(8)

 曇り空が広がる昼下がりに住宅街を走る一台の車。運転席には普段ハンドルを握らない香澄が、真剣な表情で座り車を走らせている。

「本当に私も一緒に行って大丈夫なんですか?」

 後部座席に座る文雄が不安そうに問いかけると、香澄はルームミラー越しに文雄と目を合わせた。

「大丈夫ですよ。まだあなたは正式に逮捕されたわけじゃないんだ。いわば善良なイチ市民なんですから心配しないでください。それにまたあなたを置いて行って、変な奴が現れても困りますしこれが最良の選択ですよ」

「すいません。あなたに迷惑をかけるつもりで呼び出した訳ではなかったのに、結果的にこんな事になってしまって……」

「そんな事あなたは気にしないでください。——それよりもあの家で間違いないですか?」

 香澄は車の前方に建つ一軒家を指差し言う。

「どうでしょうか。私も訪れるのは初めてなもので正確な位置は分からないんです」

 指差した家の前を徐行しながら二人は、家の表札を確認すると文雄の表情に緊張が浮かんだ。

「この家で間違いないと思います」

 焦りが見える文雄の言葉で香澄は、車のブレーキを奥まで踏み込み車を停車させた。そして後部座席を振り返ると眼球をあちこちに動かし、落ち着かない文雄の肩に手を置き目を見て小さく頷くと二人とも車を降りた。

 香澄は文雄に先を歩かせると数歩後ろからついて行く。文雄は家の前につくとインターホンを押すのに一瞬躊躇を見せたが、首を横に小刻みに振るって呼び鈴を押した。少し間を空けて住人と思わしき女性の声がインターホンから聞こえた。

『どう……したんですかお義父さん』

『すまん。勇雄に会いに来た。今家に居るか?』

 幾ばくかの沈黙が続くと、急に玄関の扉がバンッと開き中から鬼の形相をした勇雄が出てきて手には包丁が握られている。それを見た香澄は慌てて文雄の前に立ち塞がり勇雄に話しかける。

「落ち着いてください」

「誰だあんたは。関係ない人は引っ込んどいてくれ」

「そうはいかない。私は香澄と言って警察の者です。だから落ち着いてその手の包丁を仕舞ってください」

 警察官と聞いた瞬間、驚きを見せ固まる勇雄。すると家の奥から出てきた早江が、優しく勇雄の手から包丁を取り勇雄を抱きしめた。

 四人は早江の案内でリビングに場所を移すとテーブルを囲んで座る。

「……今日は一体何のご用で?」

 早江のぶっきらぼうな小さい声が沈黙を破る。その問いかけに香澄が口を開く。

「お話したい事があり、お伺いさせていただきました。——先日近隣の山中で男性の遺体が発見された事件はご存知ですか?」

「知ってはいますけど……」

「では話は変わりますが、約二十年前にも近隣の山中で似た様な事件が起きていたのを知っていましたか?高佐木勇雄さん」

 香澄は応答する早江にではなく香澄と文雄から頑なに目を逸らす勇雄に言葉を投げかけた。勇雄はため息を漏らしながら、仏頂面で香澄に目を向ける。

「何のつもりですか?……まぁそう言う事なんでしょうね。その男が一緒に居るんだ。今更何のつもりなんだか知らないが、俺とその男はもう他人なんだ。あんたら警察で勝手に好きな様にしてくれ」

 段々と語気が強まるにつれて勇雄の視線は、香澄から文雄へと変わった。香澄は怒りに震える勇雄を憐れみの目で見つめ瞳を閉じた。そしてゆっくりと開き勇雄を見つめた。

「あなたのお父さんは自首してきました。二十年前の事件の犯人として。そして先日起きた事件も自分が犯人だ言って」

「それが何なんですか?可哀想だから逮捕される殺人犯の父親と和解でもしろと?」

「警察もバカじゃないんです。過去の事件は別として、先日の事件に関しては、文雄さんのアリバイなんてきっとすぐに見つけてしまう。そうなると疑問が残るんです。何故そんな嘘をついたのか、誰のために嘘をついたのか。ってね」

