(4)
デスクの上に置かれた袋からはみ出た包丁に、取調室にいる四人の視線が集められた。
「とりあえず香澄さんと二人で話をさせてもらえませんか?」
文雄がそう言うと対面に座る制服警官が頭を抱えながら言う。
「こっちはあんたの要望を聞いたんだから、それはないだろう。こうして本来ならこの場にはいないはずの香澄刑事に、わざわざお越しいただいた上二人で話したいなんて身勝手にも程があるぞあんた」
「お気分を害されたのならすいません。ですがひとまず先に香澄さんと二人で話したいんです。当事者同士として」
制服警官と壁に寄りかかる警官は互いに目を合わせると、制服警官は立ち上がり香澄に声をかけて二人で部屋の外に出た。
「香澄刑事。どういうことか説明願えますか?」
怪訝そうに話をする制服警官に香澄も訳がわからないといった様子で話を返す。
「説明と言われましてもね。私も電話で連絡を受けて来ただけですし、こうして直接彼に会うのも初めてなんですよ。ですから私に聞かれても何が何やらわかりません」
「会った事もない相手が、わざわざあなたを指名して呼び出したのですか?失礼ですが、お二人はどう言ったご関係なんですか?」
疑念を抱いていそうな物言いをする制服警官。香澄が文雄との関係性を説明すると、苦い顔をしながらも納得した。
「分かりました。話が進まないことには私達も、どうすることも出来ないですし一度お二人で話をしてみてください。ただし、行き過ぎた事はしないでくださいね?ここは私たちの警察署なんですから」
「分かってますよ。何かあればすぐあなた方に報告を入れます。お心遣いありがとうございます」
そう言って二人は取調室に戻ると、待機していたもう一人の警官を引き連れて制服警官は部屋を出た。二人きりになった部屋では香澄が文雄の対面に座ると、目を合わせた二人は一度軽く会釈をした。そして会話の口火を切ったのは香澄だ。
「何から話をすればいいのやら。本来なら誠心誠意あの事故の事を謝罪するべきなのでしょうが、昔あなたにそれを拒否されている手前なかなかそれもし辛い。……何故こんな物を持って警察署に来たんですか?それに何故憎んでいるはずの私を呼び出されたんですか?」
背筋を伸ばして奈須の目を見つめて話す香澄。文雄は香澄が話終わると視線を外して小さく「ハハッ」と笑うと下を向いた。
「憎んでいる?——そうですね、確かにあの当時私は憎んでいました。ですがそれはあなたに限った話ではない。私は自分の全てであった妻を失って、この世の全てを憎み恨み呪っていました。でもね、それは私は自身の問題であってあなたが悪いって事ではないんですよ香澄さん」
香澄は何も言えずにただ文雄の事を見つめている。文雄は顔を上げて再び香澄の目を見つめて話を続けた。
「あなただって大切な人を失ったじゃないですか。それも妻と子供、二人も同時に。そんなあなたに同情こそ抱いても、憎むことなんてとてもとても。私たちはお互いに奪われた側の人間なんですよ。この世に蔓延る本当の悪に」
「どういう意味ですか奪われたってのは。それに本当の悪というのは?奈須さん。……あなた何を知って何をしたんですか?」
「香澄さん。あなたあの事故が起きた原因ってどのように聞いていますか?」
「それは……」
言い難そうに口ごもる香澄を見て、文雄が代わりに話を進める。
「突然私の妻が山林から現れると、道に飛び出さしてきて事故が起きた。そんな風に聞いていると思うんです。それ自体は他のドライバーも証言しているので恐らくは正しいと思います。ですが何故妻は山林から急に飛び出して来たんでしょう」
「それは私も事件担当の者に聞いたのですが、結局は分からないままでした。あなたはその理由を知っているんですか?」
文雄は一度呼吸を整えてから再度話始めた。
「事件の日は我が家にとっては大事な日でした。息子の誕生日だったんです。妻は家の近くのケーキ屋に徒歩で誕生日ケーキを買いに行った。そしてその店で目撃されたのを最後に消息を断ち、あの事故現場に急に現れたんです。家から事件現場までは最短ルートを走っても約二十キロ離れていました。さらに妻が消息を絶ってから事故に遭うまでの時間はだいたい一時間と少し。——それを踏まえてどう考えますか香澄さん」
「普通に考えれば奥さんは何かしらの事件に巻き込まれて連れ去られた。そして事故現場付近の山林まで運ばれたと考えるのが一番自然なように思えます。ですけどそれは当時の捜査官達にお話されたんですよね?そうならその線も調べているはずですよ」
