第76話 安西さんと夏祭り

 町さんに行ってきますと告げて、俺と安西さんは祭り会場まで来ていた。会場は学生くらいの浴衣を着た人たちで溢れている。

 花火が人気と聞いていたけれど、これほど多いとは思っていなかった。


「……えっと、安西さん、今日は人多いみたいだね」

「……そうだ、ね」

「……」


 言葉が周囲の足音で消えていく。


「……斉藤くん」

「……なに?」

「……ううん、やっぱり、何でもない」


 屋台が近づいていく。

 ペースが速い気がして、ちょっと立ち止まると、安西さんの腕にふれた。


「……ごめん!」

「ううん、大丈夫」


 って、何やってんだろ、俺。

今日は安西さんとの初デートのはずだった。でも、町さんと別れてからというもの、ちゃんと安西さんとは話せていない。ちょっとだけ目が合ってもすぐに目を逸らしてしまう。


 ちゃんと見て離れないようにはしないと。

 この人の多さだ。クラスでも人気の安西さんが一人になったりしたら、ナンパされるかもしれない。

 こっちからちゃんと話しかけて、いやでも何を話したらいいか――


「って、安西さん?」


 気になって横を向くと、隣を着いてきた安西さんがいなくなっていた。


手を繋ぐべきだったか? でもまだそんな関係じゃない。それよりもちゃんと安西さんを見れていたら、ってそんなことを考えている場合じゃないだろ! 


「安西さん!」


 もしいなくなったりしたら、せっかく送り届けてくれた町さんに申し訳が立たない。さっきまで一緒にいたから近くにいるはず。


「安西さん! 近くにいるなら返事を――」

「ここにいるよ!」


 安西さんの声がしたので、後ろを振り返ると、安西さんが手を振りながら、歯音を響かせてゆっくりこっちへ向かってきていた。

 よかった、何もなかった。


「ごめん、斉藤くん。ちょっと下駄が脱げちゃって」


 そう言われて、足元を見ると、安西さんは下駄をはいていた。

 浴衣だから運動靴じゃないなんてことは分かっていたはずなのに。なんでそんな重要なことに気付けてあげていなかったんだろう。


「いや、安西さんのせいじゃないよ、こっちが歩くのが速かった。もうちょっとゆっくりにするから」

「そんなことないのに、でも、ありがとう」

「……う、うん」


 安西さんに手を握られ、一瞬、言葉が出てこなかった。

 居酒屋のときだって、もう何度も話しているはずなのに、浴衣姿で話しかけられると、ドキッとしてしまう。

 手を繋いだわけでもないのに。

 でも、少しだけ緊張がほぐれた気がした。


「えっと、あ、そうだ、安西さん、何か食べたいものある? 見たいものでもいいんだけど」

「斉藤くんは行きたいところある? 私、まだあんまり分かんなくて」

「えっとじゃあ、おすすめの場所があるから、そこに」

「そうじゃなくて、さ。斉藤くんが行きたいところとか」

「え?」


 逆に質問されるとは思っていなかったので、思わず変な声が出てしまう。

 安西さんのために調べたおすすめの場所はあるけれど、自分が行きたいところなんて考えてもいなかった。


「……えっと、ごめん。そう聞かれても、分からないかな。俺、実は祭りは昔行ったきりなんだよ」

「え? そうだったの?」

「うん、天江たちと行ったっきりで。それ以来、全然来てないから。俺も全然、祭りのことは知らないんだ」


 あのときも、歩きながら、2人の好きなものを一緒にやっていくだけだった。

 やりたいものか。


「じゃあさ」


「「一緒に決めていかない?」」

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