(2)

 捜査本部に戻った香澄は忙しく駆け回る捜査員を他所に、一人椅子を座ったまま空を眺めている。しかしその事を咎める人間はその場には誰一人として居ない。咎めるどころか話しかける素振りすら周りの誰からも見られない。しかしそれも仕方のない事である。つい先ほど相棒の酒井が緊急逮捕されたばかりなのだから。誰もが香澄にどう接すればいいのかがわからなかったのだ。そんな誰もが避けている状況の中で突然、香澄の前に缶コーヒーが置かれた。

「すまん。遅くなった」

 香澄が声の主に視線を向けるとそこには額に汗を滲ませた楢山が立っていた。香澄は口は開かずに置かれた缶コーヒーを手に取り会釈した。楢山は香澄の隣に座り膝が当たる程近づき小声で話す。

「酒井の身柄を移すことが決まった」

「……随分と早いですね。ついさっき逮捕したばかりでまだ何の話も聞けていないのに」

「それだけ上も必死なんだろ。ついさっき突然現れた上の使いっぱが、酒井を移動させるとだけ伝えてきてな。今はここの署長と何やら話し込んでいるよ」

 香澄は貰った缶コーヒーのフタを開けると一息に飲み干す。

「それでどこに移されるんですか?」

「移送先はわからん。それに今回は過去の不祥事が事件の根幹にあるからな。それに加えて逮捕された容疑者が現役警察官だなんて、世間に知れれば瞬く間に警察に非難が集まる。それを踏まえると上の連中がはたしてどんな結末を描くのかまったくわからん」

「最悪口封じの為に勾留中の自死もありえるってとこですか。こんな事になってしまいましたが、そんな結末だけは俺は認めませんよ」

「わかってるさ。上の連中にはその辺はしっかりと伝えている。しかし出頭してきた奈須文雄の処遇に関しても、まだ何も決まっていない現状を考慮すると色々と都合が悪い二人にまともな聴取が行われるとも思えない。さて、どうするか」

 苦い顔で天井を仰ぐ楢山、香澄は少し間を空けて答える。

「楢山さん。どうにか酒井と面会させてもらえませんか?このままじゃどうせいつもの様に全てが有耶無耶にされて真相は分からず仕舞いだ。……知りたいんですよ。あいつが何を考えてこんな事をしたのか」

「そういうと思って会えるように話はつけてある、まぁ条件付きだがな」

 気だるそうにため息を吐く楢山に「条件ですか?」と香澄はおうむ返しをする。

「まず面会する際には記録は一切しない。録音は勿論、取調室のカメラも全て切る。出てきた情報は共有すること。そして最後に面会時間は三十分だけって話だ」

「それだけですか?意外ですね。面会に監視役を付けないとは」

「そこは俺が説得した。知らない人間が同席すれば聞ける話も聞けなくなるってな。時間は短いが精一杯引き出した条件だ。だからこれで納得してくれ」

 香澄は単調に「わかりました」とだけ言って椅子から立ち上がると、取調室に向かう為に楢山に背を向けて歩き始めた。楢山はポツリと「悪かったな酒井の事。黙っていて」と呟くように言う。すると香澄の足が止まり振り返らずに「まだ全て終わってませんから。その話はまた後日お願いします」とだけ言い残すと部屋を後にした。

 早足に歩く香澄。酒井が待つ取調室に近づくにつれ人の姿は減り、扉の前に着いた頃には門番の様に立ち塞がる男が二人のみとなった。

「存外早い再会になってしまいましたね。お待ちしてましたよ香澄警部補」

 見るからに作った笑顔で、文雄に暴行した男が香澄に話しかける。

「だろうとは思っていたが、やっぱりお上の世話係ってのはあんただったんだな。——それで?わざわざお偉いあんたが待ち構えて俺に何か用事でもあるのか?」

「いやいや。それほどいい身分でもないですよ。たかだか現場で働く従僕ですからね。あなたと一緒でどこにでも落ちている石ころですよ」

「……それで。その石ころさんが何でわざわざここに?」

「さすがにこれ以上ゴタゴタが続くと、収拾がつかない可能性が出てくるので、管理と監視の為ですよ。昔はもっとシンプルに事を片付けることができたんですが、どうも昨今はそうもいかないもので色々と面倒な調整が必要なんです。ですからどうかこれ以上ことを荒げない様にお願いしますね。私たちのためにもあなた達のためにも。お願いしますよ……香澄警部補」

