第100話 緑山コーナー

  緑山コーナー。そんなところがあるらしいと行ってみたら、まだ明るい時間にバンバン走っている。おそらく初期型のTZR250を先頭に、GPZ400R、FZ400、NSR250Rとこの時代の全盛期のオートバイ、そして今はほとんど見なくなった2stの原付、NSR50やNS50FやRZ50だけでなくスクーターもバンバン走っている。裕子は興奮気味に本当にあったんだ!走り屋スポットは有ったんだ!と天空の城のなんたらみたいなセリフを吐いていたが、ほぼ同じペースの人たちが走っており、さすがにじゃー混ざる。といういつもの意気込みは失せたようである。ちょっと間違えればガードレールとキッス。という狭い公道を曲芸のように走る様がまさにその時代のそれであった。令和のライダーが見たら眉を顰めるか、本当にこんなことがあったんだ。と目を丸くしつつ、そこに混ざるなんて思う輩はほぼいないであろう。実際、二輪事故で亡くなった人は昭和63年が最も多いのだ。それもこういう光景を見ればうなづける。この時代の若者はいまの若者と確かに違う価値観で生きていたのだろう。社会からはみ出すような行為に憧れ、そして散ったりしたわけだが、今と違ってデジタルタトゥーなんていう変な枷が付くこともないのでやりたい放題だったのかもしれないが。


 さすがに同じライダーであっても明らかに場違いな感じになった二人はそそくさと、緑山峠を後にするのだった。


 「思ったものと全然違った…なにあの狂気の世界は?!」


 裕子が思っていた世界とはいろんな意味で全く違った次元だったことにただただ驚きを隠せない様子だ。山梨の愛宕峠では台数が少なかったのもあったのであの台数の多さは衝撃だったのだろう。そして統率の取れた独特のローカルルールみたいなものがあり、一見さんは混ざれるどころか走れる雰囲気ではないというのも驚きだ。


 「裕子さん、帰りは横浜のゲーセンでも寄って帰りましょう~」


 綾としては、奥多摩を経験はしていたのでなんとなく想像はしていたのでスポット巡りも裕子が思うような夢の世界ではないと思ったけど、裕子の落ち込み方に慰めるには大好きなゲームセンターに行こう。くらいしか思いつかなかった。


 帰りは国道16号線を南下して横浜方面には向かったが、横浜のゲーセンには寄らずに、横浜新道経由で横羽線を通って平和島のパーキングエリアまで戻ることにした。ちなみに今なら湾岸線でバビューンと帰れるが、昭和63年では横浜ベイブリッジが完成してないので湾岸線は羽田から抜けることになるが、休める場所が無いので、平和島のパーキングエリアで休憩することにしたわけだ。今は高速の上にあるが、昭和時代は横付けでちんまりした自販機がある程度のパーキングエリアだった。


 「裕子さん、落ち込んでるの?」


 裕子はそうでも無くて、令和のライダーと昭和のライダーの価値観をずっと考え込んでいただけのようである。命を散らす危険も省みずに変な意味でストイックに走りを追い求める姿を見て、それこそサーキットでルールのある中で戦う方がフェアで分かりやすいのに何故公道で明確な基準も無い、芸術点のような評価と井の中の蛙のような場所で走っていたのだろうか。そんなことを考えているうちにわからなくなったそうだが、この時代も承認欲求というものを満たせる場所があり、それが雑誌だった。勿論それだけではなく、この時代は未来は明るく何でもできる、叶えられる。という不確かだが明確に感じる希望が若者が常に新しい技術に財を投じることがそれだったのではないだろうか。


 などと、考え込む裕子をよそに、綾は気に入っていたグーテンバーガーのニキシー管のカウントダウンを見つめていたようで、出来上がったグーテンバーガーを頬張っていた。うだる暑さがまだ残る晩夏の空を見るともう月がはっきりと見える夕暮れになっていた。

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