(3)

 捜査本部が設置されている名腹警察署の中を多くの警察官が忙しなく行き交う。

 普段、会議室として使用されている部屋が捜査本部として使われている。部屋には多くの長テーブルとパイプ椅子が並べられていて、前方に置かれた管理職用のテーブルと向き合う様に設置されていた。

 部屋には捜査員の姿はなく、各々が次に開かれる捜査会議に向けて情報収集に奔走しているからだ。そんな誰もいない静まった部屋の中に大きなイビキだけが響いていた。

 そんな時、息を切らしながら酒井が部屋に入ってきた。

 酒井が辺りを見渡すと並べられたパイプ椅子の上で香澄が大きなイビキをかいて眠っている。酒井は眠った香澄の側に行くと身体を揺らして起こした。

「香澄さん。起きてください」

「……んっ。静かにしろ」

「ちゃんと捜査してくださいよ。また楢山さんにドヤされます」

「ぁあーーっ。うるせぇ、いい加減にしやがれってんだ。仕事ならしてるってんだよ。こっちは寝ずに過去の資料を漁って徹夜したんだ」

 あまりに身体を揺らされ続けた香澄は、椅子から飛び起きると酒井の頭にゲンコツを一発お見舞いした。

「痛ッ。何するんですか、あの楢山さんだって拳で殴ったりしませんよ。せめて掌で殴ってください」

「……本当にお前は、今時のやつにしては珍しく、昭和の体育会系を地で行く奴だな。もしかしてお前、そういった趣味があるんじゃないだろうな」

 引きつった顔で酒井から距離を取る香澄。

「そんなわけないでしょ。それよりも、……ちょっと臭いますよ。香澄さん、その服もうかれこれ一週間近く着てるでしょ」

「そんなに臭うか?自分じゃ分からん」

「臭いますよ。まだ捜査会議までは結構時間もありますし、僕が運転するんで、着替え取りに帰りましょう」

 乗り気でない香澄を酒井が強引に車に乗せて署を出た。

 香澄は捜査本部が設置されている名腹市に住んでいるのだが、仕事が忙しい事もあり、なかなか住まいに帰らずにいる。しかし定期的に着替えなどの荷物は必要になるのでその都度、酒井の運転で住まいには帰っていた。それもあり、いつの間にか酒井は香澄の住まいまでの道順を覚えていた。

 二人が乗る車は小一時間ほど走るとポツンと一軒だけ、田んぼに囲まれた日本家屋に辿り着いた。

「すまん、助かった。すぐに戻るから待っててくれ」

「いえいえ。時間にはまだ余裕があるんで、少しぐらいゆっくりしてください」

 酒井はそう言ってカバンから出したタブレットで映画鑑賞を始めた。香澄は車を降りて見るからに重たい足取りで家まで歩いた。

 玄関の前に着くと香澄はズボンや上着のポケットと言うポケットをまさぐり家の鍵を探すが見つからない。

 そうこうしていると急に玄関の扉が開き、香澄の目の前に、上半身が裸で下にステテコを履いた八十近い細身の老夫ろうふが立っていた。

「なんじゃ、お前か。玄関前でガサゴソしてるんで泥棒かと思ったわ。ウロウロしてないでさっさと入れ」

「おいおい。頼むからシャツぐらい着て表に出てくれよ。もう昭和はおろか平成ですらないんだ。その内、通報されるぞ」

「アホたれ。なんで自分の家で他人に気を遣わにゃならんのだ。いいからさっさと入れ、虫が中に入る」

 こうした押し問答を嫌と言うほど、これまでにも繰り返してきた二人だが結果として香澄は一度も勝った事はなかった。

 先に折れた香澄は言われるがまま、家の敷居を跨いで中に入り扉を閉めた。香澄は家に入ると、居間に戻る老夫とは別の部屋に向かう。

 薄暗い部屋に入った香澄は、写真が飾られている仏壇の前に座り、線香に火を灯し、手で仰いで消した。線香から出た煙が、一本の糸の様にスッと伸びてくうに消える。香澄は煙が消えた空を少し見つめるた後、線香を香炉こうろに立てて、手を合わせた。

 香澄は部屋から浴室に移動し素早くシャワーを浴びて、クリーニング上がりのスーツに袖を通した。そして数日分の着替えをカバンにまとめ老夫が居る居間に入った。

 居間では老夫がテレビを見ながら酒を嗜んでいる。

「まだお天道様は沈んでないのにもう酒盛りか」

「やかましい。俺は日が昇る前に起きて畑仕事してんだ。お前にとやかく言われたか無いわ」

「それは失礼しました。それより、瑠美るみは外出中か?」

「おお、そうだ。なんとかって言うあいどるの、らいぶとかってのに出掛けて今日は遅くなるとよ。まったくいい歳して、なにをしとるんだか」

 老夫が酒を飲みながら呆れ気味に愚痴を溢す。

「人の趣味に、とやかく口出しすると嫌われるぞ。それじゃあ悪いが、脱衣所に洗濯物をまとめて入れたカバンがあるから、そのままクリーニングに出してくれって言っといてくれよ」

