第120話 渋谷の空中ケーブルカーと変遷
玉電が併用軌道で走る国道246号線をやや余裕がない感じで走っている綾。それでも首都高速3号線が出来てはいないので、閉塞感はあまりない。首都高が出来てしばらくした国道246号線は排気の汚さ、渋滞の激しさを想像すると、さぞ息苦しい感じだったんだろうなぁと、令和の国道246号線でも十分息苦しい感じだが、それよりは混んでいるだけなので上を見れば空が広がっていたことに気づいて少しだけ余裕が出てきた。三軒茶屋から道玄坂上まで玉電の併用軌道が走り、道玄坂に入って交番のあたりから専用軌道になるのだが、今のマークシティの建物入り口そのものがほぼほぼ玉電のルートで今もその名残がしっかり残ってるというのは奇跡というか、空いている場所にそのまま建物を作ったからだとは思う。
綾はその道玄坂には下らずに国道沿いを走りたいのだが、なんと国道はこの道玄坂で令和現在の国道はまだ建設中だった。否応も無く、109のある渋谷ルートだ。下りきると渋谷のスクランブル交差点に出る。名前の通り渋谷は谷底にあり、土地としては浸水する場所にあり、また周りは比較的高台なので雨は全て今も流れている渋谷川に集まる構造でいい場所とはちょっと言えないが、東急のバスターミナル京王吉祥寺線があり東京の区西部へのターミナルとしてはこの時代でもかなり機能しているが、渋谷川はまだ暗渠化があまり進んでないようで、駅の東西で発展具合に差がかなりあるようだ。尤も渋谷東口にある明治通りも出来てない、東急文化会館も出来ていないからなわけだが。渋谷ほど古くからひたすら改造された街はないかもしれない。戦後80年近く経過してもなお、いまだにまだ改造が終わっていない。先ほど出てきた東急文化会館は2003年に閉館して今は渋谷ヒカリエとなっている。常に何かがスクラップアンドビルドされている街と言ってもいいだろう。綾が来た時は既に話には聞いていた渋谷に空中ケーブルカーがあったという実際の景色は見ることが出来なかった。どうやら2年しか営業していなかった空中ケーブルカー「ひばり号」。仮に営業してても子供しか乗れないので綾は乗ることが出来なかったわけだが。
宮益坂に入ると喧噪はやや収まった感じでいよいよ都心に入るといった感じだが、今度は都電が併用軌道で一緒に走ることになる。宮益坂を越えると青山通りに入るが、雰囲気は一転して高い建物はないが、それまでの喧噪というべき商店街から大分余裕のある建築物が多くなってくる。ビルが無いのでまだ近くでもないのに外苑通り、いわゆるキラー通りが見えてくる。青山学院もこの時代だとオシャレな大学というよりは都心の田舎にある大学。といった風情だが、ちょっと歩けば外苑もあって、都心の中では土地に余裕を持たせた地区だったのだろう。青山北町アパートがあるあたりにはバラック小屋が建っていた。建設前の準備だろうか?外苑の銀杏並木のところまで来ても田舎の風情ではある。ホンダ青山本社の交差点、つまり青山一丁目の交差点を南側に見ると都電が南下しているのだが、この辺りは専用軌道に変わるらしい。ちょっと止まってグーグルマップを開いてみると現在は道路になっているが、墓地下というバス停があってここが都電の電停だった名残のようである。その先は西麻布で他の系統と合流するのだが、霞町と呼ばれていたらしい。そういえば、気づいたのだが聞いたこともない町名があちらこちらに点在している。令和の今ではすっかり地名として消えてしまった町名も結構あるようだ。
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