第114話 多摩川スピードウェイ

 砧の製薬会社に向かうには国道1号線を使い、神奈川県側の多摩川の側道を走るのが最も良さそうだ。手持ちのスマホで検索すると30km弱だが、バイパスなどはないので30km強と考えたほうがいいし、道路状況も良くはないのを考えると桜木町から2時間くらいは見積もったほうがいいだろう。ところで、今回の依頼はまさにバイク便のような気がしてきたが乗っているバイクは方向指示器も無い2ストロークのヤマハのバイクだ。もう100kmは走っているせいか、すっかり綾の中でも馴染んできた気がする。今どきのオートバイのようなパワーさを感じることはないかというとそうでもなく、2ストローク特有の特定回転域に入るとトルクフルな加速を感じることが出来るが、シフトタイミングをミスすると途端に原付以下のような感じになってしまう。これに慣れるのに時間がかかったが、慣れてしまえば逆にこれが楽しいもので、裕子が2ストロークを好んでいるのもようやくわかって気がする。午後の国道1号線は車通りも多く、楽しめるルートではないが幹線道路を外れてしまえば走れるのかもわからないので、多摩川大橋の袂の多摩川リバーサイドロードに出るまでは我慢だ。ところで、正式名称は多摩川沿線道路(川崎市主要地方道幸多摩線)で多摩川リバーサイドロードは綾が勝手に命名しただけなのだが。


 湾岸沿いの国道15号線とは違い、国道1号線は建物の雰囲気が違うだけで、思ったよりも今と変わらない感じだ。尤も、見える景色全体は全く違って田畑も良く見える長閑な景色というのは違うのだが、路面電車が走っていたり、線形が全然違う。という意味での変わらない。なので、すっかりこの時代の景色に慣れてしまったのもあるのかもしれない。やがて、多摩川大橋に着く。この多摩川大橋は昭和24年に完成したのだが太平洋戦争の戦禍をもろに受けた橋で戦前に木製の橋を落成したがわずか15日で焼失してしまい戦後に第一京浜(国道15号線)の交通量を分散させるためにようやく完成した橋なのだが、日本初の水銀灯の街灯が設置された橋でもある。


 多摩川リバーサイドロードに入ると当然ながら未舗装路だが、川沿いを走るのは実に気持ちがいい。速度こそ上げられないが、車通りもだいぶ減って、ちょっとしたツーリング気分に綾の気持ちも高揚する。夏の終わりを感じさせる風の涼しさをより感じられる道となった。令和でもこの道は川崎市民にとってはバイパスともいえる道路になっており、最終的には南多摩・府中まで走れるのでこの地域の住民にとっては便利な道路に他ならないだろう。丸子橋を越えて北に少し進んだところに、綾を期待させるものがあった。それは、多摩川スピードウェイ。だったのだが、現在は東映フライヤーズ(北海道日本ハムファイターズの前身)の2軍グラウンドだった。昭和30年の時点でも多摩川スピードウェイはすでに廃止されており、そうはいえ、サーキットの跡は明確にわかる状態ではあったが期待した現役の多摩川スピードウェイは既にもう存在していなかった。


 「うーん、残念!それでもちょっと見てみるかー。」


 そこでは東映フライヤーズの2軍選手たちが練習していた。桜木町からここまでくるにも1時間以上掛かってるので休憩するにはいい場所だ。現在は多摩川緑地としてやはり市民の憩いの場となっている。まだ残っているサーモボトルのコーヒーを注いで晩夏の青い空と悠々と流れる多摩川と野球を眺めながら飲むことにした。

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