「なんじゃ、もう行くのか。お前は本当に忙しい奴だな。たまには仕事を休んで帰ってこんか」

「次から次に事件が起こるからな。……でもまぁ、今回の件が片付いたら、考えてみるよ。あと、テーブルの上に金、置いてるから好きに使ってくれ。でも酒には使うなよ。程々にな」

 言い終わると香澄はカバンを持って外に出て、家の前で待たせていた車に向かった。助手席に乗って運転席を見ると、映画鑑賞していたはずの酒井は見事なまでに大口を開けながら、イビキをかいて泥のように眠っている。

 香澄はポケットから煙草を二本取り出して、フィルター側では無い煙草の先の方を、酒井の鼻の穴に二本共差し込んだ。すると息が苦しくなった酒井は、慌てて飛び起き、鼻の穴に差し込まれた煙草を引き抜いて、フロントガラス目掛けて投げ捨てた。

「お前っ。今のご時世、煙草一本幾らすると思ってるんだ。この馬鹿野郎が、早く拾え」

「香澄さんが子供みたいなことするからでしょ。それにちょうどいいじゃないですか、これを機に禁煙すれば」

 香澄は落ちた煙草を二本共拾ったが一本は途中で折れてしまっていた。しかし香澄は折れた所を指で塞ぎ、器用に煙草の火をつけて煙を肺いっぱいに吸い込み、酒井の顔目掛けて煙を吹きかけた。

 酒井は煙たそうに咳き込んで窓から顔を出す。

「はっはっは、今のはお前に折られた煙草の恨みだ」

「ゲホッガハッ——。か、香澄さん。ちなみに今やった行為も、訴えられたら負けますからね。昭和じゃないんだから、いい加減車で煙草吸うのやめてください」

「やだねやだね。最近の若者は何かあるとすぐに昔を馬鹿にする。今の世の中よく分からん多様性とやらを認めろとうるさいが、俺たちおっさんの意見は間違えてるの一点張りで聞きもしない。そのくせ共生を謳いながら強制するんだからたまらんな」

「……香澄さん。今のは完全に親父ギャグですよ。布団が吹っ飛んだとテイストは一緒です」

 シートベルトを着けた香澄は酒井の頭を掌で叩く。

「もういいからさっさと出発しろ。さっさと」

「ポカポカ叩き過ぎですよ。言えばわかりますって」

 酒井は不満顔で車を発進させる。

 虫の鳴き声が辺りを賑わし、田んぼが広がる景色の中、一本だけ伸びる道の上を二人が乗った一台の車だけが走っていた。


 名腹警察署、捜査本部にて幾度目かの捜査会議が開かれた。まず最初に被害者の身元が判明したとの報告から始まった。

「被害者は〇〇県名腹市在住の荒沼泰之あらぬま やすゆき五十二歳男性。仕事は建築関係の現場監督をしており、既婚者。家族構成は妻と高校二年生の一人息子の三人家族、住居は被害者が所有している一軒家でそこに家族三人で住んで居ました」

 後に続いて名腹署の署員が、周辺地域の聞き込みの結果を一通り報告したが、これといった犯人に繋がる有益な情報は出なかった。そのせいで部屋の前方、管理職側に座る楢山は、報告を聞き終えて頭を抱えていた。

「お前達、このままだと星に逃げられるぞ。事件現場から、何か犯人に繋がるものは出てないのか?」

 楢山が席を立ち、怒声混じりで叫んだ。

 それに答えるべく、酒井が手を挙げて立ち上がった。

「今回、事件に使われた車両は、被害者である荒沼さんの所有する車でした。ご家族に確認した話では荒沼さんが普段仕事で使用していた車両との事です。鑑識の話ではその車内から毛髪が見つかったそうなのですが……」

「何だ。なんでそんな重要情報を先に出さないんだ」

「それが、仕事用の車両だったこともあり、日頃から不特定多数の人間を車に乗せていたそうです。その為、見つかった毛髪があまりに多く、とても特定には至らない上に、証拠としても使えないそうで、更に指紋に関しても同じ事が言えるそうです」 

