第13話

「イリス、本当に大丈夫なんだろうな」

ダリアが、もう一度イリスに声をかけた。イリスとあやめは、互いに向き合って立っている。

「今まで最高に戻した時間って、せいぜい数日だろう。1カ月も前って、本当にできるのか」

アナベルも、不安げにたずねた。

「ダメで元々だよ。なぁ、あやめ。その日のことをしっかり思い出して、話してくれ。アタイが合図したら、アタイの手首、ここんとこを握るんだ。両手でだぞ。いいか?」

イリスの真剣な顔を見ているうち、あやめも、この冗談に本気に付き合ってみようと思った。

「6月3日だった。朝、教室に入ったら、凄い顔で、和葉が走ってきた」

「6月3日だな。教室だな。その時間のその場所に戻すぞ」

イリスは、両手を前に差し出し、人差し指と親指を立てL字型にして力を込めた。

「さぁ、あやめ!アタイの手首を握るんだ」

あやめは言われるまま、イリスの両手首を握ると、あの日の和葉の怒りに満ちた顔を思い出した。

(あの時は、もう二度と和葉とは会いたくなかった)

あやめが目を閉じると、イリスは、両手をゆっくり内側へ回した。



「いつまで寝てるの!早くしないと、遅刻するよ!」

そう言われ、朝なんだと、ぼうっとした頭の中で、

(起きなくちゃな)

そう思ったイリスは、開いた目を何度もこすった。

(ここは、どこだ?)

「もう、いつまで寝てるの!」

部屋のドアを開いたのは、思いもかけない人だった。

「あやめのお母さん!?」

イリスは、布団を蹴飛ばして起き上がった。

 何がどうなったのか。魔法が、どう作用したのか。イリスは、混乱する頭で考えたが答えはみつからない。部屋に見覚えはないが、そこに何があるのかは何となく覚えがある。イリスは、タンスから適当に選んだ洋服に着替えた。洗面所の鏡に映る自分は…。

(アタイは、アタイのままなんだ)

キッチンでは、智花が慌ただしく動いている。

「何?どうした?体調、良くないの?じゃなきゃ、さっさとご飯食べなさい」

智花に言われるまま、食卓に用意された朝ご飯を食べた。お味噌汁の良い香りに、食欲もわいたが、それもほんの一瞬。味わう気持ちの余裕はない。

(どうしよう。何がどうなったんだ?)

ずっと考え続けた。

「あ、あの…今日は、何日だ?」

「何?変なこと聞く子ね。6月10日だよ。そんなことより、早くご飯食べて行かないと、集合時間に遅れるよ」

(10日っていうと、もういじめが始まってるのか?)

そこは、いつも遊びに行っていたあやめの家とは違う。

(引っ越す前の家だな)

「あの…アタイの名前は?」

「もう、いい加減にしなさい!本当に遅刻するよ!」

コーヒーを飲みながら、智花が本気で怒り出した。

(あやめのお母さん、結構怖いんだな)

「おはよう。何だ、またお母さんを怒らせてるのか?イリス」

孝典が、確かにイリスと呼んだ。

(アタイは、イリスなんだ。じゃぁ、あやめは…)


 あやめも、カンナの声で目を覚ました。天蓋付きのベッドに寝ている自分に、まず驚いた。パジャマも、今まで見たことのないレースがたくさん付いたものだった。

(私、どうしてこにで寝てるの?)

ベッドから滑り降り、クローゼットを開いた。そこには、黒いドレスに交じって普段着もある。いつも、イリスが着ている服だ。部屋の壁に着けられた、大きな鏡に映っているのは、間違いなく自分。

(私たち、もしかして入れ替わったの?)

 着替えを済ませ、階段を下りていくあやめは、何となく階段のすぐ下の大きな扉の部屋に行かなければと思った。が、その扉を開けて良いものか迷っていると、中からカンナが出てきた。

「あやめ、何ぼうっとしてるんだ」

(私は、あやめなんだ。入れ替わってるわけじゃないんだ)

 大広間のテーブルには、朝食が用意されていた。窓の外の不思議な景色も、何となくそれでいいような気もする。

「今日は、イリスの好きなチーズリゾットだ。早く食べるんだよ」

「う、うん。ありがとう」

カンナは、自分のことを娘だと思っている。

(と言うことは、イリスの言っていた魔族って話は、本当だった…ってこと。で、今は、私が魔族になったってこと?どうしよう、イリス!助けて!)

と、心の中で叫ぶことしかできない。

 朝食を済ませ、部屋に戻り、学校に行く準備をしながら、まず何をするべきかを、あやめは必死に考えた。混乱する頭を整理しながら、悲しいとか寂しいとかそういう感情が湧いてこないのも不思議だと思っていた。

(まず、イリスに会わなくちゃ。本当に時間が戻っていたら、私は、まだあの団地に住んでいる。そこに、イリスがいるかもしれない。けど、今日は、まず学校に行ってみよう)

あやめは、覚悟を決めて学校に向かった。

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