第5話

 トーカから話があると切り出してきた日から一週間。

 レイは今日もいつものように、街を囲むように連なる一番高い崖の上から、街を見下ろしていた。

 崖が特別高いわけではなく、街が低いのだ。暮らしやすいように強い日差しを避け、日陰を増やすためだった。

 乾燥したこの土地の雨季は短く、降る量も少ないが、それでも低地が洪水にならないような工夫は施してある。この土地に街を作ろうと決めたのはレイで、雨対策はトーカが考えたものだ。それは精霊の力を借りるもので、後の生活にも受け継がれる知恵となった。


 ここも最初に比べれば人も増えて賑やかになった。

 この崖に立っていると街全体が見渡せるので、どこでどんな問題が起こっているかがわかる。中央の生活道路はもう少し広い方がいいとか、街の端の方になると家同士の距離が近くなっているので、互いの生活音で喧嘩になったりしないかなど、色々だ。

 これまでそうした問題を二人で話し合ってきたが、隣にはもうトーカはいない。一週間経っても、まだ慣れなかった。


 トーカが話があると切り出してきたあの日、彼がラキタルに言ったのは、以前手本として見せられたあの青い星に、トーカ自身が行きたいということだった。ラキタルは驚いていたが、見知らぬものに興味を持つのがトーカの性質と知っているレイからすれば珍しいことではない。だから止めなかったのだ。止められなかった。

 いつも自分より年上に見えるほど落ち着いた雰囲気を持つ彼が、その時だけは子供のように目を輝かせていた。これまでどこを旅しても見つからなかったものを、彼はようやくあの星に見つけたのだ。止められるはずがなかった。


 一人になって、今までと同じようにできるかと問われたら自信はない。

 けれど、ここは一人でやるしかない。友人にもトーカのことと、この土地の管理は自分で行うことを伝えていた。

 それでも、やはり一人というのは自信が持てず、気が重い。集中力も途切れがちだ。


「レイ、トーカは元気かな」


 耳馴染みのあるラキタルの声が聞こえた。


「……多分。あれから連絡はありませんが、恐らく元気でしょう」


 声のする方へ、レイがぼんやりと答える。


「……レイは、トーカがいなくなって寂しい?」


 ラキタルの問いは続く。


「寂しい……というと少し違うかもしれません。ただ、相談相手がいないのは、心細いものですね」

「……そっか」


 その返事から、ラキタルはレイの答えに納得したようだった。

 いや、その納得に自分まで納得している場合ではない。

 レイはようやく状況に気付いた。いつも彼と話す時は、必ず家の中で魔法陣越しでのやりとりだった。それは魔法陣自体が光って目立つからだ。彼と話す時はどちらかから予定の時間を決めて、その時間に合わせてラキタルが魔法陣を作るのだが、今は特別約束もしていないし、室内でもないし、魔法陣もない。


「ラキタル様?」


 振り返ると、そこにはラキタルが立っていた。


「レイ、久し振り」

「は、はいその、お会いするのはお久し振りですが、どうして……」

「もう一人呼んだ水の精霊の様子を見に来たんだ」

「そ、そうですか……」

「なんて、精霊を呼んだのはもうずっと前だよね。本当は、トーカの代わりをしに来たの!」

「え!?」


 ラキタルの発言に、レイは驚きのあまりいつもより大きな声が出てしまった。


「だって、夜話してても元気なさそうだし、ここに来る許可はトネスから取ってあるから大丈夫」

「いえ、そういう問題では……」


 一人でいることの心細さは図星だが、問題はそこではない。


「レイー! ちょっと話があるんだが」


 崖の上に立っていると目立つので、用があるとすぐに声をかけられる。

 下から坂道を上がってきたのは、学校の増築を任せている男だった。


「話とは?」

「図面がどっかで狂っちまったのか、用意してた石材が足りなくてなぁ」

「それはすぐに手配しよう。どれくらいあれば足りるかな」

「えーっと、大体……」


 その時、男とラキタルの視線がぶつかった。


「誰だお前、見ない顔だな」

「僕はね、この地に精霊……」

「ちょ、ちょっと!」


 慌ててレイがラキタルの口を塞いだが、男の視線が刺さって痛い。


「し、親戚の子が、本大陸から遊びに来たので預かってるんだ」


 あからさまな嘘をついてしまったが、男は頷いた。


「……へえ、レイの親戚か。名前は?」

「ラ、ラキって言うの!よろしくね!」


 レイの嘘にラキタルの嘘を重ねて何とか乗り切った。男は必要な資材を計算しなおすと言って、その場から立ち去って行った。


「……はあ」


 レイは思わず溜息をついた。一瞬の出来事だったが、この半年で一番気疲れしたような気がした。


「……そっか、レイの親戚の子って言えばいいんだね」


 ラキタルが頷くの見て、レイは慌てて撤回した。


「ち、違います! ラキタル様をそのような…」

「だめ、もう言ったことだし。だから、僕を呼ぶ時も様をつけちゃいけないよ?」

「そ、それは……」

「レイ!」

「は、はいっ!」


 大きな声でラキタルに名前を呼ばれ、戸惑いを遮られた。

 レイの肩ほどの高さから見上げてくる空色の目は真剣だ。


「僕じゃ、トーカの代わりにはならない?」

「え……?」


 予想もしなかった言葉に、レイは聞き返してしまった。


「話をするのは夜だけだったけど、僕、ずっとレイとトーカを空のお城から見てたよ。トーカといる時のレイはいつも楽しそうだったけど、いなくなったらそうじゃなくなった」

「……っ……」


 レイははっとした。だからラキタルは聞いたのだ、トーカがいなくなって寂しいかと。


「僕だけ何もしないでお城にいるなんてできないよ。それに、ここは僕が精霊を呼んだ島だもん。そしたらトネスも行っていいって言った」

「で、でも……」

「お願い、側にいさせてよ。僕がわかんないことはレイに聞くから、レイがわかんないことは僕に聞いて?」


 そう言うと、ラキタルがぎゅうっと抱きついてきた。彼はこの空を司る者であるはずなのに、仕草や振る舞いは人間と間違えそうなほど似ていた。

 神というのは人間よりも優れているのではないか。崖の上でこんなことをされたら下にいる皆から丸見えなのに、その自覚はなさそうだった。


「……わ、わかりました。じゃあ……申し訳ないですけど、親戚の子ということにして接しますからね?」

「いいよ!」

「とりあえず……家に戻りましょう」

「わかった! あ、親戚の子には戻りましょうなんて言わないよね?」

「…………」


 絶対にわかっていない。王様よりも身分の高い相手を、親戚の子として扱わざるを得ない心苦しさなど。

 だが観念するしかなかった。彼が天空神だと知られないことが最優先である。


「……家に戻ろうか、ラキタル」

「……!! うん!!」

「〜〜〜……」


 とてつもなく嬉しそうなラキタルの満面の笑顔は、レイをほっとさせつつも、少しだけげんなりさせた。



    ◇



 一人ではなくなったことは、確かに良かった。

 けれど、それはまた別の問題を生み出した。

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