第8話

 午後からは雨もやみ、一気に気温が上がってきた。あやめは、待ち合わせの児童公園の木陰のベンチに腰掛けてイリスを待っていた。公園には、あやめ以外誰もいない。静かな公園だ。そこから、イリスが知っているという雑貨屋まで、歩いていくことになっていた。公園の時計の針は、約束の1時を指している。

(和葉たちとも、こうやって公園で待ち合わせしたっけ。どうしてるかな、和葉)

そんなことを考えていると、イリスが走ってやってきた。

「ごめん、あやめ。待たせたな。あれ?どうしたんだ。元気がないな」

「大丈夫だよ。前の学校のこと、ちょっと思い出しただけ。それより、行こうか。そのお店、ここから遠いの?」

「いや、遠くない。歩いて、10分もかからないよ。で、前の学校で何かあったのか?」

「ううん、たいしたことないよ。でも思い出すと、ちょっと落ち込むんだ。イリスに、聞いてもらおうかな」

 あやめは歩きながら、和葉とのやり取りをイリスに話した。

「私が、ちゃんと説明しなかったことが、一番悪いんだよ。今は、思ったことちゃんと話せるようになったけどね。今思うと、いろいろ後悔することばっかりで…。和葉に、どうしてちゃんと話ができなかったんだろう」

そう話しながら、あやめは涙がこらえきれなくなってきた。

「和葉に言われた『最低女』って言葉、ずっと頭にこびりついてる」

イリスは、どう言葉をかけて良いのかわからないまま、あやめの背中をさすることしかできなかった。と同時に、あやめの頭の中にこびりついた『最低女』という言葉を、どうしたら消し去ることができるのかを考えていた。


 お店に着くころには、あやめの顔に笑顔が戻ってきた。市のはずれにあるショッピングモールには、引っ越しを済ませたあと、両親と三人で食料品を買いに来たことがあった。

「ここだったんだね。うわぁ、すごい人!」

「ここの3階にある雑貨屋に、来たことがあるんだ」

「うわぁ!楽しみ!」

あやめの嬉しそうな顔をみて、イリスはあやめ以上に嬉しかった。が、ここでの嫌な思い出が、イリスの頭をかすめた。


 イリスが、珍しくカンナとテレビを観ていたときだった。ドラマの中で使われていたグラスを見たカンナが「あのグラス、可愛いいなぁ」と何気なく言った言葉を、イリスは聞き逃さなかった。黒猫の絵が描かれたグラスだった。

(ママの口から『可愛い』なんて言葉、初めて聞いたような気がする。あんなグラスを、ママの誕生日プレゼントにしたら、喜んでくれるかな)

画面に映るグラスを、イリスはしっかり目に焼き付けた。

 映画やテレビの世界なら、魔法の呪文と共に杖を振りさえすれば、シャランみたいな効果音で手の平にグラスが現れるのだろう。が、イリスにできる魔法は、ただ一つ。親指と人差し指の二本でL字の形にした左右の手を、そのまま両腕を胸の前に突き出して、ゆっくり内側にL字型の指を回しながら頭のなかで戻したい時をイメージする。そうして『時もどし』の魔法は完了する。


 イリスはお店を何軒か回って、ショッピングモールの中の雑貨店でやっと同じような黒猫のグラスを見つけだした。形は少し違うが、黒猫の絵柄はほぼ同じ。やっと見つけだしたグラスなので、イリスはその店で買うことに決めた。

「贈り物用の箱が、今、ちょっと切れているんですけど」

そう言われたので、イリスはお金を払い、カンナの誕生日の当日に受け取りに来ることにした。カンナの好きな藤色のリボンも、指定しておいた。にも拘わらず。

「あれ~、どこにあるんだろう。いつものところに、ないんだよなぁ」

アルバイトらしい店員の態度が、ひどかった。

「どういうことなんだ?ちゃんと、今日取りに来るって、一週間前に頼んであったよ」

(子供だからって、馬鹿にするなよ!)

「おっかしいんだよね~伝票はあるんだけど…ないんだよね~」

「お金も払ってあるんだ。困るじゃないか」

イリスが頼んでおいたグラスが見当たらないと、店員は、慌てる様子もなくだらだらと探している。

(ふざけんなよ!姿は子供だけど、おまえの何倍も生きてるんだぞ!)

心で叫んでいた。

 こういうときは『時もどし』を使うに限るが、一週間前に戻れる自信がイリスにはない。

(戻りすぎて、もう一度退屈な日を繰り返すなんて…耐えられない)

「今日、店長休みなんで、明日、もう一度来てくれる?」

この一言で、イリスの我慢は限界に達した。その瞬間、店員の顔がみるみる青ざめていった。

(しまった。また、やった)

魔族は、強い怒りや苦しみ、悲しみに耐えきれなくなると、目が吊り上がり、耳がぎゅんと大きくなったうえ、その耳が鼓動と同じように大きく揺れる。幸いイリスの長い髪のおかげで、耳はそれほど目立たないが、イリスの場合は顔面が蒼白になる。

(やばい!こいつ、叫び声をあげるぞ)

と、思った瞬間、店員の後ろからすっと手が伸びて、店員の頭にちょんと人差し指が触れた。

(あっ!デイジー!)

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