第2話 彼女はただならぬお隣さん
「今日はいつものとおり寂しいコンビニ弁当なのね、クソ天桐君? 好き」
「そういう福地原さんは、珍しく教室でお弁当を食べるんだね。いつもは席を外していたと思ったんだけれど」
「よく私の事を理解しているわ。あなたもストーカーだったなんてね、クソ天桐君? 好き」
「もう、キミに罵倒されても好意を示されても、何も感じない自分がちょっと怖いよ」
「何も感じないなんてとても危険ね、不感症の予兆が出ているわ。早めに泌尿器科へ行く事をオススメするわよ、クソ天桐君? 好き」
「不感症とか泌尿器科とか、食事中に変な事を言わないでよ」
「不感症の告白をして来たのはあなたよ、クソ天桐君? 好き」
「してない。そんな告白は1ミクロンもしていない」
「でも、困ったわね」
「困ったって、いきなりどうしたの?」
「私、子供は3人欲しいのよ。夫が不感症だと不妊治療が必要になるわ、クソ天桐君? 好き」
「そうだね、キミの夫が不感症だったら困るかもね」
「何を寝ぼけた事を言っているの。私の夫はあなたに決まっているじゃない」
「今朝から思っていたけれど、どうしてそんなに僕の事が好きなの? 今朝までほとんど会話らしい会話だってした事がなかったのに」
「そこまで泣いて懇願するのなら教えてあげるわ」
「キミの目には僕が涙を流しているように見えるのかい?」
「あれはそう、このクラスで初めて席替えが行われ、あなたと隣の席になった時の事よ」
「キミは人の話を聞かない人だね」
「あの時、あなたは私に何と言ったか覚えている?」
「いいや、全く覚えていないよ」
「あなたはこう言ったのよ。『福地原さん、だよね? これからよろしく』と」
「……そういえばそんな事を言ったような気もするけれど、それが何だっていうのさ?」
「その一言で私はあなたを好きになったのよ」
「もう何が何だか……キミは挨拶をされたら誰でも好きになってしまう特異体質か何かなの?」
「人を変人みたいに言わないで頂戴」
「キミが変人でないのだとしたら、世の中から変人が消え去ってしまうよ」
「それは素晴らしい事だわ。私が変人撲滅活動に一役買っていたなんて驚きよ」
「その変人撲滅活動家の福地原さんは、どうして僕に挨拶されたくらいで好きになったの?」
「さあ?」
「さあって……」
「わからないものは仕方がないわ。ただ、その時に私の中で何かが芽生えたのは確かよ。赤い実が弾けてしまったような、何かが」
「芽生えたのか弾けたのか、はっきりしないんだね」
「恋とは得てしてそういうものなのよ。掴めそうで掴めない、届きそうで届かない、子供は3人欲しいようで実は4人欲しい」
「さり気なく子供の人数を増やさないでよ」
「それは不感症を治療して、私の夫になる宣言――と捉えて相違ないのよね、クソ天桐君? 好き」
「相違しかないよ。今日、キミと僕は相違しかしていない」
「ところで天桐君」
「何、福地原さん?」
「そのコンビニ弁当は美味しいのかしら?」
「可もなく不可もなくといった所かな……いや、正直に言えば若干飽きている」
「でしょうね。ほぼ毎日コンビニか購買で買って来たものを食べているのだから」
「いつも昼休みは席にいないのによく知っているね。さすがは自称ストーカー」
「そ、そんなに褒められたら恥ずかし過ぎて妊娠してしまうわ……」
「ストーカーは誉め言葉じゃないし、言葉だけで妊娠するなんてやっぱり特異体質だよ。福地原さんは宇宙人か妖怪の化身か何かなの?」
「……私は今、世紀の大発見をしてしまったわ」
「どうせロクでもない発見なのはわかりきっているけれど、一応聞いておくよ。何を発見したんだい?」
「あなたは宇宙人だったのよ」
「真面目な顔してふざけた事を言わないでくれる?」
「いいえ、ふざけているのはあなたの方よ。どうして私がこれだけアピールしているのに、不感症を装って泌尿器科へ行こうとしているの、クソ天桐君? 好き」
「不感症を装ってもいないし、泌尿器科へも行こうとしていないよ。それに、もし僕が宇宙人だとしたら地球の泌尿器科へ行っても無駄だと思う」