「話ならしましたよ。ですが妻が事件に巻き込まれた可能性は無いの一点張りで、警察はろくに調べようともしませんでした。あなたはその事をご存知でしたか?」
香澄は眉間にシワを寄せて首を横に振る。
「いえ知りませんでした。言い訳に聞こえるかも知れませんが、当時の私はまだ下っ端でしたし、何より事故の当事者家族ということもあり調査資料さえ見せてはもらえませんでした。そんな事が……」
「そうだろうとは思ってましたよ。事故後あれほど私に直接謝罪する事を求めていた正義感の強いあなたが、この事を知っていればきっと一人でも調べていたでしょうね。結局警察は最後まで私の言い分を、聞いてくれることはありませんでした。ですから私は自分で何があったかを調べることにしたんです。幸い妻が店に向かう道にはいくつか店があったので一店一店に監視カメラの映像を見せて欲しいとお願いに回ったんです。そしたら驚いたことにどの店もカメラ映像のデータを、警察に提出した上で消去されたなんて言うんですよ」
文雄は失笑しながら香澄の顔を見た。香澄は目を大きく見開いて静かに文雄の話に耳を傾けている。
「おかげさまで一度は完全にお手上げになってしまいましたよ。ですが幸か不幸かその通りには所謂、反社会勢力の方が裏で営む店が何店舗もありましてね。頭を下げて幾らかのお金を積むとあっさりとカメラ映像を渡してくれました。更に幸運だったのはそうした方達の店は。何故か監視カメラの設置台数が多くて監視箇所も広範囲でね。しっかりと私が知りたかった答えがそこには映っていましたよ」
「何が……映っていたんですか?」
「——妻が車ので攫われる瞬間ですよ」
文雄は目と口の両方を力強く閉じて苦悶の表情を浮かべた。対して香澄はそれを聞いて愕然とすると頭を抱えて俯いたまま話す。
「その事を警察には……。いや、すいません。言えるはずがありませんね」
「ハハハ。そうですね、とてもじゃないですけど、言えませんでしたよ。監視カメラ映像からナンバープレートを確認出来てからは早かった。当時はまだ面倒な決まりもありませんでしたから、陸運局に問い合わせるとすぐに所有者が分かりました。……そして今からお話しするあの日の事は、二十八年経った今でも忘れることができません。あの男に会ったあの日のことを——」
——二十八年前
厚い雲が陽の光を遮っているせいで、昼間にも関わらず辺りは薄暗い。ガソリンスタンドでダラダラと店員同士で、話をしている男達の姿を物陰から文雄が覗き見ている。今にも雨が降り出しそうな空にも関わらず、文雄の手には雨具の類が見受けられない。それどころか空などに気を配る様子は見られず、ただただガソリンスタンドで働く男を目で追い続けている。
幾許かの時が流れると、ガソリンスタンドで働いていた男は職場を出ると、駐車場に向かい大型のワンボックス車に乗り込んだ。文雄はその様子を近くに停めている車の中から見ている。男が乗った車が駐車場を出て走り始めると文雄は、少し離れた後方からその車を追跡した。二台の車は市街地を抜けて郊外の道を走る。数軒の民家と多くの田んぼが、土地の大半を占めていることもあり道の見通しが非常に良い。その為、文雄は男の車から距離を取り慎重している事がわかる。
男の乗る車は空き家に囲まれた古ぼけた一軒家の敷地に入った。文雄は車の速度を落としてその家の前を通ると、中の様子を確かめた。そしてそのまま通り過ぎてその家から見えない死角に車を停めた。車内では文雄が助手席に置いていた地図を広げて何やら印を書き込んでいる。そしてそれを終えると、車を発進させてその場から離れた。
「見つけた、見つけた。見つけたぞ。あの野郎よくもよくもよくも——」
再び走り出した車の中では、興奮して独り言を呟き続ける文雄が一人車を運転している。車はそのまま小一時間程走って市街地にある一軒家の駐車場に停められた。
車を降りた文雄は興奮冷めやらぬといった様子で、家に上がると真っ直ぐにキッチンに向かった。そして収納棚を開けると中に仕舞ってあった包丁立てから、全ての包丁を取り出してシンクの上に並べた。文雄は辺りを見て、リビングに在るソファの上に、備えられている小さなクッションを、キッチンまで持って来ると包丁を一本手に持って壁際に移動した。
文雄はクッションを壁に押し付けると、手にしている包丁を大きく振りかぶった。そして力一杯振り下ろしてクッションに刺すと、見事に包丁の刃はクッションを貫いて壁に突き刺さった。文雄はそれを確かめると、別の包丁に持ち替えてまた同じ様に、包丁をクッションに突き立てた。