 落ち着いた口調ながらも圧をかける物言いに対して香澄は「あぁ」とだけ答える。返事を聞いた男は香澄のボディーチェックを行うとポケットからタバコとライター、スマートフォンを取り出した。

「これはこちらで預かりますよ」

「タバコとライターぐらい渡せ」

「そもそも建物内は禁煙ですよ?」

「こんな事態になって今更タバコぐらいでどうにもならんだろ」

 男は小さいため息を吐きしぶしぶながらもタバコとライターを返した。香澄は取調室のドアノブを握ると大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出した。そしてドアを開けて室内に入った。

「よく会いにこれましたね香澄さん」

 まるで憑き物が落ちたような穏やから表情をした酒井が、部屋の中央に置かれたデスクの向かい側に手錠をして座っていた。部屋の隅にはスーツ姿の男が一人腕組みをしながら壁にもたれかかっていたが、香澄が入ってくると二人を背にしてドアに向かい「三十分だ」と言い残し部屋を出た。香澄は部屋に掛けられている時計を確認してから、デスクを挟んだ酒井の対面の椅子に腰を下ろした。

「楢山さんが手を回してくれてな。どうにか三十分だけだが、話す時間を作ってくれた。……何か飲み物でもいるか?」

「飲み物はいらないです。時間が勿体無いでしょ。それにしてもさすが楢山さんですね。伊達に人の弱みを握ってないと言うか何と言うか。でもあまり無茶し過ぎると、その内やばい事になるから気をつけるように伝えてくださいよ」

 酒井はまるで何事もなかったかのように普段と変わらない笑みを浮かべながら話すと、香澄もつられて微笑み「あぁ。伝えておくよ」と答えた。酒井はそれを聞くとデスクの上に手錠に繋がれた両手を乗せ、指を組み息をゆっくりと吐き出した。

「それじゃあ時間もないことですし、そろそろ本題に移りましょうか。何を聞きたいですか?」

「何もかもだよ酒井。……奈須と呼んだ方がいいか?」

「酒井でいいですよ。そっちの苗字の方が長く名乗ってるのでしっくりきますしね。何もかもですか。となると三十分では到底足りないので、かいつまんだ説明になりますけどそれでもいいですか?」

 香澄はゆっくりと一度だけ頷く。そしてポケットからタバコを一本取り出して火をつけた。酒井はそれをやれやれといった様子で見た後に口を開いた。

「そもそも僕が警察官になったのは、母とあの人の真相が知りたかったからです。ですが上層部の監視の目を掻い潜ってそれらを調べるには、思っていたよりも長い歳月が掛かりました。それにあの三人に関しては名前以外の情報がほとんど無かった。ですが全てが急激に動き出したんです。荒沼の死がキッカケで。——僕は多原麻衣子さんの事を独自に調べて彼女に起こった出来事を知りました。彼女がその後自ら電車に飛び込んでその命を絶ったことも。ですが当時はまだ彼女を襲ったのが上屋だとは知りませんでした。……実は彼女、死ぬ前にお子さんを出産してるんですよ。知っていましたか?」

 香澄は眉間にシワを寄せて首を横に振る。

「亡くなったのは襲われてから約一年後。彼女妊娠してたんです犯人の子を。彼女の父親に聞いたんですが、彼女は事件の後に塞ぎ込んでしまいましたが気づいた時にはまだギリギリ堕ろせる時期だったそうです。ですが彼女は自分の中に宿った命の燈を消すことができなかったそうです。苦悩の末に生まれた女の子は一度だけ彼女の腕に抱かれその後すぐに養子に出されました。その子の名前は巳姫。空山巳姫です」

「——あの山中で発見された女子高生が……」

 目を大きく見開いて酒井の目を見つめる香澄。

「そうです。何とか里親を調べてつい最近ようやく見つけ出しました。彼女が多原麻衣子さんの実の娘で間違いありません。調べたところ裕福そうなご家庭だったので彼女の娘さんが幸せに暮らせていると思っていたんです。ですがそうじゃなかった。里親に出された家は表向きは立派ですが、その内情はなかなかに酷いもので家庭内に彼女の居場所はありませんでした。そのせいか彼女の素行も決していいとは言えませんでした。今流行りのパパ活とやらに手を出して時には身体を売って金品を得ていたみたいです。……あの日、僕は非番で彼女の様子を伺いに行くと、彼女は歳の離れた男の車に乗り込んでいました。僕は流石にこれ以上見過ごせないと思って彼女達の後を追いました。すると彼女が乗る車は山の中にどんどん入って行って道路を外れた死角に停車しました。僕はこっそりと見つからないように様子を見に行くと、突然血相を変えた彼女が車外に飛び出してそのまま走り去って行ったんです。僕は恐る恐る車内を確かめると男が一人意識を失って倒れていました。その隙にそいつの財布を探って身元を調べる為に免許証を確認したんです。そしたらびっくり。あれほど探しても見つからない仇が突然目の前に降って現れたんです」