 目を大きく見開く勇雄。そして次の瞬間大きく笑い出すとそのまま話す。

「突然親父を連れて来たと思えば何言ってんだあんた。回りくどい言い方なんてやめて言いたい事があるならさっさと言ったらどうなんだ」

「でしたら単刀直入に。——先日殺された荒沼泰之は昔あなたの母親を襲ったグループの一人です。聞いた話を元に私なりに推理したんですが、あなたどうやら過去に起きた周辺地域の婦女暴行事件や未遂事件に関して調べていましたよね。趣味ですか?もしそうじゃないなら理由を聞かせてもらえませんか」

 テーブルを叩きつけ威嚇しながら立ち上がる勇雄。

「あんたさっきから人が大人しくしていれば言いたい放題だな。確かに俺は母親が死んだ原因を作った奴らのことをこれまでずっと一人で調べてきた。それに犯人達を殺してやりたいとも思った。当然何もしなかったあんたら警察にも怒りを覚えた。だけどな、俺は親父とは違うんだよ。復讐なんてしても母は帰ってこない。それなのに今更家族との生活を犠牲にしてまで復讐なんてするわけがないだろ」

「ですが今回起きた類似した事件は、当時公表されていない事件現場の状況を知っている者の犯行だ。そして警察以外でその事を知っているのは犯人である文雄さんだけ。その文雄さんが犯人でないのなら……」

「事件現場の状況なんて俺が知るわけないだろ。それに警察なら事件の詳細だって調べられるだろ。俺が怪しいってんならまず身内の事も疑えよ」

「勿論疑いましたよ。その上で一番可能性が高い線を辿って来たんですから」

 勇雄は納得いかないといった表情で首を傾げる。

「それならそいつの子供は俺だけじゃないだろ。弟の事も調べたのか?」

「いいえ。事件当時弟さんはまだ十歳にも満たない子供ですからね。とてもじゃないがそんな事を知っているとは思えないんですよ。……ですが確かに確認は必要ですね。——文雄さん下のお子さんの住所はご存知ですか?」

 香澄は隣に座る文雄に問いかけるも文雄は俯いて何も答えない。それを受けて香澄は再度同じ質問を勇雄に投げかけると、勇雄は文雄に軽蔑した眼差し送ると鼻で笑った。

「俺は家を出てから一度も会ってなければ連絡もしていない。ただ風の噂程度だが、そいつは自分の子供を母の実家に預けてそれっきり音信不通なんて聞いたが真相は本人に直接聞いてくれ」

 香澄が再び問いかけると文雄は口ごもりながらもポツリポツリと言葉を絞り出す。

「とてもじゃないが……あの時の俺は、子供を育てていける状態じゃ——」

「だからと言って、よく自分の子供を疎遠だった母さんの実家に預けられたなあんた」

 文雄の話を遮り吐き捨てるように言う勇雄。

「俺だってできる限りの事はしたんだ。あいつが困らないように、毎月それなりの額を養育費として義実家には払っていた。それにようやく俺も精神的に落ち着いて一緒に暮らそうと連絡をしてみても、自分を捨てた親には会いたくないと言ってるの一点張りで会うことさえできなかったんだ。その内、養子にするなんて義実家が言い出して気がつけば会う事さえ出来ずにあいつを義実家に取られたんだ。それなのに家を勝手に飛び出して何も知らないお前に俺の気持ちの何がわかるんだ」

 先程とは打って変わって興奮した様子で立ち上がり叫ぶ文雄に、三人は驚いて声も出せずにいた。それでも文雄は構わずに矢継ぎ早に話し続ける。

「勇雄。もしも今この瞬間に突然隣に座る早江さんがいなくなったらどうする?そしてその原因を作ったクソ野郎が罰も受けずにのうのうと生きていると知ったら?お前は何もせずにいられるのか?それはそれが常識だからか?それとも行動するのが怖いからか?もしもそうならお前に俺の気持ちなんて理解できるはずがない。俺は俺の大切な人を奪ったあいつを手にかけた事には何一つの後悔はない。……だが親としてお前達を蔑ろにしてしてしまったことは悔いしかない。申し訳なかった」