取り出した全ての包丁でそれを繰り返した。その内貫通しなかった包丁を一本手に取り、収納棚から研ぎ石を出してその包丁を研いだ。研ぎ終わるとまた同じようにクッションを壁に押し付け、研いだばかりの包丁を突き立てその切れ味を確かめた。
文雄は全ての包丁をタオルで包み、それをビニール袋に入れた。ビニール袋片手にリビングに行くと、唐突にズボンの後ろポケットから財布を出して、中に入っている札を全部出してテーブルの上に投げる様に置くと、急いで家を出て車に乗り込んむと猛スピードで走り出した。
太陽は沈み始めており、辺りはオレンジ色の光で染められている。文雄の乗った車は先程追跡していた男の車が停まった、家の近くの薮の中に隠すように停められた。文雄は車を降りると、包丁を包んだタオルが入ったビニール袋を脇に抱えて、男の車が停められている住宅へと歩く。辺りに人通りはないが文雄へ周りを気にした様子で住宅まで向かった。
住宅に着いた文雄は物陰に身を潜めながら敷地に入る。家は昔ながらの平家の日本家屋、建物の隣にある庭には無造作に停められている古い年式のワンボックス車が一台在った。文雄は車に近付いて中を覗き込むが、車内に人の姿はない。
次に文雄は平家に向かいそっと窓を覗き込んだ。窓の向こうは六畳程の部屋で、二人の老夫と老婆が並んで座っている。二人は小さなテーブルに幾つかのツマミを並べて、酒盛りをしながらテレビ画面に映るバラエティ番組を、食い入るように見ていた文雄に気づく気配はまるで無い。文雄は静かに移動すると、別の部屋の窓をまた覗き込んだが、その部屋には誰も居なかった。文雄は息を押し殺してそっと次の窓へと移動した。すると大きなイビキ声が壁越しにも関わらず文雄の耳に届いた。恐る恐る文雄は窓から屋内を覗き込む。すると文雄の眼差しが、それまでの怯えを纏ったモノから一変して、憎しみ溢れる鋭いモノになった。そして文雄の口元からは力強く噛み締めた歯と歯が、ギリギリと音が溢れている。
文雄が覗き込んだ窓の向こう側では、夕陽が差し込んだ部屋の中で、文雄が追いかけていた男が、大きなイビキをかきながら大の字で眠りについていた。
文雄は窓から離れて物陰に身を隠し、過呼吸になりそうなほど早まる呼吸を整える。その最中瞳からは溢れでた大粒の涙が、ポツリポツリと地面にこぼれ落ち文雄は服の肩で涙を拭う。
落ち着きを取り戻した文雄は、もう一度庭に停められたワンボックスまで移動してポケットから取り出したメモと、車のナンバープレートに書かれた番号を一つ一つ見比べた。
「間違いない」
そう一言ポツリと言うと文雄は後部座席のドアノブを引っ張る。するとロックをかけていなかったのだろう、すんなりと車のドアが開いた。車の後部座席は全ての椅子が取り外されていてフラットな空間だ。文雄は靴を脱いで車に乗り込むと運転席のすぐ後ろで身体を小さく屈めて身を潜めた。
文雄はその姿勢のまま長時間待ち続けた。その内に太陽はすっかり落ちて、街灯のない周囲には暗闇が広がっていた。風が吹かない車内は熱を帯び文雄はじわじわと汗をかいていた。そんな時住宅の方からガラガラと引き戸の開く音がする。その音は文雄の耳にも届いていたのだろうが、文雄は息を殺したまま微動だにしない。次に靴底を擦って歩く様なズザァッズザァッといった足音が、暗闇に響くとその音は文雄が潜む車の方へと向かった。足音の主が庭に停めた車のすぐ側に来た時、車内に外で電話をする男の話し声が入り込んだ。
「ああ今から出る。————分かってる。それよりも俺の車運転させてやるんだから、絶対に酒飲むんじゃねぇぞ。わかったな荒沼。それじゃあな」
男は電話を切ると車に乗りエンジンを掛け、エアコンを入れると風量を最大にする。ゴーッという風音が車内に響くと、文雄はそっと顔を覗かせて運転席に座り冷房に当たる男の横顔を見つめた。
そして男が座席に深く腰掛けてシフトレバーに手を掛けた瞬間、文雄は運転席の後ろから飛び付いて男の首に腕を巻きつけ、
文雄は腕を首から外し男の様子を伺う。そして気を失っている事を確かめると、座席を倒して男を後部座席に移動させた。床に落ちているビニール袋を助手席に置き運転席に移動する文雄。家の方に数秒視線を移した後、文雄は車を発進させると、猛スピードで人気のない道を走り去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます