第2話
自分を呼ぶ妹の声で起こされると、既に夜は明けていた。
だが、時計を見ると起きようと思っていた時間よりはずいぶん早い。
「ねえ起きて! 来てってば」
まだベッドにいたかったが、彼女が何度も呼ぶのでとうとう根負けして部屋を出る。
「カーリアン……朝から一体何……」
「来てるわよ! 外!」
「えっ」
妹が玄関の扉を指すのでゆっくり開けてみると、確かにそこには昨日の空色の生き物が座っていた。
「本当だ……よくここがわかったね」
レイがそう言って頭を撫でてやると、また昨日のように気持ちよさそうに目を細めた。
それを見るとレイは不覚にも嬉しくなってしまった。人間同士だと、仕事以外では親しい友人でも会うことはほとんどないので、会いたいと言う思いが叶うとこんなにも嬉しいものらしい。
「レイ、仕事は?」
「あ、えーっと……」
彼は嘘がつけないのですぐに顔に出る。今日はどうやら仕事のようだが、予想外の嬉しい来訪のおかげで行きたくなさそうだ。
「言葉が理解できるんだったら、部屋で待たせておけばいいんじゃない?」
「……そうか。できるかな」
「荒らさないように言い聞かせればいいのよ」
「うーん……」
妹はもう追い返すことは諦めているようだ。
大丈夫かなぁ……と言いながら、レイが空色の生き物を抱き上げて部屋に引っ込もうとすると、追いかけるようにカーリアンが声をかけてきた。
「ねえ、私今日の夜みんなと酒場で約束があるんだけど、一緒に行く?」
「僕はいいよ。この子がいるから、仕事が終わったら真っ直ぐ帰るつもり」
「はいはい」
聞いてみただけよ、とカーリアンが付け足すと、レイは笑って頷いて扉を閉めた。
◇
その日、レイが仕事から帰ってくると、空色の生き物は大人しくベッドの上で丸くなっていた。
レイが入って来たことに気づくと、飛び降りて足下に擦り寄ってくる。足にとんと触れる感触が心地よかった。
夕方に帰宅してから、彼らはずっと一緒にいた。どうやら言葉がわかるようなので、レイは生き物がじっと興味ありげに見つめるものを次々に教えてやった。ベッド、服、窓、本、テーブル……人間にとっては当たり前のものでも、物珍しく見えるようだった。
真夜中、一緒にベッドで休んでいると、玄関の方で大きな物音が聞こえた。恐らく酒場に行っていた妹が帰ってきたのだ。他にも声が聞こえるので、友人たち三人が立ち寄っているようだった。彼らは妹と自分の共通の知り合いでもある幼なじみたちだ。
妹の誘いを断っていたので、気になって部屋の扉を少し開けた。
その気配に気づいて、早速誰かがこちらに向かってきた。
「レイ、起きてるのか? あー起こしちゃったか」
「いや、起きてたよ。今日は行けなくて悪かった」
話しかけてきたのは赤い短髪の男だった。
「ちょっとージャドニック、自分だけ先に確かめようなんてずるいわぁ」
「君はもうちょっと酔いをさました方がいいよ、ミゼリット」
赤い短髪のジャドニックは、割り込もうとする赤い巻き毛のミゼリットをやんわりと遠ざけた。
「ミゼリット、何だって?」
レイが聞き返すと、ミゼリットは陽気に答えた。
「カーリアンが言ったのよ、レイには先客があって今日は来られないって。それ以上聞いても何も言ってくれないんだものぉ」
「私は事実を言っただけよ」
「ミゼリット、そこまでだ」
ジャドニックと同じくらいの背丈の男が、がっしりとミゼリットの腕を引いた。
「あれ、ハーテイン。君は飲まなかったのかい?」
「お前が来ないと聞いたら俺は飲めない。こいつらが何をするかわからないからな」
真面目が服を着たようなしかめっ面で、青い髪のハーテインはミゼリットの首根っこを掴み、後ろへやって言葉を続けた。
「悪かった。立ち寄れば気が済むだろうと思って寄ったんだが、邪魔したな」
「いや、ちょうどよかったよ。僕もこの子をみんなに紹介したいと思ってたんだけど、酒場はさすがに人の目が多すぎるから」
そう言って、レイは部屋の中にいた空色の生き物を呼び寄せた。
