第8話 新兵

 結局、航海長は行動中に事故で死亡ということになった。

 本当のところは誰にも分らない。そもそも軍隊では精神を病むものが多い、そして海軍の艦艇勤務、その中でも潜水艦は特に多いとされる。


 そんなこともあって、司令部では磯垣に対する処分どころか、調査すらも行われなかった。

 それでも平時ならまだいろいろああったかもしれないが、今は戦時だ。しかもソロモン海では海戦が行われていた。兵士の行方不明など取り上げられるわけもなかった。


 ただ要員の補給もなく、呂第三十二潜は欠員で運用せざるを得なくなった。

 それは司令部が懲罰的に行った人事ではなく、潜水艦要員は水上艦と異なりすぐ補充できるものではなかったからだ。


 一週間の休暇が与えられたのは、同様の事故が発生しないようにという司令部の配慮だったのかもしれない。もっとも陸軍と第八艦隊が激闘を繰り広げている場に、呂号一隻が顔を出したところで何の戦力にもならない、どころか下手をすれば足手まといである。


「呂第三十二潜は別名あるまでうち南洋海域における哨戒任務にあたれ」

 司令部よりの命令を受けた磯垣は、食料弾薬そして魚雷を満載にしたのち出港した。


 例によって呂第三十二潜は水上航行で南下している。

 この遥か南方では相変わらずのクルージングだ。

 実際食料調達の名のもとに、磯垣は乗組員に釣りを許可している。たまにサメがかかり騒動もあるが、おおむねのんびりしたものである。


 敵の基地はフィジーである、ガダルカナルから外れ北上してくるものはないだろう。

「艦長、当分は戦力外ですね」

 航海長兼務の小田特務少尉が何とも言えない表情をした。

「いっそのこと艦砲射撃にでも行くか」

「敵が出てくれれば、価値はあるかもしれませんね」



 実は小田はかつて磯垣の上官だったこことがある。

 磯垣の軍歴は海軍兵学校がスタートだったわけではない。

 中学四年の時に実家の商売が傾き、彼は高等学校進学をあきらめ、佐世保海兵団に志願兵として採用された。そこでしごかれたときの助教が、当時の小田三等兵曹だった。


 訓練を終えた磯垣は重巡青葉主砲員に配属された。

 海軍の悪しき伝統にバッターに代表されるしごきと制裁があった。海兵団を出たばかりの新兵は格好の玩具だったのだ。連日のしごきと理不尽な制裁。磯崎は正直なところ逃亡しようか自殺しようかとまで思ったことがあった。


 そんな時、自分には海軍兵学校の受験資格があることに気が付いたのだ。だめでもどこか別の学校を受ければいい、とにかく青葉から逃げる、その一心で受験した。

 そして見事合格したのだ。磯垣は海軍兵学校第六十七期生になったその時点で彼は兵曹長の上、少尉の下という立場になった。

 青葉を訪れ、自分をしごいた連中に鉄拳制裁をしてやればさぞかし気分がいいだろう、そんなことを思ったことも正直あった。

 しかし、磯垣が海軍兵学校に受かったとたん、そういった連中は手のひらを返し。、それだけで磯垣はもう復讐しようという気が失せてしまった。


 その青葉が今、八艦隊にいる。目の前のソロモン海峡で敵と戦火を交えている。磯垣は何となく不思議な気分だった。

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