第2話 ゴブリン、スマホを手に入れる

「これは『スマホ』というらしいの」

「そうか」


 吾輩はリッチの家に来ている。

 たくさんの本棚に囲まれ、怪しげな液体の入ったフラスコや、見たこともない生き物の標本などで埋め尽くされた空間。

 古びた木製の椅子に腰掛け、渋いハーブティーを飲みながら、吾輩はリッチの話を聞いていた。


「それで、それは何かの役に立つのか?」

「相変わらずせっかちじゃのう。そんなんじゃから、お主はいつまでも独り身なのじゃ」

「そういうアンタも独り身じゃないか」

「そ、それは、今は関係ないじゃろ……」


 リッチは戸惑いながらそう言った。

 

 リッチ。

 人間だったころの人格、知性、能力を受け継いだアンデッド。吾輩の知ってるリッチは全員骸骨だが、今目の前で『スマホ』とやらを分析しているリッチは少女の姿をしていた。

 名前は知らない。だが、吾輩がこうして会話するのはこのロリリッチ——略してロリッチだけだから、別に名前を知らなくても困ることはなかった。


 銀髪を靡かせ、赤目をこちらに向けながら、リッチは続けた。


「お、おほん……お主が持ってきたこの板——スマホには、どうやらさまざまな機能が備わっておるようじゃ。テレパシー系の魔法や疑似的な光魔法、時魔法の亜種などが使用できる魔道具といってよさそうじゃろう」

「そんな便利なものだったのか」

「戦闘にしか興味がないお主が拾っても、宝の持ち腐れというやつじゃな」

「五月蝿い」


 そんなこと言われる筋合いはないと思う。そもそも吾輩が冒険者を撃退していなかったら、このスマホとやらも手に入れることはできなかったのだ。

 でも、ここでリッチと口論していても時間の無駄だったので、吾輩は我慢して話を聞くことにした。


「あとな、もっとすごいことがわかったぞ」

「なんだ。勿体振らないで早く聞かせろ」


 そして、リッチは言った。


「どうやら我々はいつの間にか転移していたらしい」

「……何?」


 リッチはにやにやしている。

 しかし、吾輩にとってそれは聞き捨てならない言葉だった。


「転移、だと? アンタ、吾輩を揶揄っているのか?」

「信じるか信じないかはお主次第じゃ」

「…………」


 吾輩は考える。

 リッチがこんな意味のない嘘をつくだろうか? いや、そんなことはしない。こいつはガラクタばかり集めて、家で実験してにやけているようなおかしなリッチだが、決して意味のない嘘をついたりするような奴ではないはずだ。

 だから、吾輩はとりあえずリッチの言葉を信じてみることにした。


「……なぜ、転移したとわかる」

「お、信じてくれるのか?」

「ここでアンタが吾輩に嘘をつくような理由がないと判断したまでだ」

「どこまでも合理的な奴じゃのう……まあよい、わかればよいのじゃ、わかれば」


 そして、リッチは上機嫌に説明を始めた。


「まず初めに、このスマホと呼ばれる板には『インターネット』という……一言で言えば大きな図書館が入っておる」

「空間系の魔法か?」

「まあ、その亜種だと考えて良さそうじゃな。相当高度な魔法で作られた魔道具じゃ。そして、そのインターネットにある本を色々と調べたところ、どうやらここが我々のおった世界とは別の世界じゃということが判明した」


 リッチは続ける。


「お主が手に入れたこのスマホは、別の世界の魔法でできた産物じゃ。しかし、我々が住処とするこのダンジョンは、我々の世界にあったものじゃ。この二つを総合すると、我々はこのダンジョンと共に別の世界に転移してきたということになる」

「そうか……だから、あいつらはあんなに弱いのに、このラスト・ダンジョンで浮かれていたのか」


 吾輩はなぜラスト・ダンジョンに潜り込むような冒険者が、あれほどの軽装及び無警戒な態度で探索に及んでいたのかを疑問に思っていたが、その理由もダンジョンの転移で説明がつく。あいつらはこのダンジョンを舐めていたのではなく、ここが最難関のラスト・ダンジョンであることを知らなかっただけなのだ。


 そうか、まだ吾輩たちの威厳が損なわれたわけではないのか。

 少し安心する。


 しかし、すぐ吾輩は気を引き締めた。


「リッチ、アンタの言っていることを信じる」

「それはいいことじゃ」

「それで相談なんだが、これから吾輩はどうしたらいい」

「どうしたら、とは?」

  

 吾輩は思っていることを口にした。


「ダンジョンは冒険者が攻略に来ることで、なんとかその生態系を保っている。吾輩たちの栄養も、ダンジョンが吸収した人間の養分から供給されるからだ。だが、もしダンジョンが別の世界に転移した場合、この生態系が崩れる恐れがあるとは思わないか?」

「……正論じゃな」


 リッチは頷いて、同意を示す。


「もしこの世界にまともな冒険者がいないとなると、その分養分が減ることになる。それに以前はこのラスト・ダンジョンは恐れられていたとはいえ、しっかりとした知名度があったから、人間の供給にも事欠かなかったが、今ではどうじゃろうな。もしかしたら、ここにダンジョンがあることすら、ほとんどの人間が知らんかもしれん」

「そうだ。だから、吾輩たちはすぐに手を打たなければならない」


 ダンジョンから出て生活するという選択肢はない。吾輩たちはダンジョンで生まれ、ダンジョンで死ぬ。ダンジョンが家であり、故郷であり、国であり、家族であり、そして親なのだ。だから、吾輩はどうにかして対策を考えなければならなかった。


 リッチが腕を組んで少し考え込む。

 あのリッチでもさすがに無理か。

 吾輩がそう考えて、諦めかけた、そのとき。


「いいことを考えた」


 リッチがにやりとしながら言った。


「本当か。早く聞かせろ」

「本当にせっかちじゃな、お主は」

「こんな状況だ。一分一秒が惜しい」

「仕方ないのう」


 そして、リッチはこう言った。


「お主、今から配信者になれ」

「……?」


 ハイシンシャ?

 リッチが何を言っているのか、このときの吾輩にはまったくわからなかった。

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