折衝

(1)

 署の駐車場に入ってきたパトカーの助手席から香澄が降りると、それを見つけた酒井が大声を上げながら駆け寄る。

「何処行ってたんですか香澄さん。さっきからずっと楢山さんが探してましたよ」

「ちょっと現場の確認に行ってただけだ」

「現場って、もしかして女子高生が殺された事件ですか?俺たちの受け持ちじゃないじゃないですか。他に浮気してる暇があるなら早く俺たちの事件解決させましょうよ」

 香澄は酒井の頭を掌で軽く叩く。

「馬鹿かお前。県下のしかも一部地域で起こる年間の殺人件数とその内の犯人不明の未解決事件の割合を考えてみろ。無関係なんて考える方が無理があるだろうが」

「そうポカポカ叩かないで下さいよ。でもこの被害者は女子高生じゃないですか、僕達が調べてる事件の被害者は、五十過ぎのおっさんだし、接点なんてないように思えますが」

「だからこうして調べてるんだろうが。それよりもお前に頼んでた麻井眞一の交友関係の方は何かわかったのか?」

「それを伝えたかったから急いでたんですよ僕も。麻井眞一の交友関係を調べた所、二人の友人がいた事が分かりました。なんとその内の一人が今回の事件の被害者、荒沼泰之であることが分かったんです」

 香澄は興奮しながら話す酒井とは裏腹に冷静に答える。

「ようやく事件に繋がりが見えてきたな。要は連続婦女暴行事件の容疑者だった二人が、同じような死に方をしたってことだ。……それでもう一人の友人はどうなんだ?」

 酒井は顔を曇らせ話す。

「それなんですがもう一人の友人である上屋達志うえや たつしの行方を調べてみたんですが、どうやっても見つけることが出来ないんですよ。上屋は麻井眞一の死後数年はこの街に住んでいた事までは確認が取れています。ですがその後街を出たらしく引っ越し先の住所を当たってみたりしたんですが、誰も上屋の事を知らないんですよ。調べれば調べるほど本当にそこに住んでいたのかも怪しいぐらいで、まるで意図的に行方が分からないように隠蔽されたような感じです」

「何だそりゃ。わざわざ誰がそんな手の込んだ事を……」

「元警察庁長官だった波豆川ならやりそうじゃないですか?上屋の事を調べてみると奴は麻井眞一の死後、素行が悪くて地元では有名だったみたいです。もし麻井の事件の事を話されたら困る。そんな風に考えたならたかが一般人の行方不明者を、一人作るなんてぐらい簡単なことでしょお上の権力ちからなら」

 香澄は頭を引っ掻き回して怪訝そうな顔でため息を吐く。

「クソみたいに身内に引っ掻き回されやがる。もういい。そっちは俺がどうにか調べるから、お前は女子高生が殺害された件を調べて情報をまとめろ。必ず何か繋がりがあるはずだ」

「……わかりました。何か分かり次第報告します」

 酒井はそう言って頭を下げると署内に戻って行った。香澄はその足で喫煙所に向かうと、ベンチに大股開きでドッシリと座り込むとタバコを一本咥えて火をつけた。香澄は火のついたタバコの先から立ち昇る煙が、曇り空に昇って消えていく様を茫然と見ている。そんな時、喫煙所に現れた誰かが大股開きの香澄の足を蹴飛ばす。

「痛っ——。何しやがる」

 香澄は怒りの表情で襲撃者の方へ向かうと、腕組みをしながら自身を見下す楢山が立っていた。

「おーおー。随分と偉くなったな。報告もろくにあげないで優雅にタバコ休憩か?こりゃあもう一度最初から教育し直した方がいいかもしれないな。なぁ香澄」

「勘弁してくださいよ楢山さん。俺だって四方八方飛び回って忙しいんだから、随時報告なんて出来る訳がないのはわかってるでしょ?」

「馬鹿野郎。それだけ繊細な案件に手を突っ込んでるって自覚を持てってことだ。まだ直接のどうこうって話は出ちゃいないが、恐らく麻井眞一の周辺を洗っていることは既に勘づかれてる。もっと警戒して事に当たれ。そうじゃなきゃここまで調べたのがご破産になるぞ。……ったく、タバコ一本寄越せ」

 楢山は香澄の胸ポケットに手を入れてタバコを一本奪い取ると、自分のポケットから取り出したライターで火をつけた。香澄は冷たい視線を楢山に送りながら話す。

「昔と違ってタバコの値段も上がってるんだから、そろそろ自分で買ってくださいよ」

「買ったら辞められなくなるだろ。暫くは立場を利用して貰いタバコでやり過ごすさ」

「貰いタバコって、楢山さん辞める気ないでしょ?」

 美味そうにタバコを吹かす楢山は、香澄を端に行かせてベンチに腰を下す。

「そんな事よりどうなんだ?進展は」

「そんな事って。相変わらず強引ですね、まぁいいですけど。被害者の荒沼泰之なんですが生前の麻井眞一と友人関係にあったそうです。やはり今回の事件多少なりとも過去の事件と繋がりがありそうですよ」

