第109話 千葉の海水浴場と千葉駅

 翌朝、綾はサンドイッチとコーヒーをサーモボトルに詰め込み、小腹を満たせて尚且つ目立たないように食べられる携行食を準備して食には困らないようにして夜明けと同時に出発した。行き先は目的地と少しだけ逆に向かう。昭和37年に飛んだときに気になっていた場所に行ってみたかったからだ。街に出ると、舗装がガタガタで、今とは違う標識にどこか狭い国道。立体交差はほとんどなく、国道14号線を東進して国道から津田沼駅に向かう交差点あたりに差し掛かるとその数年後とは全く違った世界が広がっていた。この数年でどれだけの公共工事が為されていたのだろうと思うほど、住んでいた街の海岸線は遥かに近くにあった。そう、国道14号線を東進すると京葉道路の幕張インターチェンジより東は右手に東京湾の遠浅の海が広がっていた。今では考えられないだろうが、国道14号線より海側は海そのものだったのだ。幕張を少し過ぎたところから検見川までは海沿いからは少し離れるが、検見川から千葉駅へ折れ曲がるところまではひたすら海岸線を走る。特に登戸海水浴場などは皇太子殿下(現上皇陛下)が来られた場所でもあり、ちょっとしたリゾート地だったのだが、今では遥か数キロ先まで海を見ることはないのでこの数キロの住宅街は全て埋立地なのである。


 「おばあちゃんからも聞いたことがあったけど、本当に千葉は海の街道だったのね。。。」


 稲毛浅間神社は海の神社であり海岸線に建っていた神社で一の鳥居は海上にあったらしいし、富士山の形に土盛りし、参道も富士登山道にならい、三方に設け、社殿は東京湾を隔てて富士山と向かい合って建立された。ちょっと前までは稲毛浅間神社よりちょっと海側にあるこじま公園には、元は海だった痕跡として、宅地に浮かぶ公民館=元海防艦 「こじま」が係留されていてちょっとシュールな光景が広がっていたが、今はその面影もない。まだ夜明けすぐなので車通りも少なくてちょっとした地方の海岸線を走っている気分だ。やがて千葉駅に向かうために南進からやや東に折れるのだが、ここからが本番で、まず千葉駅が現在の千葉駅の所在に無い。房総線の踏切を超え葭川(よしかわ)の橋を超えたあたりで左折して北進すると、大通りに出て千葉駅にたどり着いた。現在でも「栄町」という名の住所があるがここが千葉駅の繁華街で、今でいうと総武本線の千葉駅と東千葉駅真ん中よりやや東千葉駅寄りのあたりだ。現在の千葉駅が路線分岐して駅が建ってる理由は、元々は東千葉駅周辺に千葉駅があって、ここからスイッチバックして房総東西線に分岐する。千葉駅に着いてみると、意外にも電車自体は旧国電型ではあれどしっかり電車だったが、当然ながら千葉以東の区間は蒸気機関車がまだまだ現役の時代。千葉駅自体は昔ながらの地方にある平たい駅舎で駅舎の屋根が三角というよくある建物ではあった。せっかくなので、現在の千葉駅の方に向かってみると、転車台と扇形の機関区があった。沼津にあったあれだ。現在の千葉駅になったのは昭和38年4月28日のことで、思ったよりも最近の話だし、何より昭和30年からわずか8年で街の核となる駅の移動とスイッチバックの解消、すなわち線形の大改良が行われたと考えると街の大改造が次から次へと起きている時代なのだと改めて感動する綾だった。勿論、ここまで大規模な改造は千葉駅くらいなのだが。

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