大学生の一人暮らしの身分、そのアパートの一室に、女子が遊びに来たとなれば、もうウッキウキのウッハウハであろう。

 しかし、いまの僕は死にたい所存である。

「…………ふふ」

「…………へへ」

 正反対の魅力を持つ女が二人、ニコッと笑顔で向かい合っている。

 片や行儀よく正座をして、片や奔放にあぐらをかいて。

 たったそれだけの所作で、この二人の人間性が相反することが伺える。

 ただ、その笑顔は共通だ。

 笑顔は万国共通語とは、よく言ったものである。

 ちなみに、いまの僕は全く笑えない。

「では、改めまして、蒼井渚さん。あなたは一体、何者ですか?」

「それはこっちのセリフです、木野宮桜さん」

 ピシッ、と空間に亀裂が入る音が聞こえた、明確に。

 僕は瞬時に戦々恐々とした。

 この気を紛らわすために日本酒をおちょこ一杯でも飲みたいところだが、恐らく手の震えでこぼすだろから、やめておく。

「私は敬太郎さんの恋人です、以上」

「だから、違うと言っているだろうが」

「天ぷら」

「ひぃ!」

「ちょっと、なにケータロのこの怯えよう……あなた、もしかして、ストーカーなの?」

「あら、ストーカーはあなたの方でしょう?」

「はぁ? あたしはケータロの……」

 言いかけて、口をつぐむショートヘアの彼女。

「何ですか? ハッキリ言ってくださいよ」

 獏女が意地の悪い様子で問い詰める。

 ショートヘアの彼女は、チラと僕を睨んだ。

「ねぇ、ケータロ。いつまでも意地を張っていないで、ちゃんと言ってよ」

「いや、その……何を……ですか?」

「あんた、本当に……」

 キッ、とより一層、鋭く僕を睨む彼女。

 けど、すぐにサッと目線を逸らしてしまう。

 何とも言えない気まずい沈黙が訪れて、僕は自分の部屋にも関わらず、とても居心地が悪い。

 ああ、我が麗しの城なのに、どうして……

「……もしかして、敬太郎さんのお知り合いですか?」

 獏女が言う。

 すると、ショートヘアの彼女は、間を置いてから、コクリと頷く。

「敬太郎さん、こうおっしゃっていますけど?」

 ふいに神妙な面持ちの獏女に言われて、僕は言葉に詰まる。

「いや、そう言われても、僕は本当に……」

 はた、と僕はあることに思い至る。

 僕は清廉高潔な紳士であり、読書家。

 つまりは、賢い人種。

 当然、記憶力だって、抜群。

 読んだ本の内容は、みんなちゃんと覚えている。

 本以外のことだって、ちゃんと覚えている。

 忌々しい記憶の数々も……

「……食わせた」

 ぽろっと、言葉を漏らす僕。

「あの時、あいつに、食わせた……僕のほろ苦い青春模様を」

「勝(まさる)さんは、激苦って言っていましたけどね」

 獏女は苦笑して言う。

「そうですか、なるほど。つまり、敬太郎さんのこの方に関するイメージ……記憶は、勝さんが食べてしまったと……そういうことですか」

「ああ、恐らくは……」

 と、頷き合う僕たちを見て、

「えっ、なに? 何の話をしているの?」

 ショートヘアの彼女は、戸惑ったような、ともすれば、少し怒ったような顔で言う。

「そうだな、どこから話せば良いものやら……」

 僕は指先で頬をかく。

「……蒼井さん?」

「んっ?」

「と、僕は呼んでいたか?」

「うん、そうだったじゃん。あたしが、名前で呼んでも良いよって言ったのにさ~」

「ふふ、勝った」

「はっ?」

 ふいに獏女が笑むと、蒼井さんは眉をひそめる。

「私は敬太郎さんから、すぐに名前で呼んでもらえましたよ?」

「なっ……そ、それがどうしたって言うのよ?」

「おや、もしかして、動揺なさっていますか?」

「……ねぇ、ケータロ。この女、すごく性格悪くない?」

「うむ、この女は、すこぶる性悪だ」

「天ぷら」

「怖い怖い怖いいいいいいいぃ!」

「ちょっと、あんたケータロに何をしたのよ!? こんなに怯えるだなんて!」

「愛の調教……とでも言っておきましょうか?」

「うわ、この女……ヤンデレっていうか……メンヘラさん?」

「それより、もっとヤバいよ、この女は」

「親指と小指、どっちからが良いですか?」

「ひいいいいいいいいいぃ!」

「ちょっと、もう警察よぶから!」

 蒼井さんはサッとスマホを構える。

「お待ちなさい」

 しかし、獏女がその手を掴む。

「ちょっと、放してよ!」

 と、蒼井さんが振り払おうとするが、ビクともしない。

「えっ、ちょっ、こんな白い細腕なのに、何で……」

