第125話 浦安・行徳へ

 日が傾いた葛西橋でYA-1を押して歩いている綾。すると、通行禁止と書いてあるのに車が通っていた。この時代は結構いい加減なもので通れれば通る。という感じな緩い規制なので今と比べるとなんといい加減な時代なんだなと思いながら、しっかりエンジンを掛けて跨って葛西橋をあっという間に通過したのだった。


 「よかったー。あんな遠くまで押して歩きたくなかったわ。」


 令和だとスマホのカメラで撮られてネットで晒されること請け合いだが、この時代はカメラ自体持ってる人もまだ少なく、現像にも多額の金が掛かるのでカメラを持ってる人は趣味が高じてる人くらいしか持つことが無い時代、そして個人が情報を発信するなんて到底できない時代である。ほんの30年前くらいまではネットをしている人は趣味が高じてる奇特な人のみだし、そこに画像をアップするなんてこともそうそうできないから情報として活用されることもほとんどない時代。気づいたら国民総監視時代になっていたけど、監視カメラがあるだけで監視されている。と声高にしていた人たちが今を冷静に振り返ったらとんでもない世界になってることだろう。尤もその人々も知らぬうちに受け入れてしまってるわけだが。


 さて、葛西橋を越えると、令和現在の葛西橋通りに復帰する感じだが、荒川・中川を越えた途端に田畑が広がる景色になっていた。昭和30年の東京は荒川までが東京でその先は未開の地といった感じで実際に都電も西荒川と葛西橋で切れている。橋が生活圏の利便性を分かつ感じになってるのは前話でも分かる通り、橋のせいで一気に不便になるからだ。今のように高規格な橋よりも木橋で渡れる程度の橋が架橋されてるわけだから都電が川を渡るのは不可能で、さもありなんである。


 葛西橋通りはとりあえず現道と同じ道を辿ってるので妙見島を越えて浦安までは行けそうなのでそのまま進むことにする。日も結構傾きがきつくなり近いうちに黄昏時となりそうだ。千葉県に入ってすんなり戻れるのかちょっと不安になってきたが、無事に浦安に出ることは出来た。浦安橋は昭和15年と戦前に掛けられた橋だが、ここは立派な橋であったのに葛西橋はなぜしょぼいままだったのだろうか。現在の浦安駅前に出るところがT字路になっており令和はちょっとした繁華街に変貌しているが、道路自体は現在もここはT字路になっており、ここが行徳街道と呼ばれる市川へ抜けられる唯一の道路である。浦安は漁港として栄えてたが、栄えてるというにはあまりにも寂しい感じで川から離れると田んぼと畑だけの広大な平野が広がっており、今では考えられないほど田舎だった。浦安市自体、実は町から市制に移行したのが昭和56年なのでここ40年くらいで急速に市街地化した地域で、それまでは葦原や田畑が広がっていたというのは誠に信じがたいくらい。


 ともあれ、綾はこの行徳街道でなんとか京葉道路に復帰したいと願いながら走るのだった。相之川まで来ると家がひしめき合った感じでようやく住宅街らしき感じになったが、江戸川放水路の橋を渡れるのかが不安だったが行徳可動堰上に設けられた木橋が架橋されていた。


「よかった!これで市川に出られる!これ以上迂回になったら日没と迷子でたまらないよ~」


 内心相当焦っていた綾としては行徳橋に感謝である。現在の行徳橋はこの行徳橋ではなく新たに上流側に架橋されているが、その前の橋も昭和31年に架橋されているので綾が渡っていたのはその前に架けた木橋だったわけだが。

 これで、京葉道路まであと少しというところだが、ここは昭和30年なので、次のオチがすぐに綾を待っていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る