(7)

 鼻の頭をポリポリと指で掻きながら、棚に並んだゲームソフトを物色する幼なさが僅かに残る男子学生。学生服の上着にはあちこちにほつれが見受けられ、ズボンの裾に至っては擦り切れている。店内にはレジにアルバイト従業員が一人立っているが、店に訪れた友人との話に花を咲かせている。店内にははその店員と友人、そして青年の三人だけだ。

 青年は数本のゲームソフトを手に持ちながら棚の前を移動する。そして横目でレジで話し込む二人をチラチラと見ると、二人から見えない死角に入り込むとカバンの奥にゲームソフトを押し込んでカバンを閉じた。青年は次に出口付近の棚を眺めながら店の外を確かめている。

 すると外を歩く高校生の集団が店のドアを開けて中にゾロゾロと入ってきた。青年はタイミングを見計らい出口に向かうと、集団の間を縫うように店の外へ出て行った。

 店の外に出た青年はすぐ近くにある入り組んだ路地に入ると、何度も角を曲がりながら息が切れるまで走った。

 青年がようやく足を止めたのは、川沿いに一台だけ立つ今はもう動いていない壊れた自動販売機の前に着いてからだ。青年は自動販売機の裏に身を隠すと地面に座り込んで呼吸を整える。

 陰から顔を覗かせ周りを警戒する青年。周囲に人気がない事を確かめると、カバンの中の盗んだゲームソフトを手に取り数を数えてまたカバンを閉じた。

 青年は湧き出る汗を拭うと、空を見上げて、何をするでもなくただ空を眺めていた。

 少し休んで体力を回復させた少年はまた歩き始め帰路についた。

 古びた平屋に着くと青年は玄関の引き戸をガラガラッと音を立てて中に入った。そして靴を玄関に散らばらせたまま家に上がると自室へと入った。部屋には家具の類は一切なく、服は部屋の隅に積み上げられその隣にこれまた乱雑に置かれている。青年はカバンを開けると店から盗んだゲームソフトを出して押し入れを開けると、中から大きめの段ボール箱を引っ張り出してその中に入っている他の荷物と一緒に箱の中に入れて、押し入れの戸を閉めた。


「それではこちらのお荷物お預かりします」

 コンビニ店員が丁寧に宅配荷物の対応をすると、青年は会釈をする。そして店内に置かれているATMに向かうと、操作して幾らかの札を出金した。青年はその場を動かずに出金した金を数える。そして問題なく金がある事を確かめると店を出た。

 青年は店を出ると商店街通りを一人歩く。近くに多くのスーパーやショッピングモールが出店した影響を受け、商店街の多くの店は廃業してシャッターが閉められている。かろうじて残っている数店の店にも客の姿はない。青年はその内の廃業している生花店の前で足を止めると、閉められているシャッターに視線を向けた。そしてポケットから百円玉を一枚出すと、次はそれを懐かしそうに見つめまたポケットに仕舞った。

 青年は商店街を抜けるとそのまま駅に入った。人の流れがまばらな構内を歩き券売機に向かうと切符を1枚購入して改札を抜けホームに向かった。ホームに着くと数分程で電車が到着したので、青年は電車に乗り込んだ。

 数駅を通過したのち青年は電車を降りて、駅の改札を抜けた。駅を出ると駅前には『ショッピングセンターこの先300メートル』と書かれた大きな看板が青年を出迎えた。青年は看板に書かれた矢印に向かい歩いた。ショッピングセンターに着いた青年は、迷う様子なく一直線に生花店を訪れた。

「バラの花、十一本包んでください」

 入店と同時に店内で作業をしている店員にそう話しかけた青年。

「何種類かありますけど、どれにしますか?」

「一番良いやつを」

「それだと会計が五千円超えちゃうけどいい?」

 店員の質問に間髪入れずに青年は頷いて答えた。それを受けて店員は作業の手を止めて青年の注文に取り掛かった。手慣れた様に数分でバラの花束を作ると青年に手渡した。青年はポケットから裸のままの札を取り出して、その中から一万円札を出して会計を済ませた。店を後にする時、店内からは店員の「ありがとうございました」の声が青年の背中になげられたが、青年は反応を見せずそのまま真っ直ぐ店を出た。

 外に出た青年はバラの花束を手にショッピングセンターを後にすると、太陽の光がぎらつく炎天下を黙々と歩く。途中日陰で小休憩を挟んで辿り着いたのは霊園だ。

 霊園内に入ると青年は長い階段を登り、大木近くにある墓の前で立ち止まった。バラの花束を墓前に供えて腰をかがめると瞳を閉じて手を合わせた。日差しが強い中にも関わらず青年は数分程してようやく目を開いた。青年が立ち上がり名残惜しそうに出口へと歩を進めると、目の前からやってきた中年男性が青年の姿を見て足を止めた。