 動揺する蒼井さんを見て、獏女は不敵に微笑む。

「仕方がありませんね、このままウダウダ言っていても、話が進みませんから」

 直後、その白く華奢な腕がブクブクと隆起して、蒼井さんは目を見開く。

「ギャッ!?」

 さらに、膨らんだその腕が白い毛に覆われた。

「ちょっ、何コレ!? なんの手品!?」

「種も仕掛けもございません」

 獏女は不敵な笑みを浮かべたまま言う。

「私は人間ではありませんから」

「えっ……?」

「私は獏です」

「獏って……何だっけ?」

「人の夢を食べる、幻想上の生き物……って、いま目の前にいるけどな」

 僕もついつい、半笑いになってしまう。

「マ、マジで……? 確かに……ヤンデレでメンヘラなストーカーよりも……ヤバいって言うか……そのヤバさが加わって、より化け物になった、的な?」

「ああ、言い得て妙かもしれないな。きみ、意外と理解が早いね」

「こら、意外とか失礼な」

 蒼井さんは頬を膨らませつつも、薄らと笑う。

「この健康的な腕、へし折りますよ?」

「へっ……」

「おい、バカ女、やめろ」

「おや、敬太郎さん、この浮気女をかばうのですか? 私、嫉妬に狂っちゃいますよ?」

「安心しろ、お前はもうとっくに狂っているから」

「ふふ、照れちゃいます」

「ちっとも褒めていないけどな」

 僕が呆れたように言うと、獏女はその手を引いた。

 勇ましい獣の腕から、元の(?)華奢な乙女の腕に戻る。

「……あたし、夢でも見ているのかな?」

 蒼井さんは額に手を当ててわずかにうなだれた。

「そう思いたい気持ちは、よく分かるよ。こんなバカ女……いや、獏女に捕まってしまって」

「まあ、それもあるけど……こうしてまた、ケータロと話せるなんて……嬉しくて」

 微笑む彼女を見て、僕はなぜだか、胸の奥底がドキリとした。

 いや、ズキリと、疼いたのかもしれない。

「渚さん、と呼んでも良いですか?」

 獏女が言う。

「え~、どうしようかな~?」

「あなたと敬太郎さんのご関係は?」

「……それは簡単には話せないなぁ」

「面倒な女ですねぇ」

「あんたほどじゃないよ」

 今さっき、臨死体験をしたにも関わらず、強気な姿勢を見せる蒼井さん。

 獏女は機嫌を損ねず、むしろ楽しそうに笑った。

「よろしい。では、あなたのイメージを食べてしまいましょう」

「えっ、あたしの?」

「そうすれば、あなたと敬太郎さんの関係が分かります。まあ、その結果として、あなたも敬太郎さんのことを忘れてしまいますけど」

「そんなの嫌だ! 食べないで!」

 蒼井さんは強い意志をはらんだ瞳で、キッと獏女を睨む。

 獏女は目を細めてから、小さく吐息をこぼす。

「……冗談ですよ」

「へっ?」

「元より、私は敬太郎さんのイメージしか食べたくないので」

「はた迷惑な話だ」

「もう、敬太郎さんってば、照れ屋さんですねぇ」

「地獄だ」

「天国、ですよね?」

 どうやら、この獏女、いや、バカ女は、頭も耳も悪いらしい。

 もちろん、口が裂けても言わないけど。

 そろそろ、僕の指が危ない。

 天ぷら……怖い。

「あの、ケータロ……つまりは、どういうことなのかな?」

 蒼井さんが言う。

「ああ、それは……」

 僕はこれまでの出来事を、かいつまんで説明した。

 木野宮桜は、黒髪の乙女の皮をかぶったバケモノ、獏であり。

 僕は大学3年の春に、その虚偽の魅力に騙されて、数多の書物のイメージを食わせた。

 そのイメージは記憶でもあり、読んだ本の記憶は忘れる。

 獏女は契約と称して、自分好みの甘いイメージのため、普段は僕が読むことのない恋愛小説を読ませることで、そのイメージを悠々と食し、調子に乗っていた。

 そのバチが当たったのか、獏女の幼馴染の我堂 勝(がどう まさる)という、同じく獏の男にいじめられて。

 何だかんだ、僕は獏女の敵討ちとして、その獏男に決闘を挑み、見事に勝利をした。

 その際、僕はやつに勝つため、自分のほろ苦い青春模様のイメージ、記憶を食べさせた。

 恐らく、その中に、この蒼井さんとの記憶があった。

「……だから、ケータロは、あたしのことを覚えていないんだ」

「うん……すまない」

「いや、訳が分かって良かったよ。ケータロが、まだあの時のことを怒って、意地悪をしているのかと思ったから」

「そんな、僕は意地の悪い人間か?」

「どうだろうね?」

 蒼井さんは、小さく舌を出す。

 またしても、胸がズキリと痛む。

「浮気女さん、その辺にして下さいね?」

 見れば、獏女が笑顔でいる。