「窓ガラスの血痕からも指紋は出なかったのか?」

 楢山は答えが分かりきっている質問を敢えてした。

「何か化学繊維に血を染み込ませて塗られていたそうで、そちらからも何も……」

 酒井の報告を聞いて、楢山は眉間にシワを寄せた。

「他っ。報告はないか」

 それを聞いて次に香澄が手を挙げて立ち上がる。

「今回起きた事件と類似している過去の事件を調べた所、二十八年前に同じ名腹市で起きた事件と酷似している事がわかりました」

「どんなところが似ているんだ」

 香澄は手帳に書き込んだメモを見ながら答える。

「えーー。まず、どちらも遺体が車内に置かれていた点。次に発見現場は違いますが、どちらの事件も郊外の山中で車が見つかっています。そして最後に車内の状況ですが、どちらも車の内側の全ての窓とルームミラーに血が塗られていた点です」

 楢山が報告を聞いて口を開く。

「なにか違いはないのか?」

「大きな違いが一つ。二十八年前の事件でも被害者は全身を刃物で無数に刺されていたのですが、首を深く切り裂かれた傷が致命傷でした。しかし、今回起きた事件では複数の刺し傷があるにも関わらず、何故か首には一つの刺し傷もありませんでした。さらに今回はどの刺し傷も以前に比べて浅くなっています。加えて、今回の被害者は手足を拘束された形跡がありました」

「だが、前回の事件も今回も、刺殺なのは違いないんだろ?」

「それはそうですが、実はもう一つ、確実では無いですが前回と違う点があります。今回、被害者の遺体から睡眠薬の成分が検出されました」

 楢山が首を傾げ、頭を指で掻きながら聞く。

「前回は検出されなかったのか?」

「鑑識の話では、睡眠薬の成分は種類によっては時間が経過すると検出が困難になるそうです。最近、発見された遺体は死後二日から三日だったので問題なく検出されたそうですが、二十八年前の遺体は死後一ヶ月以上が経過していたので検出されなかった可能性があるそうです」

「わかった。所轄の者は引き続き周辺地域の書き込みを中心に捜査を進めてくれ。本部の者は遺体から出た睡眠薬の調査と、過去の事件と今回の繋がりを中心に当たってくれ。以上だ」

 会議が終わると多くの者達が部屋から引き上げ、それぞれの業務に戻った。香澄と酒井が席を立ち上がると、楢山が手招きをして二人を呼んだ。

「何か?」

 香澄が尋ねると、神妙な面持ちで楢山が話す。

「お前達には、少し遠出をして会いに行ってもらいたい人がいるんだ」

「誰ですか?」

「過去の事件を担当した方で、俺の元上司だ。今は引退して、隣の県に住んでる。連絡は俺から入れておくから、今からお前達で当時の話を聞いてきてくれ」

 楢山は住所が書かれたメモを香澄に渡して所轄署の署長と一緒に姿を消した。

 部屋を出るとすぐに車に乗り、渡された住所に出発した二人。

「何か、いつもと少し様子が違いましたね楢山さん」

「そりゃ、こんなに話題性に富んだ事件だ。もしも警察が一度取り逃した奴が犯人で、また殺人事件を起こしたなんて事が世間に知れ渡った日には、県警本部の上の首が幾つかすげ替わってもおかしくないからな」

「偉くなっても大変なんですね」

 ハンドルを握る酒井が溜息混じりで言った。

「大変じゃ無いなんて事はこの世にないだろ。周りから見ればどうかは分からないが、やってる本人にとってはどの立場でも大変さはあるもんだ」

「香澄さんなのに、何か達観した物言いですね。少し見直しました」

「お前は俺を何だと思ってるんだ。……ところで、お前の目にはこの事件、どんな風に映つっている?」

 日頃、香澄から意見を求められる事など殆どない酒井は、驚きの表情を浮かべて危うくハンドル操作を誤りそうになる。

 しかし、それも無理のない話ではあった。香澄は酒井に対してだけでなく、誰に対しても助言を求めずに多くの事件を解決に導いていたからだ。

「どうしたんです?香澄さんですよね?僕、化かされてたりします?」

 香澄は座席を倒して不貞腐れた様に言う。

「もういい。忘れろ」

 酒井は慌てた口調で話す。

「すいません、言います。言わせてください」

「ならさっさと言え」

「僕がこの事件に持った印象は、……正直無いんですよ」

 その答えを聞いた香澄の足蹴りが、ハンドルを握る酒井の腕に当たる。

「そこまで引っ張って無いってなんだ。ふざけやがって」

「痛いですって。別にふざけてませんよ。普通に事件現場だけ見たら、異常者の仕業に見えるんですけど、よくよく考えてみたら犯人のイメージが湧かないと言うか。説明は難しいんですが」

「……もういいから黙って運転してろ」

 スーツの上着の内ポケットから出した煙草を一本、咥えて火をつける香澄。

 煙草の煙をくゆらせ、酒井が言った答えが妙に的を得ていると感じながら、ひたすら頭の中で事件についての考察を深めた。

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