「それじゃあ、あなたが私を好きにならない理由がわからないし、コンビニ弁当を食べている理由もわからないじゃない、クソ天桐君? 好き」
「これまでの会話を経て僕がキミに好意を抱けたとしたら、それこそ宇宙人だよ。あと、コンビニ弁当を食べているのは両親が共働きで忙しいからだね」
「妹さんはお弁当を作ってくれないの?」
「どうして僕に妹がいるって事になっているのさ?」
「夫の素行調査をするのは愛妻の義務なのよ。違反したら法律で罰せられるわ、クソ天桐君? 好き」
「そんな妻と法律を許容する国はこの世から滅亡してしまえ」
「ちなみに私があなたの妹の存在を知っているのは、あなたがスマホをいじってニヤニヤしているのを訝しんだ私が、こっそり液晶画面を覗いた時に『お兄ちゃん』と言うメッセージを見つけたらからよ」
「色々とツッコミたいけれど、1番ツッコミたいのはお兄ちゃんという文言だけで妹がいるとは限らないという事だね」
「あなた、まさか母親に『お兄ちゃん』と呼ばせる特殊性癖の持ち主だったなんて……さすがの私もドン引きよ、クソ天桐君? 好き」
「そんな発想出来る人の方がよっぽど特殊性癖だよ」
「父親に呼ばせていたとはね、クソ天桐君? 好き」
「人の話はちゃんと聞こうね。メッセージの相手が弟とか年の離れた従妹とか、そういう可能性もあるんじゃないかって事だよ」
「あるの?」
「ないけど」
「それなら妹がいるという事でいいじゃない」
「いやまあ、妹はいるんだけどね、実際」
「やっぱりいるんじゃない。それでその妹さんはお弁当を作ってくれないの」
「妹は中学のテニス部で朝練があるから、お弁当を作っている余裕はないみたい」
「なるほど。勉強オタクの兄とは違って、妹さんはテニス一筋なのね、クソ天桐君? 好き」
「妹は成績だって決して悪くはないよ」
「そしたら兄であるあなたの立つ瀬がないじゃない、クソ天桐君? 好き」
「そうだね。身内贔屓を差し引いても可愛いと思うし、今にも彼氏が出来そうな気配だよ」
「可哀想な天桐君……そんな傷だらけのあなたを私が癒してあげるわ」
「いい。絶対まともな方法じゃないから。そもそも僕は傷ついてない」
「遠慮しなくていいのよ。あなたを往復ビンタした後で、倒れたあなたの顔を素足でグリグリと踏みつけてあげるだけだから、クソ天桐君? 好き」
「それをまともな癒し方法だと自信を持って言える福地原さんがすごいよ、あっぱれだ」
「そんなに褒めてもビンタの回数は増えないわよ。それともヒップアタックの方をご所望だったかしら、クソ天桐君? 好き」
「どうして僕をソッチ系にしたいのかな。それより、そろそろ語尾に『クソ天桐君、好き』を言うのも疲れて来たんじゃない?」
「良い所に気付いたわね。さすがは私の婿だけあるわ、クソ天桐君? 好き」
「今度は疲れてても言い続けるんだね。それと僕は婿じゃないから」
「嫁の方が良かったかしら、クソ天桐君? 好き」
「ただのお隣さんだよ」
「ただならぬお隣さんね」
「僕にとってはそうかも。――さて、お弁当も食べ終わったし、僕はお手洗いに行ってくるよ」
「そう……泌尿器科なら学校の正門を出て南へ500メートルほど行った所にあるわ、クソ天桐君? 好き」
「既にそこまで調べの付いている福地原さんに寒気を覚えたよ」
「私の叔母が経営しているのだから、知っていて当然よ」
「その叔母さん、今朝は日本語学校の先生をしていなかった?」
「私の叔母は父方、母方を合わせて8人いるのよ」
「なるほど。親戚がそれだけ多いと、子供もたくさん持ちたくなるのかもね」
「違うわ。叔母たちは全員独身だから、私が子作りに励まないと福地原の血筋が途絶えてしまうのよ」
「一族を命運を背負った超重たい役目を、僕に押し付けようとしていたのか」
「そうよ。だからなるべく早く泌尿器科へ行って来てね、クソ天桐君? 好き」
「お手洗いだってば」
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