 文雄の頬を堪えきれなかった涙がつたい、テーブルの上にポロポロと零れ落ちる。その様子を見た勇雄もまた、言葉を出せずに瞳に溜まった涙を手で拭う。

 香澄はその様子を見て眉間にシワを寄せて軽く首を傾けた。そして少し間を置いてから沈黙を破るように口を開く。

「……もう一人のお子さんの所在は誰も知らないんですか?」

 文雄は首を横に振って答える。

「すいません。……ですが義実家と連絡が取れればあるいは。とは言えだいぶ高齢な筈ですし、生きていればの話ですが」

「わかりました。私の方から連絡してみるので住所と息子さんの名前を教えてください」

「慎吾です。酒井慎吾。細かい住所は自宅に戻ればわかると思うんですが——」

「酒井。……酒井慎吾ですか?」

 目を大きく開いて聞き直す香澄。

「そうです。養子になった後、妻の旧姓である酒井を名乗っているはずなので。苗字が変わっていなければ、酒井慎吾で間違いないです」

「少し席を外します」

 席を立った香澄は玄関のドアから外に出て電話を取り出して酒井に電話かけた。

「クソッ。何で出ないんだ」

 いくら鳴らしても酒井が電話に出ることはなかった為、香澄は電話相手を楢山に変えて電話をかけた。

『おう。どうした』

『楢山さん。あなた酒井の経歴知ってたんですか?』

『何の話だ?』

『酒井が奈須文雄の息子だってこと、あなた知っていたんでしょ』

『香澄……お前何で急にそんな話をするんだ』

 落ち着いた口調で話す楢木だが、声に僅かに帯びた緊張感を電話越しの香澄は感じとる。

『否定しないなら知っていたんだと判断します』

『あぁ知っていた。だがその事をお前に話して何になる?知っていたら今のように酒井に接することができたか?それとも真面目に仕事に取り組むあいつを左遷でもすればよかつったか?』

『そんなことを言いたいわけじゃ——。いや、これは唯の八つ当たりです。……すいません』

『馬鹿野郎が。全てが解決したらちゃんと話してやるから今は事件に集中しろ』

 通話を終えた香澄はその場に屈んでため息を吐く。その時握りしめたスマホが震えて着信を伝えた。

『俺だ。上屋は確保できたか?』

『それが。奥さんが言うには昨夜遅くに迎えが来てから家に帰宅しておらず、連絡すら取れないとのことなんです』

『迎え?奥さんの知っている人物なのか?』

『面識のない人物だったそうです。マンションの入り口に設置されている監視カメラには何故か映っておらず奥さんの証言によれば、恐らく年齢は三十代でスーツを着用していた小綺麗な男と言うぐらいしか情報がないんです』

『三十代の男か。……わかった。こっちでも調べるから引き続き上屋の行方を追ってくれ』

 香澄は電話を切り家の中にないると沈黙する三人の元に戻る。

「すいませんが緊急事態が起きたので、今日の所はこの辺りで終わらせてもらいます。話の続きは後日改めて——」

 香澄が文雄を連れて玄関へ向かおうとした時、香澄のスマホにメッセージが届いた。

【僕の最愛の人達が眠る場所で待っています 酒井慎吾、改め奈須慎吾】

 それを見た香澄は足を止めた。

「慎吾君のお母さんのお墓は何処ですか?」

 文雄は少し戸惑いながらも墓の場所を香澄に伝えた。

「妻の墓の場所が今何か関係あるんですか?」

「詳しくは言えませんが少々事態が複雑になってまして。これからすぐに私は移動しないと行けなくなりました。ですので迎えが来るまでの少しの間、ここで待っていてください」

 複雑な表情を浮かべる文雄。

「私達のなら大丈夫ですよお義父さん。迎えが来るまでお茶でも飲んで待っていましょう」

 文雄の背後からそっと肩に手を置いて早江が諭す。その様子を見ていた勇雄は口出しすることなく黙って見ているだけだ。文雄はそれを確かめてから小さく一度だけ首を縦に振った。

「申し訳ないですが、迎えが来るまで文雄さんをお願いします」

 香澄は頭を深々と下げお辞儀をする。そして家を出ると急ぎ車に乗り込み発進させ、サイレンを響かせながら、車に備え付けられている無線機のレシーバーを手にする。

『こちら香澄。本部応答願います』

『はい。こちら捜査本部』

『重要参考人を連れ去ったと思われる人物が〇〇霊園にいる模様。今からそちらに向かうので応援願います』

『わかりました。至急そちらに応援を送ります』

 普段から混雑する交差点を香澄が運転する車は、サイレンを鳴らしながら巧みに車の間を縫う様に走る。目的地に近づく程に太陽は傾き陽の光が徐々に世界をオレンジ色に染めてゆく。それがまた香澄を一層焦らせる。

 猛スピードで走る香澄の乗る車が霊園の駐車場に到着した頃には、辺り一面はすっかり夕陽色になっていた。

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