 青年もその男性に気がついたがそのまま男性の横を通り過ぎそのまま長い階段を下る。

 男性は何か言いたげに口を開くが、言葉を発する事は無く唯々青年の後ろ姿が見えなくなるまで目で追い続けた。

 霊園から出た青年は立ち止まり、鼻の頭をポリポリと掻くと突如走り出した。そしてそのまま最寄り駅まで足を止めずに走り続けた。

 駅の構内には休日と言うこともあり多くの人が行き交っている。青年は券売機の短い列に並びながらまだ乱れる呼吸をゆっくりと整えた。そんな時に青年の目の端にふと長い髪の毛の女の姿が映った。女はフラフラとした足取りで改札を抜けるとすぐに姿は見えなくなった。

 青年はようやく切符を買うと、駆けて改札を抜けると辺りを見回す。

 そうして青年の顔の動きが止まると、向かい側のホームを食い入る様に見つめて目を見開く。視線の先にはやつれた頬をした長い髪の毛の女が、俯きながら一人でホームに立っている。その時構内には向かい側のホームを通過する電車の案内が放送された。青年は慌ててポケットから百円玉を取り出すと、上に掲げて手を振った。

「……お姉さーん」

 照れ臭そうに小さな声で話す青年の声は向かい側のホームには届かない。そうしてる内にも通過列車が近づきホームには走行音が響き始めた。青年は咳払いをすると大きく息を吸い込んで、今度は騒音に負けないほど大きな声で叫んだ。

「お、おねえさ——」

 通過列車のタイミングを見計らった様に女は、スッと足を前に出して何もない場所でも歩く様に線路に飛び出した。刹那ではあったが、呼ばれた女と呼んだ青年の瞳は確かに見つめ合った。

 硬い金属の塊が人間を轢き、擦り潰す水気を帯びた生々しい音が響き、線路やホームには人であったモノが鮮血とともに飛散した。

 同時に通過列車の緊急停止に伴う金切り声の様なブレーキ音が異常が起きた事を、駅に居る多くの人達に教えた。

 通過予定の電車がホームを過ぎた辺りで停車して、最初の女性が上げた悲鳴を皮切りに、女が飛び込んだ側のホームは騒然とした。休日ということもあり、多くの子供連れの家族も電車を利用している。その親たちは子供の目を塞ぎ急いでその場から離れた。多くの者が後退りをする中、数人は人だったモノがグチャグチャに散らばった線路内を覗き込んだ。更にそう内の幾人かは取り出した携帯電話でその様子の撮影を始めた。

 女が飛び降りた反対側のホームでは事故に気付いた人達が騒ぐ中、青年は掲げていた百円玉を持ってをダラリと下げて、握りしめたままその光景を観ていた。


『昨日早朝に住宅地から離れた〇〇市の山中にて、山菜を取りに訪れた三名の男性により発見された遺体の身元が判明しました。近くの高校に通う空山巳姫さん十七歳、女性です。警察の調べによりますと一昨日の早朝に登校途中を目撃されたのを最後に行方がわからなくなっていました』

 朝食の席についていた早江と勇雄は食事の手を止めてテレビ画面に釘付けになっている。そこに眠たそうな顔をした珠紀が制服姿でリビングのドアを開けて現れた。

「おはよ」

 目の前にいる母親に向けて発した言葉だったが返答がない。珠紀は二人の見ているものに視線を向けると、二人と同じ様に動きを止めてテレビに見入った。

「珠紀。学校に巳姫ちゃん来てなかったの?」

 震える声で早江は珠紀に問いかける。

「知らない。いつまでも仲が良い訳じゃないんだし、あの子が何処で何してるかなんて私が知ってるはずないじゃない」

 少し興奮しながら話す珠紀に早江はそれ以上何も言えない。

「私もう学校行くから」

 珠紀はそれだけ言うと玄関に向かい家を出た。

「……最近なんでこんなことばかり起こるのよ。前まであんなに静かな町だったのに」

 頭を抱える早江を他所に、勇雄は食器を片付けると「仕事に行ってくる」の一言を残して家を後にした。

 一人家に残された早江は二階に駆け上がると、勇雄の書斎のドアを躊躇なく開けると本棚に並んだ地図を開いて近隣の街に記入されている印を確認する。だが、以前見た時と何も変わっておらず本を床に投げ捨てた。次に机に置かれていた古新聞を乱雑に確かめそれもまた床に落とした。引き出しを開けてまた本棚の前に立つと次々に本を漁っては床に投げ捨てる。