生き物はすとんとベッドから降りると、駆け寄って来てレイの足下にぴったりくっつき、いつもの大きな目で彼らを見上げた。
「え〜〜かわいいっ! ちょっともっと早く教えてよね〜〜!!」
「ミゼリット!」
酔っぱらいの暴走をハーテインが窘めたが、彼女は躊躇いなく空色の生き物を抱き上げると、そのままぎゅ~っと抱き締めた。酔いが回っているせいでその仕草は手加減がなく、生き物は突然の頬ずりに固まっている。
「…本当だ。カーリアンの言う通り、確かに初めて見るなぁ」
ミゼリットに撫でられている姿を見ながら、ジャドニックが言った。
「そう、どんな生き物かまだわからないから、なるべく周りには言わないでほしいんだ」
「そうだな」
「大丈夫よ!」
酒が入っているとは言えど、友人の頼もしい返事にレイは安心した。
だが、ハーテインはそんな二人を眉間にしわを寄せて睨み、レイに声をかける。
「おい、家主が追い出さないと、酔っぱらいはいつまでも居座るぞ」
友人の容赦ない言葉に、レイがやれやれと苦笑した。
「さあミゼリット、君は明日東の森で長い足を狩りに行くんだろう? そろそろ帰らないと差し支えるよ」
本業を話題にすると、彼女は名残惜しそうに空色の生き物をレイに引き渡した。
「ジャドが送って行くのかい?」
「おう、任せてくれ」
「お前も酔ってるだろ」
レイの問いにジャドニックは自信満々に答えたが、すぐにハーテインが冷静に指摘する。そのまま、俺が送っていくから心配するな、と付け加えた。
「わかった。ありがとう」
「じゃあね、おやすみ」
兄妹の見送りで友人たちは帰路につき、室内は一気に静かになった。
「……驚いた。君が先に話してたなんて」
「彼らなら大丈夫と思って。昔からの付き合いだし、きっと何かあったら助けになってくれるわ」
「そうだね」
そうして、レイもカーリアンもそれぞれの部屋で眠りについた。
レイのベッドでは、空色の生き物も一緒に寝息を立てていた。
◇
その日から、レイとその生き物は彼の仕事の時間以外はほとんど同じ時間を過ごした。
仕事が休みの日は、人目につかないよう大きな布袋に入れて、近くの森まで散歩した。
森に着けば人気はないので、袋から出すことができる。
レイが見る限り、相変わらずその生き物は何も食べなかった。生命を維持するためにはその源が必要になるはずなのに、食べ物以外に一体何を源にしているのかも推測できない。特に日光浴や水が必要というわけでもなさそうだ。
そして全く鳴き声を発しない。なので、未だにその生き物の声を聞いたことがなかった。
謎は謎のままだが空色の瞳は相変わらず人懐こく、レイの後を追ってくる。
抱き上げると温かくて、どこかほっとした。今まで動物なんて、手のひらに乗せられる大きさでも苦手で触れなかったのに、どうしてこの生き物は大丈夫なのかが不思議だった。
その理由がわからないまま生き物の正体を知ったのは、本当に突然の出来事だった。
◇
一緒に過ごすようになって二週間。すっかりお互い仲良くなって、その日もいつものように森へ散歩に来ていた。
抱えていた布袋を木陰に下ろし、袋の口を開けると、ひゅっと中から飛び出してくる。
木に寄りかかって座るレイの目の届く範囲を走り回って、戻ってくると膝の上で丸くなった。
この時がずうっと続けばいいのに、とここに来る度に思うのだが、その日はとうとうその思いが覆されてしまった。
昼間なのに、突然空が真っ暗になった。
「えっ?」
思わずレイは空を見上げたが、先ほどまで広がっていた青空は一瞬で夜空に変わり、月が浮かんでいた。
外に出ていればこの変化に気づかない者はいないだろう。太陽の光がなくなり、手を伸ばした距離さえ月明かりでぼんやり見える程度だ。
膝の上の生き物はそこにいたが、触れる限り起きあがっているようだ。
このままでは家にも帰れない。
途方に暮れていると、目の前に淡く光る人影が現れた。
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