興奮しながら話す酒井。香澄は静かに問いかける。

「それが荒沼だったのか?」

「そうです。ちょうど手頃な紐が車に積んでいたんで起きる前に手足を縛って後はひたすら待ちました。車内を調べるとダッシュボードに刺身包丁なんて積んでたんですよあいつ。なので目を覚ました荒沼にそのナイフを使って、過去にあいつが何をしたかを延々と質問していたら気づいたら死んじゃってました」

「その時、荒沼から何を聞いたんだ?」

酒井は天井に視線を移して考える素振りを少し見せてから答える。

「忘れてしまいましたね。確か他の二人がやったんだなんてことを、言ってたような気がしますが大した情報は持っていませんでしたね」

「なら上屋はどうやって見つけたんだ?」

「上屋なら署に様子を見にきていたじゃないですか。署の入り口をうろうろしていて僕が追いかけたあの男ですよ。何でも名前を変えて金をもらった時に、上層部の連中に今後手助けはしないと言われたそうなんです。ですが俺が上の連中の部下だと伝えると、嬉々として助けなければ全て話すなんて脅しをかけてきましたよ。なので後日連絡をすると言って連絡先を手に入れました。本当に不思議なものですよね。あれほど必死に探しても見つからなかったのに、半ば諦めかけた頃になって嘘のように次々と目の前に現れて来ちゃうんですから」

そう言って酒井は掌を見つめた。香澄はその姿を見て一瞬口を固く閉ざす。そして鼻から大きく息を吐き出すと強張りを緩めて口を開いた。

「嘘が上手くなったのか、それとも今までが偽りだったのか。嘘に真実を混ぜると疑われる。だが真実に嘘を混ぜると何故だか人は信じてしまう。その点ではお前の話は上手に嘘を混ぜられているよ酒井。長年嘘を聞き続けてなきゃわからないほどにな。何で首には刺し傷がなかったんだ?まるで誰かが背後から首でも締めていたかのように。お前も警察官なら最後は正しいことをしたらどうだ?」

「ハハハッ。まるで自分達は嘘偽りを語らないような言い草ですね。香澄さんいってたでしょ、妥協することで守れたモノもあるって。でもねその守られたモノの中には、本来なら処罰されなければいけなかったモノ達が何人も含まれているんですよ。そいつらを野放しにしておいて都合の良い正義感やら倫理観を口にするなんて都合良すぎでしょ。それに僕は自分が思う正しいをやってます。その正しいがあなた達にとって正しいかは知りませんが」

「真実を探していたはずのお前が真実を隠して庇うなんてよっぽどだろ。一体誰を守ってるんだ」

「香澄さん。……守るべき人ですよ。あなたが今までの刑事生活で守ってきた人たちと同じ守られるべき立場の」

悲壮感が滲んだ微笑みで酒井が答えたのと同時に部屋の扉がノックされ酒井が話す。

「もう時間みたいですね。残念ですがもうお別れの時間です」

「何がお別れだ。あらゆる手を使ってまた面会に来てやるよ。そして何があっても必ずお前には真っ当な形で罪を償わさせる。お前は俺たちのようにはなれない。……いや、なるべきじゃない。今更と思うだろうが全て終わらせたらお前には日の下を堂々と歩いて欲しい」

「香澄さん。もっと早くあなたと本音で話し合えていれば、今とは違う結末があったんですかね。でも僕は自分がしたことを後悔してません。今までお世話になりました。……どうかお元気で」

椅子から立ち上がった香澄に酒井は座りながら深々と頭を下げた。香澄はその姿を寂しそうな表情で一度見つめた後、部屋を出た。

「どうでした。何か吐きましたか?」

部屋の外に待機していた男が香澄に声をかけるが、香澄は首を軽く横に振って答えるにとどまる。それを見た男は小馬鹿にした様に鼻で笑った。

「やっぱりダメでしたか。まぁ初めから期待なんてしちゃいないですがね。後はこっちでやるんで。お疲れさま」

香澄は男の顔を一瞥して何も言わず歩き始めた。男は部屋を後にする香澄の背中を眺めてもう一度鼻で笑う。そして1人取調室に入っていった。

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