「だとすると少しややこしい事になるかもな。犯人を捕まえると、過去の警察内での不祥事が表に出るかもしれない。そうなれば上の連中は火消しに躍起になるだろう」

「ですね。ですけどいつまでも隠し通せるほど今の世の中は甘くないですよ。ならいっそのこと先回りして、警察側から事実を発表するのも一つの手かもしれませんけどね」

 楢山は小刻みに足を揺らして見る見る内に不機嫌になる。

「あいつらと話しをするのは疲れるから嫌なんだよ。香澄、お前があいつらに話せ」

「そんな事できる訳ないでしょうが。腐っても警察組織の上層部ですよ?楢山さんみたいに奴らの弱味を握っていない俺じゃ、あっという間に存在を消されかねないんですからね。……あっ。丁度いい、上と話すならちょっと頼みがあるんですが——」

 ニタリとわざとらしい笑顔で香澄が楢山を見る。

「辞めろ。お前がその顔をする時はロクな頼みだった事がない」

「まぁまぁ。ここらで中間管理職のお力を貸してくださいよ。実は麻井眞一のもう一人の友人の行方が不明でしてね。チョチョッとお調べ頂けないかと」

「お前も警察官なら自分で人探しぐらいしろ。それともなんだ、調べられない理由でもあるって言うのか?タバコだタバコ」

 楢山はまた香澄の胸ポケットからタバコを奪うと、一本咥えて火をつけると残りを自分のポケットに仕舞った。香澄は取り戻そうと手を伸ばすが、その手を叩き落とされ楢山に睨まれると大人しく伸ばした手を引っ込めた。

「窃盗ですからね、それ。……行方が不明なのは生前麻井眞一の友人の一人で、名前は上屋達志。細かな情報は俺もまだ聞いていないんで後で酒井に資料届けさせます。そいつがどうも麻井眞一の死後数年はこの街に住んでいたそうなんですが、街を離れた後の足取りが全く分からなくなっているみたいで。もしかしたら当時の警察庁長官だった男、波豆川がこの件に関与してるかもしれないんですよ」

「おいおいおいおい。まさかそいつの行方を調べろってのか?そいつを調べるって事は過去の隠蔽事件掘り返してますって、大声で言いふらすのと同義だぞ。進め方を一歩でも間違えたら俺もお前達も終わりかねない。それでもいいのか?」

「いやぁー、生活があるから終わらない様に頼みますわ。ついに楢山さんの腕の見せ所を用意出来たみたいでよかった。では、よろしくお願いします。ボス」

 楢山は顔を赤くしてプルプルと震えていたが、真っ直ぐに真剣な眼差しで見つめる香澄と、目を合わせると力が抜けた様にうなだれた。

「この野郎、こんな時だけボスなんて呼びやがって。……クソッ、転職活動の準備はしておけよ。それから結果がどうなろうと一杯奢りやがれ」

「分かりました。そろそろ俺は仕事に戻るんで、頼みましたよ楢山さん」

 香澄は最後にそう言うと、楢山を残し喫煙所を離れて署内の捜査本部に移動した。部屋では捜査員達が他愛もない話で盛り上がり、事件発生当初とは違いそれほど緊張感が走っていない。香澄は自分の席に腰を下ろすと山積みの資料の中から一冊手に取り、パラパラと捲るとまた資料の山に投げて戻した。

 そこに資料を抱えた酒井が現れると、机の上山積みの資料をかき分けて持ってきた資料をドスンッと置いた。

「重かったですよ。取り敢えずこの資料が麻井眞一の友人だった二人分の資料なんで、楢山さんにも回しておいてください」

「少しはまとめてから持って来い。これじゃ何が何だかわからないだろ」

「これから僕は香澄さんに言われた件を調べに、これからまた出掛けるんですからそれぐらいやってください。それじゃあ僕はもう行くんで頼みましたよ」

 酒井は言い終わると呼び止めようとする香澄を振り切る様に、小走りで部屋を出て行った。香澄はやれやれといった様子で、机の上に置かれた新たな資料を一つ一つ開いて内容の確認を始めた。その内の一つ、今回の事件の被害者である荒沼について書かれた資料が、まとめられたファイル開くと香澄は隅々まで読み始めた。

 荒沼は高校を卒業した後、数年間は定職に就かずその日暮らしのような生活をしていた。その後に工事現場の作業員として働き始め、職場の事務をしていた女性と結婚。その後も真面目に働き現場監督を任されるまでになった。職場の同僚の証言によると、少々荒い一面もあったが仕事はしっかりとこなしていたとある。その他には女好きな人との証言があった。香澄はその一文を読むとページを捲る手を止めた。そして資料に書かれている荒沼の勤務先に電話をかけてアポイントを取ると、手にしている捜査資料を持ったまま捜査本部を後にした。