「ていうか、浮気女とか呼ばないでくれる?」

「じゃあ……間女」

「何それ……どちらかと言えば、間女はあんたの方でしょうが?」

「はい?」

「あたしとケータロの間に入って……あたしの方が、ケータロと先に出会っているんだからね?」

「ふん、そんなの関係ありません。大事なのは、相性ですから。どう見ても、健康的なスポーツマンのあなたと、このヒョロガリ文学青年の敬太郎さんじゃ、不釣り合いです」

「ヒョロガリって……」

「確かに、ケータロはヒョロガリだけど……それもまた、良いかなって」

「あなた、まさか敬太郎さんのことが……好きなんですか?」

「だから、あんたに教える義理はないって言ってんでしょうが」

「まったく、生意気なお嬢さんですね」

「同じ歳でしょうが。あれ、でも獏だから、違うのかな? どうなの、ケータロ?」

「まあ、精神年齢は、幼いだろうな」

「天ぷら」

「ごめんなさい!」

「ねえ、さっきからそれ、どういう意味?」

「脅し文句だよ」

「いえ、殺し文句です」

「ああ、本当の意味でな、恐ろしい女め」

「ふふ、嬉しいくせに」

「お前は心だけでなく、視界も歪んでいるのか? どう見たら、今の僕が嬉しそうに見える?」

「私がヤンデレなら、敬太郎さんはツンデレですから」

「ヤンデレとか、自覚するパターンあるんだ、珍しい」

 蒼井さんが呆れたように言う。

「ええ、自覚していますとも。私は、ちょう可愛いってことを」

「うわ、自分でそこまで言うとか……ひくわ~」

「渚さん、あなたはとても生意気なお方ですね。きっとさぞかし、敬太郎さんにウザい思いをさせて来たんでしょうね?」

「でも、あんたの方がもっと、ウザそうじゃん? ねぇ、ケータロ?」

「ああ、そうだな」

「天ぷら」

「ぐっ……僕は決して、悪に屈しないぞ」

「じゃあ、そちらの可愛い渚さんと一緒に、まとめて油でジュワジュワと……」

「ねぇ、ケータロ、この女ヤバくない?」

「だから言ったじゃないか。早く逃げた方が良いって」

「……ううん、逃げない」

「どうして?」

「だって、この女にケータロを渡す訳には行かないから」

 その言葉に、僕は思わず口をつぐむ。

「渚さん、あなたは本当に……あとでたっぷりと、泣きっ面をかかせてやりますよ」

「あんたこそ、いっぺん泣けば? そうすれば、そのドス黒い心もデトックスされるんじゃない?」

「……牛タンって美味しいですけど、小生意気な女の舌って、美味しいのかしら?」

「ふん、例えこの舌を失っても、ずっとあんたに睨みを利かせてやるんだから」

「ふふ、渚さん。私、あなたのことが本当にウザいですけど、ちょっと好きになりそうです」

「ああ、そう。あたしはあんたのこと、嫌いだから。早くケータロから離れてよ」

「それはこっちのセリフです……と言いたいところですが」

「何よ?」

「私はどうしても、気になります。あなたの敬太郎さんの関係性が」

 獏女はふいに真剣な眼差しを向ける。

「何よ、喋らないって言ってんでしょ? それとも、お酒でも飲ませてゲロさせようっての? 言っておくけど、あたしはお酒なんて飲まないから。おっしゃる通り、アスリートだし」

「お酒ぎらいのアスリートとは、ますます敬太郎さんにふさわしくありませんね」

「黙れ、腹黒女」

「お黙りなさい。あなたがゲロせずとも、あなたの敬太郎さんの関係性を知ることは出来ますから」

「お前、もしかして……あの獏男に聞くのか?」

「ええ、その通りです」

 頷く獏女を見て、僕は肩をすくめる。

「やめて欲しいなぁ。だってあいつは、僕の恥ずかしい記憶を……オエッ」

「って、ケータロがゲロりそうだし!」

「ふふ、いつものことですよ。敬太郎さん、お酒がお好きですから」

「マジで?」

「まあ、そうだな」

「ふぅ~ん……」

「はい、あなたが知らない敬太郎さんのこと、私は知っているのですよ~?」

「ウザ女め」

「桜とお呼びください」

「……いや、木野宮さんって呼ぶわ」

「あら、そうですか。どうぞ、ご自由に」

「ええ、そうさせてもらいます」

 女2人はお互いに睨み合って、すぐにフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 そして、間に挟まれる僕は、まだお酒を飲んでもいないのに、胃がギュルギュルと周り、胸ヤケがするようだった。





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