第116話 東急砧(きぬた)線
二子橋を渡る綾、普通の鉄道車両が車と一緒に渡るという光景に興奮を覚えながらも、圧迫感があり、交通量が多いので緊張も同時にそこにあった。
「これって、いつ事故が起きてもおかしくない様相よね。行きで見た京急の併用軌道よりは交通量は全然マシだけど、橋ってだけで逃げ場がないのが逆に怖い。」
東急の併用軌道は結局昭和41年まで続いたので、京急の八ツ山橋~北品川の併用軌道の廃止から10年もあとのことである。勿論、末期には鉄道とトラックの交通事故も起きていた。そのくらい道路空間に余裕がない併用軌道であるが、橋であるがゆえに専用橋を新たに作らなければ移設も出来ないわけだ。
橋を渡り切って興奮と緊張が同時に解けたそこには玉電の終点である二子玉川園駅があった。今でこそ、高架で豪華な駅、周りは高級な雰囲気が醸し出される駅となっているが、この頃は国道246号線から併用軌道を抜けた先に大井町線の木造の二子玉川駅があり、その横に隣接している玉電のターミナル駅である二子玉川園駅がこれまた木造でちんまりと国道沿いにあった。今では考えられないほど田舎の駅。といった様相だ。この二子玉川園を起点に砧線と本線が分岐しており、支線ではあるが、全くの別系統として砧線があった。その先の三軒茶屋駅で分岐する世田谷線は渋谷からの分岐であったが、元々は砂利を運搬する路線で通称ジャリ電と呼ばれていた。
二子玉川園駅でUターンして川沿いの道路を走ると左手には何やら飛行場らしきものが見えてくる。バス停には飛行場下という文字があったので飛行場なのは分かったが、あとで調べたが玉川読売飛行場だったらしい。それにしても東京側に来たのに景色の長閑さは変わらなく、道路は未舗装、松の木がちょいちょいあって、畑があり、そのさらに多摩川寄りの先に飛行場があった。砧線は走ってる道路の右手を走ってるが、吉沢橋で踏切となって交差する。このあたりまで来ると目的の製薬会社が見えてきた。この周辺では最も大きい建物でそれ以外は畑と昭和の茶色い家とバラック小屋があるくらいなので目立つだけ。ともいうのだが。
「世田谷というから結構な車通りの多い道路かと思ったら、とんでもない場所に来ちゃったな。」
この製薬会社の工場以外正直あるのは畑くらいという長閑さがひたすら広がっているのは元々は砂利を運搬するための駅で、砂利を運搬するだけの広大な土地が必要だったから。というのもあるが、これが世田谷の景色とは到底思えないもので、変貌ぶりは二子玉川園駅周辺でも田舎っぽいと思っていたがそれを圧倒する田舎っぷりであった。製薬会社に着いた綾は守衛に工場長への荷物を運んだことを伝え待っているのだが、時間が丁度工場の休憩時間だったらしく、工員が綾のオートバイ、ヤマハのYA-1を一気に取り巻き始めてオートバイは一瞬にして人だかりの山を集めてしまうのだった。前述したとおり、スポーツバイクなどというオートバイは一般の人が手に入れられるものではない、ましてうら若き女性が乗ってきたとあっては、取り巻かれるのもやむを得ないものだ。走っていれば気づかない、寄って集まる時間も無いが、停車していればなおのことで綾にあれこれ聞いてくるし、若い工員が羨望のまなざしで見てくる。綾にとってはこんな衆目の目を集めるような人生を歩んではいなかったので、いわゆるコミュ障のようなしぐさで恥ずかしがって声にならない状況に陥ってしまったが、沢山の工員の中でもオートバイではなく綾を見て目を合わせてきた女性が一人いたのを綾はどことなく気づいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます