第17話 発令 

 東シナ海を夜間のみ浮上航行、この辺りは敵潜水艦が遊弋しているとの情報もあり、緊張の連続だ。

 沖縄本島の北で太平洋に出る。

 しかし自国の海(領海という意味ではなく)だというのに、浮上航行ができないというのは情けない限りだ。制空権がないというのは、こういうものかと思う。


 呉回航については全く説明がないまま、豊後水道に入った。さすがにここまでくれば一安心である。磯垣は乗組員に交代で甲板に出ることを許可した。

「艦長、ニカ電です」

 通信士が受信用紙を差し出した。

「親展電報、なんだ? いいぞ電報の中身を言ってくれ。知っているんだろう」


 受信している以上当たり前だ。通信士は心持ち笑顔だ。

「海軍大尉、磯垣忍、昭和二十年、二月一日をもって海軍少佐に昇任させる。呂号第三十二潜水艦艦長の任を解く。呉鎮守府付とする」

「おめでとうございます、少佐」


 発令所に拍手が起こる。

「艦長の任を解かれるのか、何かへまでもしたか」

 笑いが起こった。

「もう一通 ニカ電です」

 通信士がもう一枚の電報を差し出した。

「これは艦長からお願いします」

 ん、どういうことだ、電文を見て納得した。


「航海長、異動内示だ」

 小田が驚いた顔をした、この時期に発令される予定などなかった。

「海軍中尉小田信之助、昭和二十年二月一日をもって海軍大尉に昇任させる。呂号第三十二潜水艦長を命じる」

 発令所が、一瞬静まり返った。そして万雷の拍手が起こった。

「おめでとう、貴官なら安心して本艦を任すことができる」


 小田が信じられないという顔をした。当然だろう、彼は兵学校出身ではない。海兵団で水兵として海軍に入り、下士官から、特務士官へと昇ってきたのだ。

 そもそも大尉になることですら珍しいのだ。


 昭和十七年の勅令により特務士官という呼称は廃止され、特務士官は一般の兵学校出身の士官と同等になった。

 とはいえ差別は現然と残っており、特務士官は兵学校出身者からは一段格下とみられていた。


 その小田が一艦を率いるのだ。おそらく戦時でなければあり得ない話だった。

 ただ、技量は磯垣から見て何ら問題はないどころか、おそらく船乗りとしては磯垣よりはるかに優秀だ。

「呉入港までは貴官に本艦指揮を任せる、よろしく頼む」

 小田は直立不動で磯垣に敬礼をした。


 話は瞬く間に艦内にいきわたった。各科長から激励を受け、いかつい顔をほころばせる小田が、磯垣にはほほえましかった。

 彼は艦内で人望があるということだ。


 しかし上層部もよく見ていると思う。

 ただ、そうなると自分だ、少佐になるのはいいが、鎮守府付とはどういうことか。

 何かの船の艤装員になるか、陸でのポストが空くのを待つのか、どちらにしても思い当たる節はない。


 小田の操船指揮はスムーズで、呉でのロングサイドも磯垣よりはるかにうまいように思えた。

「総員登舷礼配置」

「磯垣艦長に敬礼」

「艦長、お疲れさまでした」

 小田が鮮やかな敬礼をした。

「ありがとう、貴官並びに呂号第三十二潜水艦の一層の武勲を祈る」

 磯垣は答礼をもって呂号第三十二潜水艦から下船した。



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