第16話

(確かに、あやめと和葉を仲直りさせたかったのは、アタイも同じだ。そのせいで、こんな訳のわからないことになっちゃったんだ)

「わかったよ。和葉が、謝ってくれたらな」

(あぁ、またこんなこと言っちゃった)

「イリス、ごめん。みんなで無視したのは、いけないことだった」

和葉の口から、思いがけない言葉が出た。

「でも、私が謝るのはそれだけだ。これで、ちゃらにしてもらうからね。今日は、柚子に頼まれて、来てやっただけだ。それよりムカつくのは、みんなの前で先生に言うなんて、卑怯だ!この、最低女!」

この言葉が、あやめの傷つけた。そう思うと、涙が溢れそうになった。空からは、大粒の雨が落ちてくる。

「雨も降ってきたから、早く帰ろう。なぁ、柚子。私、謝ったからね。これでいいよね」

和葉の言葉に、だれも反論はしなかった。

「とりあえず明日からは、無視はしないよ。先生に、イリスからそう言っておいてよ!」

梨乃はそう言って、みんなに帰ろうと声をかけて、その場を去っていった。雨は、どんどん降ってくる。イリスは、あやめの傘をさそうともせず、ぎゅっと抱きしめていた。

(あやめ!和葉に、最低女って言われちゃったよ。あの言葉、きついな。アタイでも、ちょっと傷つくよ)

 ずぶぬれになって帰ってきたイリスを見て、智花が急いでバスタオルでくるんでくれた。

「何で、傘、ささなかったの?」

と言いながら、抱きしめてくれた智花から伝わる体温が、傷ついた心を温かく包み込んでくれた。


 小さなテーブルを囲んで、家族三人おしゃべりをしながらの夕食だったが、イリスの心は、まだまだ重いままだった。

「新しい家、初めての庭付き一戸建てに決まったぞ。社宅として、会社が買い取った家らしい。ラッキーだったよ」

孝典の報告に、智花が驚きの声をあげた。

「ええっ!本当なの?本当の話?イリス、やったよね。憧れのガーデニングができる!」

「そうだね…」

「どうしたの?イリス。公園で、何かあった?」

「ううん、何にもないよ。それより新しい家、楽しみだな」

孝典が、イリスの顔色を見て、優しく話しかけた。

「いつもイリスには、転校で辛い思いをさせて悪いって思ってるよ。でも、お父さんは、大事なお母さんとイリスと三人の暮らしを、一番に大事にしたいんだ。わかってくれるか?」

「わかってるよ。アタイ、新しい家も、学校もすごく楽しみだ」

そう言ったイリスの頭を、智花は優しく撫でてくれた。


 雨は、夜遅くから激しくなり、朝を迎えてもまだなお激しく振り続けていた。サンルームから、あやめはこの雨を恨めしく思っていた。

(前の家から、こっちには車でしか来たことがなかったから、電車でどうやって行ったらいいんだろう。一人で行けるかなぁ)

 同じように、イリスも窓に打ち付ける雨を見ていた。

(あやめに会いに行きたい!こんな雨の中、出かけるって言ったら叱られるかな)

リビングでは、孝典と智花が朝からせわしく荷造りをしている。イリスも、自分の荷物を片付けるよう言われている。すると、リビングから電話のなる音が聞こえた。

「イリス!時村さんって子から、電話だよ」

智花の声に、イリスは心の中で叫び声をあげた。

(やったじゃないか!あやめ!そうだよ。そうだった。人間には、その手があったんだ)


「イリス、大丈夫?やっぱり、私の家にいたんだね」

その声に、涙が出そうになった。

「あやめこそ、大丈夫か?アタイんちにいるんだろう」

孝典も智花も荷造りで、イリスが何をしているか気を留める様子はない。

「あやめ、本当にごめん。アタイのせいで、とんでもないことになった。今は、どうすればいいか全然わからないんだ」

「私こそ、ごめんね。私のためにしてくれたのに…。で、学校の方は大丈夫?もう、無視されてるよね」

 イリスは、昨日の公園でのできごとを話した。

「和葉も、無視したことは認めて謝ったけど、アタイにも言ったよ『最低女』って。あの言葉、傷つくよな。あの梨乃って子も、良い子のふりをしているだけだ。アタイには、わかるよ。なぁ、あやめ、忘れろ。あんな奴らのことなんか。そのぶん、アタイたちがあやめのことを、心から大事にするよ」

電話口から、あやめの泣き声が聞こえた。

「あやめ、泣くな。アタイまで、泣けてくる。アタイたちは、二人で一人みたいなもんだ。大丈夫!必ず、もとに戻す。だけど、今は、遠すぎる。自由に家を行ったり来たりできる引っ越しまで待とう」

「わかった。私は大丈夫だけど、イリスは、そんなんで学校に通えるの?」

「そんなん?あぁ、そういうことか。大丈夫だ。五年生は今年で10回目だ。担任の先生余も、ずっと年上だぞ。それよりも、あやめ、お前魔エキ飲んだか?飲めたか?なぁ、吐き出したくなる気持ちわかるだろう」

「何で?魔エキ、結構美味しかったよ。凄くいい香りがするし。イリスこそ、どうして飲めないのか、不思議だわ」

「やめてくれ!思い出しただけで、吐きそうになる。まぁ、あやめが飲めるなら、それはそれで安心だ。ところで、魔法って使えそうか?」

「わからないんだ。イリスの机の上にあった古い本を読みながら、練習しようと思ってる。何となくわかるんだよね、魔族語」

「そうか、頑張ってくれ。あやめの魔法が、最後の頼りだ」

お互い、話したいことは山ほどあった。今すぐにでも、会いにいきたいところだった。

「私たち、一生このままってことないよね」

「何言ってるんだ!あやめ、諦めるな!」

イリスはそうは言ったが、このまま人間として生き続けなければいけないかもしれないと、心の端っこでは覚悟しなければと思っていた、

(でも、私は、やっぱりお父さんとお母さんの子でいたい)

(アタイは、パパとママの娘でいたい)

そう思うと、二人とも胸の奥が締め付けられる思いだった。


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