 荒沼の勤務先を訪れた香澄は、受付の案内で応接室へと案内されていた。高級ソファに腰を下ろした香澄が出されたアイスコーヒーに口をつけていると、部屋のドアが開きスーツ姿の細身の若い男性が部屋に入ってきた。

「失礼します」

 緊張した様子で挨拶をする若者を見て、香澄は立ち上がり丁寧に挨拶をした。

「お仕事中にすいません。以前お話を聞かせていただいた件で、少々追加でお聞きしたいことがありまして。まぁ、座って話しましょう」

 香澄は若者を対面の席に座らせると、自らもまたソファに腰を下ろした。座って早々若者は恐る恐る話した。

「それで、聞きたいことってのは一体どういったことでしょうか?前回お話しした際も特別何かをお話しした覚えがないんですが」

「いやいや、そんな大したことじゃないんで緊張しないでください。亡くなった荒沼さんとは仲は良かったんですか?」

「仲ですか。まぁ悪くはなかったですけど、特別仲がいいってわけでもなく普通だと思いますよ。職場以外で会うこともなかったですし」

「なるほど。ところで荒沼さんは職場ではどんな存在でしたか?」

 若者は少し考える素振りを見せてから答えた。

「あー。……別に普通でしたよ」

「普通ね。勤続二十数年にもなるのに随分と淡白な物言いなんですよ誰も彼もが。ですが聴取によるとあなただけ、他の方が言っていない情報を話してくれてるんでそこが気になって。女好きって話は何処から出てきた話なんですかね?」

 若者は平静を装おうとしているが、あからさまに動揺しており黒目が泳いでいた。

「別にこの会社やあなたのことを、どうこうするつもりはないので、ここだけの話として教えてくださいよ。勿論正式な記録としても残さないので」

「ここだけの話。ですか?」

「勿論。私たち二人だけの話です。外に漏らす事はないので安心してください」

 それを聞いた若者は何も言わずに立ち上がり、部屋の入口に向かいドアを開けて廊下を確認すると、鍵を閉めてソファまで戻ってまた座る。

「実は会社の方から絶対に口外するなと言われていたんですけど、荒沼さん社内では買春をしてるので有名だったんです。現場の人達の前では頻繁に自慢話みたいに喋っていたみたいなんですけど、聞いた話しでは買春相手の中には未成年者も居たなんて情報もあって」

「そりゃあ今のご時世を考えれば、会社としては表に出したくない話だ。それで女好きなんて言ったんですね」

「ええそうなんですよ。……あとただの噂の域から出ない話が、一つあるんですが聞きますか?」

 急に声をひそめて話す若者の方に顔を近づけて小刻みに頷く香澄。

「本当に確かな情報ではないんですが、どうも荒沼さんが殺された場所っていうのは、買春相手との情事に頻繁に使われていた場所だ。なんて話が社内で事件後に流れてたんです」

「ホテルじゃなくて車で、そういった行為をしていたって事ですか?」

「これもよく現場では話していたみたいなんですが。何でも外で嫌そうな女の顔を見ながらすると、昔を思い出すとかなんとか言ってたそうですよ。俺はそんなことを平気で言ったりするあの人のこと、本当は大嫌いだったんです」

 軽蔑した様に言い捨てる若者。香澄は顔を戻すと部屋の天井を仰いでため息を吐く。

「昔を思い出すか。確かにクソ野郎だ。……確かに」

 香澄は噛み締める様に言うと、目頭を押さえながら目を閉じた。そしてそのままの体勢で続けて話す。

「それで。他に噂でもなんでもいいんで何か情報はありますか?」

「それぐらい——。あぁそう言えば関係ないとは思いますけど、荒沼さんが亡くなる二、三週間前に会社に若そうな女の声で電話があったみたいです。その時電話に出た荒沼さんが電話相手に怒鳴ってたのを事務の女の子が聞いていたそうです。どうせ買春相手からの嫌がらせかなんかだと思いますよ自業自得だ」

「若い女からの連絡か。それって電話番号残ってないですか?」

「事務の女の子の話だと、公衆電話からだったみたいですよ。公衆電話なんて殆ど無くなってるのに余計に怪しいでしょ」

「公衆電話から若い女の声で電話か。わかりました。名刺を渡しておくのでその事務の女性に確認した後。ここに書かれているアドレスに、公衆電話からかかってきた日時をメールでお知らせください」

 そう言って香澄は自分の名刺を若者の前に差し出しすと、立ち上がり軽く若者に会釈をして部屋を出ていった。

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