第5話 海に住む魔女

メッテは海の中にある巨大な渦巻きを前にしてゴクリ、と唾を飲み込む。


 物凄い轟音を立てて渦巻く水のその向こうに魔女がいる。この渦巻きに飲み込まれたが最後。二度と戻って来れないと聞いたけれど、童話の中の人魚姫はちゃんと戻ってきた。


「えぇい! 怖気付いている場合じゃないでしょメッテ!! 気合いよ、気合い!」


 自分の頬をペチンっと叩くと、メッテは渦の中へ突入していく。


 グルグルと回る水の中心から外れないように慎重に進んでいくと、森の中へと出た。


「何この森……気味わるっ!」


 サンゴや海藻の森とも、陸の森とも全く違う。木みたいに見える何かは、よく伝説とかで出てくる100の頭を持つ蛇か龍の怪物みたいだし、枝に見える先からはネバネバした気持ち悪い粘液出してるし。


 私に向かってウネウネと枝を動かしてるけど、捕まえようとしているわけ? 冗談じゃない。


 って、あそこで枝にグルグル巻にされてるのってまさか人魚?! よく見たら、落ちてきた船の残骸やら動物の死体があちこちであの枝に捕まっちゃってる。


 ぞぞぞっと背筋に冷たいものが走る。


 怖すぎ、怖すぎ、こわすぎーーー!


 解けた髪を首に巻き付け、腕も胸の前でギュッと閉じると、枝に捕まらないようにそろそろと先へと進んでいく。


しばらく進んで森を抜けると広場に出た。

 広場にはポツンと1軒だけ家がたっている。


 うげぇ。あの家、悪趣味にも程があるでしよ。壁も屋根も骨で出来てるじゃないの。


「ごめんくださーい」


 骨で出来たチャイムをカラカラと鳴らすと、ひとりでに扉が開いた。

 開けてくれたってことは、入ってもいいって事だよね?


 お邪魔します、と家の中へ入っていくと不思議なことに、床は水で上は水のない空間になっている。


「イェンスの所の末娘だねぇ。あたしに何の用だい」


 声のするほうを見ると、1段高くなった床の上にウミヘビを首に巻き付けた50代くらいの女が椅子に腰かけていた。

 イェンスと言うのは父の名前。なんで私が誰か分かったんだろう。


「私のことをご存知なのですか」


「お前が小さい頃に会ったことがあるからねぇ。それにあたしは魔女だ。お前が誰かなんてことくらいお見通しさ」


「さすがはこの海一の魔女様ですね!」


「それで、何の用だい」


 満更でもなさそうな顔でもう一度要件を尋ねてきたので、メッテは更にニコニコと笑みを深くしてお願いをする。


「じつは魔女様にお願いがあって参りました。人間になれる薬なんて御座いませんでしょうか」


「ニンゲンにぃ? ああ、分かった。お前さんもしかして人間の男に恋をしたんだろ」


「ご名答でございます」


「ふん、まぁ作ろうの思えば作れる。でもねぇ、その薬を飲んで人の足を手に入れても、まるでナイフの上を歩くかのように足が痛むよ。それに二度と人魚には戻れない。その好きな相手がもしも他の誰かと夫婦にでもなろうものなら……」


「心臓が破裂して海の泡になる」


「おまっ……何でそれを知ってる?」


「ちょっと聞きかじったもので。それでですね、この海一、いえ、世界の海一すご腕を持つと噂の(嘘)の魔女様に御相談です。ルーカス様……私の好きなその男性に告白された後に人間になりたいのですよ」


 自分でも実に都合のよすぎる発想だと言うのは分かっている。でも痛いのは嫌だし、人魚に戻れないのも嫌。計画が失敗すれば海の泡なんてもっと嫌。絶対安全な方法で人間になりたいのよ。


 魔女はふふんっ、と鼻を鳴らすとメッテを品定めするような目でみてニヤリと笑う。


「随分とワガママな子だねぇ。でもあたしは自分の欲に正直なやつは嫌いじゃあ無い。上っ面が良い奴ほど虫唾が走る奴はいないからね。お前さんは本当に運がいい。今ここで薬を作って陸の上で日が登る前にそれを飲めば、お前の望む形で人間になれるよ」


「ふえっ?! 本当ですか!!」


 まさか本当にあるとは思ってもみなかった。ダメ元で聞いてみて、そんな薬が無ければキッパリ諦めて引き下がろうと思っていただけに、驚きで変な声が出てしまった。


「人間に手を繋いでもらいながら永遠の愛を誓って貰えると、人間の魂がお前の身体に流れ込むんだ。私が作る魔法の薬とその流れてきた人間魂とが反応して人の体になれるのさ」


「ぜぜぜぜひっ、その薬を下さい!!」


「もちろんタダで、なんて言わないよねぇ。何せあたしの技術力と血が必要なんだ」


「勿論でございます。それ相応の対価を払いましょう」


「いい覚悟だ。それならお前のその美しい声を頂こうかね。前から良いなと思っていたのさ。その声があればどんな男も虜に出来そうだ」


 きたきた。そう言われると思って、ちゃーんと用意してきたんだから。


「いえ、そんな物よりももっといい物がこちらに御座います」


 メッテは背負っていたリュックをゴソゴソと漁ると、一冊の本を取り出す。


「本? 本になんて興味無いよ。ましてや魔法に関係ない本なら尚更ね」


「魔法の本ですよ。でもただの魔法の本ではありません。タイトルをよーく見てください」


「『男を虜にする魔法の言葉100選』著・オザワ ナナコ?」


 小澤 菜々子は私の前世の名前。この本、私が書きました。言わないけど。


「遠い遠い東の国から取り寄せた本で、意中の男性を射止めたい女性から大人気なんですよ(嘘)やっと手に入れた本で凄く貴重なんです」


 魔女が目を見開き、生唾を飲み込む音が今にも聞こえてきそうだ。


 魔女については伝手を駆使してあらかじめ調べておいた。敵地?へ行くのに相手の事を何も知らずに丸腰で行くほどバカじゃない。

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