ、あいつはそれから何て言ってた?」
「え? えっと……こういうことは苦手だから、よくわかんないって」
「……なるほどな」
「…………?」
ラキタルはトーカの言い方に含みを感じて首を傾げた。
魔法陣越しに焚き火の音がパチパチと聞こえている。照らされている土壁から、今彼は洞窟のようなところにいるのだろう。
「ねえトーカ、どういうこと?」
痺れを切らしたラキタルが尋ねてきた。
トーカは答えようか迷ったが、レイはこうなることまで予想していたかもしれないと思うと、隠す必要もないかと判断した。
「そうだなあ、真面目な話をすると、愛情ってのは人を幸せにも不幸にもするんだ」
「不幸にも…?」
ラキタルはまだ幸せな関係しか見たことがない。
「レイの側にいて人間を理解しようとするのはいいが、深みにはまると後悔するかもしれない。神様は人間じゃないし、人間も神様じゃない。レイがあまり答えないのはそういうことさ」
「……そっか……」
そこからラキタルはしばらく黙ってしまった。
彼は考えていた。恐らくレイは本当に答えられないこともあるかもしれないが、それ以前にラキタルが理解しないようにしているのだ。
でも、何とかして知りたい。
「好き、とか、愛情、とか、そういうのって、どうしたら誰にも聞かずにわかるかな」
ぽつぽつとこぼすようにラキタルは呟いた。
「簡単さ。離れてしまえばいい」
「え?」
意外な回答にラキタルは驚いて顔を上げた。
「それでも相手のことを昼も夜もずーっと考えていられるか。最初のうちはできてても、時間が経つにつれ他に紛れちまうもんさ。何ヶ月、何年経っても同じなら大したもんだな。ただし、相手もそうとは限らない」
最後の一言で、ラキタルの表情が曇った。
「……ほら、不幸にもなるだろ?」
「本当だ……」
言葉の意味を理解して、困ったようにラキタルが笑う。
「……でも、やっとお城から出られたのに、レイと離れるなんてできないなあ……」
「今すぐ決めなくたっていいだろ。せいぜい悩んでな」
「も〜トーカの意地悪! そうだ! トーカは誰かを好きになったことある?」
「お前ついさっき誰にも聞かずにわかるかなって言ったばっかじゃねぇか」
「そうだけど、でも他に聞ける人がいないんだもん」
「俺からその話を聞き出そうなんざ、いくら神様でも百年早いね」
「意地悪〜!」
ラキタルが口を尖らせるのを見て、トーカは魔法陣越しにふふんと笑った。
これが、ラキタルの更なる行動を促すことになったとしても構わない。
それは早いところ決着をつけてしまえと思ったからだった。
人間の命は、神様に比べれば短いものだから。
◇
ラキタルは確かに行動を起こした。
「今後、僕にその話はしないでくれないか」
だがそれは、結果としてレイとの関係に小さな亀裂を生じさせた。
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