 次にクローゼットを開けて屋根裏を覗き込むとスマートフォンのライトで照らして見回すが何もなかった。部屋に降りてきた早江はその場にヘタレ込むと、激しい叫び声を上げた。その声は部屋から家全体にまで響き渡った。


 生徒達が興奮して話す騒がしい教室に珠紀が入り席に近づくと、集まっているクラスメイト達が騒ぎ立てながら珠紀を迎えた。

「今朝のニュース観た?昨日見つかった死体、巳姫だったらしいよ。ここのところあんまり学校来てなかったもんね」

 世奈が興奮気味に話すのを珠紀は苦い顔をしながら頷いて答えた。

「やっぱりあの噂本当だったんだよ——」

「——そうだよね。友達が前おっさんと歩いてるの見たって言ってたもん」

 席の周りを取り囲む生徒達は各々が噂話や考察を口にしている。以前は噂話を咎めた世奈も今日は率先して話に加わっていた。しかし珠紀はそんなクラスメイトの話を時折頷いて答えるに止まる。

 始業のチャイムが鳴ると担任教師が暗い顔で教室の扉を潜った。そして臨時での全校集会をすると言い体育館への移動を促す。

 生徒達はバラバラに教室を出ると体育館に向かった。珠紀は世奈と数人の友人で移動を始めると、相変わらず珠紀以外は巳姫の話題を話し続けた。

 体育館に入るとすでに多くの生徒が集まっており、そこでも今朝のニュースの話で持ちきりだ。生徒が集まると教師がマイクで静かにするように促すが、興奮している生徒達を鎮めるのには相応の時間を要した。

 整列した生徒の前に立つ校長の説明は簡易的なものだった。まずこの学校の生徒が亡くなった事。今日は全校集会が終わり次第、各自寄り道せずに帰宅する事。もしも記者などに話を聞かれても取り合わない事。主にこの三点だけだ。帰宅できる事を知った生徒の中には、笑顔を浮かべる者もいるなど様々な反応を見せる生徒達だったが、涙を浮かべる者は教員を含めて誰一人居なかった。珠紀は起伏の無い表情でそんな周りの様子を首を左右に振り見回した。


「おはようございます、勇雄さん」

 いつもと変わらない元気な挨拶で職場に現れた三川。

 勇雄が返事を返すと続けて話す。

「ところで、今朝のニュース観ましたか?」

「近くで起きた事件のこと?」

 勇雄は素っ気なく返す。

「あんまり興味なさげですか?こんな近くでこんな事件が起きるなんて驚きじゃないですか。しかもまだ犯人捕まってないらしいですし、怖くないですか?」

「怖い気もするけど殺人事件なんてテレビの中だけの出来事だと、思ってたから現実味がないって言うか。それに場所も知らない山の中だから近くって実感が湧かないのかもしれないね」

「なるほど、一理ありますね。僕なんてよくキャンプの為に登山するんで事件の場所の事も、よく知ってるから実感があるのかも。あそこって言うほど山中って感じじゃないんですよ。近くまで車で入れるし、何より発見者が言ってたように、あそこらは山菜取りやら何やらで朝昼は結構人も居ますから。だから僕が思うにそこらの事情に、詳しく無い奴が犯人だと思うんですよね」

 勇雄が微笑みながら言う。

「まるで名探偵だね。そんなこと考えながらニュース観てるんだ。俺なんてその日の仕事の事で頭いっぱいになっちゃうよ」

「いやいや。趣味のキャンプの影響ですかね。事前準備が九割五分をモットーにキャンプしてるんで、現地の天気とか持っていく荷物がとか細かい事がいちいち気になるんですよ」

「それでも色々と考えられるのはすごい事だと思うよ。今日はもう上がりでしょ?気をつけて帰ってね」

 最後に勇雄がそう言うと、三川は丁寧にお辞儀をして仕事を上がった。その様子を近くで見ていた同僚が勇雄のそばに来ると話す。

「あいつ趣味がキャンプなんて言ってるが、噂ではテントにそこらでナンパした女を、見境なしに誘い込んでは楽しんでるらしいぞ。まったく女も見る目無いよな、あんな定職にも就かずに好き勝手生きてるチャランポランに惹かれるんだから」

 勇雄は同僚に愛想笑いをしながら答える。

「意外ですね。もっと硬派なイメージがあったんですが。っま、本人が良いなら良いじゃないですか」

 同僚は小言をぶつぶつと呟いて自分の持ち場に戻った。勇雄はそれを見送ると小さくため息をついて自分の仕事に戻った。

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